きりのよいところで終わるかどうかの瀬戸際だった高校野球の県別ネタですが、結局往生際悪く続けることにしました。少なくとも今週いっぱいは北海道のみの開催であり、それなら三、四日単位でまとめれば十分だからです。今週末に宮城、茨城、東西東京、岐阜、兵庫と長崎以外の九州で地方大会が開幕する一方、北海道では地区代表が決まって中休みに入るため、来週は依然として話題が少ないという事情もあります。
県別ネタを二、三日続けて一日休むというこれまでの進め方を維持すると、来週中に四国までは行けるでしょう。とりあえずそこを目指すことにします。後半でまず取り上げるのは近畿の二府県です。
★滋賀
東京の陰に隠れて目立たない埼玉と同様、京都の陰に隠れて目立たないのが滋賀です。95回中44回の出場は全都道府県の中で最も少なく、初出場は沖縄、宮崎に次いで遅い昭和28年。初勝利にいたっては、最も遅い昭和54年でした。MOSの空白県として最後まで残ったのは滋賀でしたが、選手権において最後の未勝利県となったのも滋賀だったわけです。
これに対し、選抜では意外に活躍しているのが滋賀の特徴でもあります。.260の勝率こそ新潟と台湾に次ぐ低さながら、37回の出場は、32回の埼玉と千葉、33回の沖縄、34回の宮城、栃木、長野、35回の福井といったところを上回っているのです。もっともこの結果は、近畿の出場枠が大きいという事実にも由来しています。たとえば6県に対して2枠しかない東北では、宮城と秋田以外は全て出場20回未満ですが、6府県に6枠の近畿では、大阪、兵庫、和歌山の3府県が延べ100回を超え、京都が84回、奈良も57回と、京都を除き選手権の出場回数を上回ります。そうすると、滋賀の37回は近畿の他府県と比較すべき数字とも考えられ、この場合には依然として滋賀の存在感の希薄さが浮かび上がってきます。
このように、高校野球に関しては最も歴史の浅い県の一つだけに、長年にわたって君臨したり、伝説を作り上げたりしたチームはありません。出場回数で最も多いのは10回の近江ですが、準優勝までした実績を有するにもかかわらず、そもそもどこにあるのか私は知りません。似たような存在が、三重県勢として最多となる11回の選手権出場経験を有し、選抜制覇の実績もある三重です。強豪がひしめく地方にあって唯一存在感が希薄という点で、近畿における滋賀は東海における三重によく似ています。
趣味的見地からいの一番に注目するのは、寛政年間に創立された藩校の流れを汲む、県下はもちろん近畿地方随一の伝統校彦根東です。
県内最古の旧制中学は県庁所在地にあるという経験則も、滋賀においては当てはまりません。市制施行こそ大津が先ながら、第一尋常中学を名乗ったのは現在の彦根東であり、大津に設置された第二尋常中学は現在の膳所です。高等女学校の歴史も彦根の方が古く、明治19年創立の彦根西に対し、大津は明治35年となっています。
その彦根東が、昨年はついに選手権初出場を果たしました。5年前の選抜に出場したはよいものの、例によって21世紀枠の注釈がつき、必然的に色眼鏡で見られてしまっただけに、その実績がまぐれでなかったことを証明したという点では快挙でした。選抜に二度出場した昭和20年代を上回る黄金期が、平成の世に現出するかどうかに注目です。
もう一校注目するのは近江兄弟社です。近江兄弟社といえば、誰もが「メンソレータム」の製造元を思い浮かべるのではないでしょうか。もちろん同校はその近江兄弟社と密接な関係にあります。滋賀を拠点に数多の洋風建築を残したヴォーリズが、建築と並んで様々な事業を手がけていたのは知る人ぞ知る話であり、メンソレータムも学校もその一つでした。21年前の選手権に出場した経験を有し、昨年は彦根東と代表権を争っての準優勝、一昨年は8強、それ以前の2年間は連続で4強に入るなど、毎年上位進出を果たしている有力校でもあります。
★京都
昭和一桁から私立の強豪が台頭し、現在に至るまで天下を保持し続けるという京都の高校野球の歴史は、愛知によく似ています。しかし、中京商を中心に三強が鼎立した愛知と違い、京都では王朝の興亡のごとく覇権が移り変わってきました。
京都の強豪といえば、言わずと知れた龍谷大平安です。昭和2年の初出場から現代に至るまで、90年近くにわたって積み重ねた出場回数は、選抜38回に選手権が32回の計70回。春夏合わせればもちろん歴代最多であり、過去三度の全国制覇に続き、今春は選抜初制覇を果たしました。しかし、不動の横綱として君臨してきたかに見える平安も、長い歴史の中ではそれなりの浮き沈みがあったのです。
