TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

”ひとり映画”で困ること

2010年07月17日 | インポート
 映画『トイストーリ3』を観に行った。
シリーズ1作目は、小学生になるかならないかの息子を連れて行った記憶がある。
あれから15年ほどたったのである。 

 土曜日とあって、お父さんお母さんに連れられた子供たちという組み合わせが多く、
ひとりで入るのが、ちと憚られた。

 映画をひとりで観に行って気まずいのは、
チケット売り場で、「大人1枚」
と言う時でもなく、
広々とした劇場内の隅っこに、ポツネンと座っていることでもない。

 クライマックスあたりで泣けてしまった場合である。
映画が終わり、キャスト一同の字幕がつらつらと画面を流れる。
 この間に、なんとか鼻をすすれるだけすすり、涙を完璧にぬぐい、メガネについた水滴を拭きとるのだが、
泣きの痕跡というものは、そう簡単に消えるものではない。
 場内の照明がついて、明るくなった映画館というものほど、一気に現実に引き戻される
というか、白々とした気分にさせられるものはない。
 相棒がいる場合は、泣けたよね~、ウルウルしたわあ、とか何とか、
照れ隠し的な会話をしながら、場を収めることができるのだが、
ひとりだとそれができない。
 本当はしみじみと映画の余韻に浸りたくても、それは後回し。
まあ、こんなもんでしょ、みたいな、気取った風を装いつつ、(多分だーれも、こっちを見てないんだけど)
とりあえず、この間が持たない空間から脱出しようと試みる。
 
 そこで第2の難所が待ち構える。
それは、上映終了時刻を見計らって、出口付近に待ち構えているスタッフの視線である。
お見送りモードで、
「ありがとうございましたあ」
と、ご丁寧に挨拶してくださるのだが、その時に、
「こいつ、泣いたのかどうか」
をさりげなくチェックを入れられているようで、気恥かしい。

 ここでも、相棒との会話に取り紛れながら、というテクニックが使えない。
彼らとのストレートな接触である。
しかも今回は、3Dメガネを返却しなくてはいけない。
その分、スタッフとの接触も、やや長め。
 あ、どーも、どーもみたいに、中途半端なお辞儀を返したりなんかして、
足も小走り、映画館とは無関係な空間に、一刻も早く
身を置こうとするのである。

 今日もまた、そんな自意識過剰が働いてしまった映画鑑賞であるが、
考えさせられたり、ハラハラしたり、そして泣けたりと、
評判どおりの、いい映画ではありました。

コメント
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