TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

疾病利得

2010年06月06日 | インポート
 肩と首のコリと痛みが強くなり、整形外科に通うようになってひと月がたつ。
まるで寝違えたような軽い痛みが続く。
 30代の頃は、放っておいても自然に治ったのにと、こんなところで、自分の年齢に向き合わされる。

 何年ぶりだかで訪れたクリニックには、新しい理学療法の機械がたくさんとり揃えられている。
一見、全部試してみたいような、ちょっと遊び心を刺激される代物である。
 先生がわたしのために見つくろってくれたのは、ふたつ。
 ウォーターベッドに横たわり、その下をローラーがまんべんなく通過していくものと、
肩に張り付けられた吸盤からの、通電作用によって刺激を与えるもの。

 これらの療法、毎日のようにせっせと通うことが、大切なのだとか。
 しかし、坂の上にあるクリニックにわざわざ足を向けるのは、億劫である。
さらに、8分ずつという短い時間とはいえ、何もせず、
じいっとしているのは、せっかち人間にとって、あまり愉快なことではない。

 おおっ、効いてる効いてる、といった明らかな効果を感じにくいということもある。
そもそも、それほど痛みが強くないので、熱心に通おうという動機づけそのものが弱い。
 そこで一週間に一度ほど申し訳程度に顔をのぞかせる。
そのせいかどうだか、症状の変化が全くない。
しかしそんなことを言うと、機械のせいではなく、こちらの怠惰のせいにされそうなので、
少しばかり痛みが和らいだようです、などと診察の時に、つい言ってしまう。
 

 先日、読売新聞の朝刊で、慢性痛についてのシリーズを組んでいた。
この痛み、器質的な原因が見つからない場合、精神的なことが原因になっていることも多いとか。
「痛いと良いことがある」と、脳が認識すると、痛みが治らないのだそうだ。
つまり、痛みをアピールすることで、重い荷物を持ってもらえるとか、優しい言葉をかけてもらえるとか、
他人からの援助を引き出せるということである。
  そういう意味では、最近流行りの、鬱なんかも同じ類かもしれない。
 実際、痛みには、抗鬱剤が効く場合も多いらしい。

 さて、わたしにとっての、「痛いと良いことがある」は一体なんだろう。
意識の中では、早く治りたいと思っていることは確か。
後ろを振り向くとき、首だけねじ曲げることができず、からだこと動かさなくてはならないのは、
不便である。

 大した痛みではないので、仕事ができないというほどでもない。
職場の誰にも、話していない。
 そもそも、仕事中は、慌ただしさに気が紛れ、かえって痛みを感じなくて
済むくらいである。
  むしろ、休日、パソコンに向かっている時が一番、肩や首筋の張りは強くなるようである。
パソコンを前に、さあ、ブログを、とページを開く。
が、ネタが見つからない。
文章がまとまらない。
 あっちのサイトこっちのサイト、天気予報までくまなくチェックしても、まだ
一文字も書けない。
 座イスの上で、じいっと座ったっきり、時間ばかりが過ぎる。
そんな時だ。
肩と首のコリと痛みが、一気にやってくる。
 もう、限界。と湿布を貼りに、立ち上がる。
心の中からは、いいよ、いいよ、もう。こんなに肩も首も痛いんだし。もう寝ようね、という声がする。
 かくして、パソコンの電源を落とす理由が見つかったわけである。

 疾病利得は、何も、他人からの助けやフォローを引き出したいがためにだけあるわけではないようだ。

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