昭和一桁から40年代までは独走状態だった同校も、昭和49年の8強を最後に失速し、代わって昭和50年代に浮上してきたのが、長らく二番手に甘んじてきた京都商、つまり現在の京都学園でした。しかし、昭和59年に京都西、後の京都外大西が初出場を果たすと、今度は同校に覇権が移ります。その間雌伏していた平安が代表に返り咲くのは平成2年、実に16年ぶりの選手権でした。
同校による平成の選手権出場はこれを含めて6回。京都外大西が7回出場していることを考えると、今や平安も京都の盟主とはいえないのかもしれません。とはいえ、過去5年に限れば3回出場と息を吹き返してきており、上記の通り今春は選抜も制しました。再び黄金期が現出するのか、二強時代が続くのか、あるいは新興勢力が出現するのか。石川と同様、京都の高校野球界においても歴史の潮目が変わりつつあるようです。
京都の高校野球を語るとき、欠かせないのが初代王者の京都二中改め鳥羽です。当時出場したのはわずかに10校で、最低3勝すれば優勝だったという裏話はさておき、100年に及ぶ選手権の歴史は同校から始まったのでした。その翌年に連続出場を果たし、一年おいた第4回にも出場、と思ったところが米騒動で中止となり、勝敗なしで出場回数だけが記録されるという珍現象にも巻き込まれています。その後は長らく遠ざかるものの、戦後最初の大会で復活し準優勝。20世紀最後の大会では、54年ぶりの出場を果たしました。5度の選手権出場のうち4回までが歴史的な大会に重なったのは、単なる偶然とは片付けられない因縁を感じます。
京都二中が鳥羽ならば、京都一中は現在の洛北です。対する高等女学校は第一が鴨沂、第二が朱雀となって現在に至ります。校名からして気品を感じるのがいかにも京都ならではです。この手の上品な校名に関しては、全47都道府県の中でも京都が突出しており、ざっと挙げただけでも乙訓、嵯峨野、莵道、西舞鶴、東舞鶴、紫野などがあります。字面と響きに趣があり、試合結果を眺めるだけでも楽しめるのが京都大会です。
これまでの実績からすると、明日は大阪、兵庫、明後日は奈良、和歌山の各府県になるでしょうか。しかし、話題の豊富な近畿地方だけに、一晩で一府県にとどまる可能性も十分にあります。果たして何日で突破できるでしょうか(ニヤリ)
県別ネタを二、三日続けて一日休むというこれまでの進め方を維持すると、来週中に四国までは行けるでしょう。とりあえずそこを目指すことにします。後半でまず取り上げるのは近畿の二府県です。
★滋賀
東京の陰に隠れて目立たない埼玉と同様、京都の陰に隠れて目立たないのが滋賀です。95回中44回の出場は全都道府県の中で最も少なく、初出場は沖縄、宮崎に次いで遅い昭和28年。初勝利にいたっては、最も遅い昭和54年でした。MOSの空白県として最後まで残ったのは滋賀でしたが、選手権において最後の未勝利県となったのも滋賀だったわけです。
これに対し、選抜では意外に活躍しているのが滋賀の特徴でもあります。.260の勝率こそ新潟と台湾に次ぐ低さながら、37回の出場は、32回の埼玉と千葉、33回の沖縄、34回の宮城、栃木、長野、35回の福井といったところを上回っているのです。もっともこの結果は、近畿の出場枠が大きいという事実にも由来しています。たとえば6県に対して2枠しかない東北では、宮城と秋田以外は全て出場20回未満ですが、6府県に6枠の近畿では、大阪、兵庫、和歌山の3府県が延べ100回を超え、京都が84回、奈良も57回と、京都を除き選手権の出場回数を上回ります。そうすると、滋賀の37回は近畿の他府県と比較すべき数字とも考えられ、この場合には依然として滋賀の存在感の希薄さが浮かび上がってきます。
このように、高校野球に関しては最も歴史の浅い県の一つだけに、長年にわたって君臨したり、伝説を作り上げたりしたチームはありません。出場回数で最も多いのは10回の近江ですが、準優勝までした実績を有するにもかかわらず、そもそもどこにあるのか私は知りません。似たような存在が、三重県勢として最多となる11回の選手権出場経験を有し、選抜制覇の実績もある三重です。強豪がひしめく地方にあって唯一存在感が希薄という点で、近畿における滋賀は東海における三重によく似ています。
