廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

旧石橋町 下古山小学校

2015年03月20日 10時28分38秒 | 栃木の廃校
旧石橋町で廃校になった二校を見てきました。
共に1969年に統合によって閉校した下古山小学校と上古山小学校。
現在は国道4号線を中心に宅地化が進んでいますが、
周辺はまだまだ田畑が広がっています。

古い地図を照らし合わせると下古山小学校があった場所には
児山城という上杉謙信によって攻め落とされた城跡があるようですよ。
そしてこの児山城ですが堀や土塁が非常に良く残っていて、
城マニア以外でも歴史好きには楽しめそうです。

その児山城の隣にある華蔵寺とほぼ敷地を共にする場所に
下古山小学校跡はありました。
創立時はお寺の境内に校舎を置いていたのかもしれません。
現在は「ふれあいの郷 児山館」という地域コミュニティの施設になっています。

1969年の閉校ですので遺構は二宮像を残すのみですが、
この二宮像なかなか個性的で今まで見たことの無いタイプでした。
栃木県内の二宮像のほとんどが左手に書物を持ち、
右手を薪を背負う背負い紐にかけているのがほとんど。

しかし、ここの二宮像は右手に書物、
左手は背負った薪に後ろで手を添えています。
後ろをよく見ると
背負った薪は一本の紐で結わえられています。
これでは途中で薪がずれてしまい運ぶのにも大変そう…。
普通は両脇を結わえて担ぐものですがこの二宮くんは
ちょっと手を抜いてしまい、
運搬の途中で薪がずれて思わず左手で薪を押さえている状況のようです。

なんかよく見るとお顔もちょっとヌケてそうな顔です…。
そう見るとこの書物も週間ジャンプに見えてきました。

ちなみに震災の影響か左足はコンクリートで補強。
一見義足のようにも見えます。

この二宮と作者が同じと思われる「スカート二宮」はこちら。
旧石橋町と上三川町は隣同士。同じ石工の作と推察するがどうでしょう。

二宮訓
「最初手を抜くと後々大変な目に遭う」





この石工は手がでかくなってしまう特徴がありますね。
左足首は折れた跡があります。



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