TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

戦戦兢兢

2020年03月14日 | インポート
テレビをつければ、つい、「本日のコロナ情報」をチェックしてしまう。
東日本大震災のあと、日々報道される放射線量を見てどれだけ減ったか増えたか、どこの地域がアブナイかを自己判断していたのを思い出す。

今や、オリンピックよりも、新型コロナのほうが、全世界の共通した話題だ。
見えない敵に向かって団結して戦う、という一体感も、国ごとの勝負を超えているぶん、コロナのほうが強烈だというのも、皮肉である。わたしたちひとりひとり全員が、戦っているのだ。
感染症対策を徹底して行っているためか、職場(保健所)に報告されるインフルエンザの発生件数が圧倒的に減少した……。
気が進まなかった集まりが、この自粛ムードで中止になった……。
大相撲が無観客で行われることで、場の真剣さや力士の息遣いがかえってよく伝わってきたという感想もある……。
不安感の裏返しか、プラスの面に敢えて目を向けようとしてしまう。


一方では、オリンピック・パラリンピックの華やかな話題は相変わらずだ。
まるで、世界中を不安に陥れている感染症など存在しないかのよう。主催者側はやる気まんまんである。
開催という目標を掲げれば、一致団結して感染拡大防止に取り組もうという意欲もわくかもしれないという思いがあるのだろうか。
報道は不安感をあおることもできれば、希望を持たせることもできる。
その効果は絶大なのだ。

ご近所に目をやってみれば、ドラッグストアでは、マスクだけでなくトイレットペーパーも相変わらず入荷待ちで入荷日未定。トイレットペーパーにいたっては、棚ごと消滅している。
わたしは以前から、使い捨てマスクの再利用をしていた。
しかし今回は、何度も洗うせいか、肌触りは柔らかく付け心地はよくなったが、表面はもへやのように毛羽たち、ヒダもとれてきてしまった。
そんなマスクでも、なんとなく「防いでる」感じはするが、機能性は怪しいものだ。

19日の聖火引き継ぎ式は観客なしで行われるらしい。
そうまでしてやるのね、やっぱりやるのね、という感想しか持てない。
聖火を持って走るんだったら、マスクを持って走らせて各戸に配ってほしいと思うのである。









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