趣味的見地からいの一番に注目するのは、寛政年間に創立された藩校の流れを汲む、県下はもちろん近畿地方随一の伝統校彦根東です。
県内最古の旧制中学は県庁所在地にあるという経験則も、滋賀においては当てはまりません。市制施行こそ大津が先ながら、第一尋常中学を名乗ったのは現在の彦根東であり、大津に設置された第二尋常中学は現在の膳所です。高等女学校の歴史も彦根の方が古く、明治19年創立の彦根西に対し、大津は明治35年となっています。
その彦根東が、昨年はついに選手権初出場を果たしました。5年前の選抜に出場したはよいものの、例によって21世紀枠の注釈がつき、必然的に色眼鏡で見られてしまっただけに、その実績がまぐれでなかったことを証明したという点では快挙でした。選抜に二度出場した昭和20年代を上回る黄金期が、平成の世に現出するかどうかに注目です。
もう一校注目するのは近江兄弟社です。近江兄弟社といえば、誰もが「メンソレータム」の製造元を思い浮かべるのではないでしょうか。もちろん同校はその近江兄弟社と密接な関係にあります。滋賀を拠点に数多の洋風建築を残したヴォーリズが、建築と並んで様々な事業を手がけていたのは知る人ぞ知る話であり、メンソレータムも学校もその一つでした。21年前の選手権に出場した経験を有し、昨年は彦根東と代表権を争っての準優勝、一昨年は8強、それ以前の2年間は連続で4強に入るなど、毎年上位進出を果たしている有力校でもあります。
★京都
昭和一桁から私立の強豪が台頭し、現在に至るまで天下を保持し続けるという京都の高校野球の歴史は、愛知によく似ています。しかし、中京商を中心に三強が鼎立した愛知と違い、京都では王朝の興亡のごとく覇権が移り変わってきました。
京都の強豪といえば、言わずと知れた龍谷大平安です。昭和2年の初出場から現代に至るまで、90年近くにわたって積み重ねた出場回数は、選抜38回に選手権が32回の計70回。春夏合わせればもちろん歴代最多であり、過去三度の全国制覇に続き、今春は選抜初制覇を果たしました。しかし、不動の横綱として君臨してきたかに見える平安も、長い歴史の中ではそれなりの浮き沈みがあったのです。
昭和一桁から40年代までは独走状態だった同校も、昭和49年の8強を最後に失速し、代わって昭和50年代に浮上してきたのが、長らく二番手に甘んじてきた京都商、つまり現在の京都学園でした。しかし、昭和59年に京都西、後の京都外大西が初出場を果たすと、今度は同校に覇権が移ります。その間雌伏していた平安が代表に返り咲くのは平成2年、実に16年ぶりの選手権でした。
同校による平成の選手権出場はこれを含めて6回。京都外大西が7回出場していることを考えると、今や平安も京都の盟主とはいえないのかもしれません。とはいえ、過去5年に限れば3回出場と息を吹き返してきており、上記の通り今春は選抜も制しました。再び黄金期が現出するのか、二強時代が続くのか、あるいは新興勢力が出現するのか。石川と同様、京都の高校野球界においても歴史の潮目が変わりつつあるようです。
京都の高校野球を語るとき、欠かせないのが初代王者の京都二中改め鳥羽です。当時出場したのはわずかに10校で、最低3勝すれば優勝だったという裏話はさておき、100年に及ぶ選手権の歴史は同校から始まったのでした。その翌年に連続出場を果たし、一年おいた第4回にも出場、と思ったところが米騒動で中止となり、勝敗なしで出場回数だけが記録されるという珍現象にも巻き込まれています。その後は長らく遠ざかるものの、戦後最初の大会で復活し準優勝。20世紀最後の大会では、54年ぶりの出場を果たしました。5度の選手権出場のうち4回までが歴史的な大会に重なったのは、単なる偶然とは片付けられない因縁を感じます。
京都二中が鳥羽ならば、京都一中は現在の洛北です。対する高等女学校は第一が鴨沂、第二が朱雀となって現在に至ります。校名からして気品を感じるのがいかにも京都ならではです。この手の上品な校名に関しては、全47都道府県の中でも京都が突出しており、ざっと挙げただけでも乙訓、嵯峨野、莵道、西舞鶴、東舞鶴、紫野などがあります。字面と響きに趣があり、試合結果を眺めるだけでも楽しめるのが京都大会です。
これまでの実績からすると、明日は大阪、兵庫、明後日は奈良、和歌山の各府県になるでしょうか。しかし、話題の豊富な近畿地方だけに、一晩で一府県にとどまる可能性も十分にあります。果たして何日で突破できるでしょうか(ニヤリ)