廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

群馬県 旧黒保根村 黒保根中(小)学校 楡沢分校

2018年07月09日 15時48分28秒 | 群馬の廃校
先週、上田沢小学校としてアップしたこの記事ですが、
その後沿革などを調べていくうちに誤りであることがわかりました。
正確には黒保根中学校 楡沢分校であることがわかりました。
小学校とばかり思っていましたが中学校の分校でした。
残されたバスケットコートやサッカーゴールが小学校にしては大きいなと思っていましたが、
中学校であるなら納得です。
黒保根中学校のHPの沿革を見ると
27年3月31日 黒保根中学校楡沢分校開校
48年3月29日 楡沢分校廃校(開校以来21年)と記されていました。

21年間で廃校となっていますが近くに小学校はなく、
小学生はどうしていたのか疑問が残ります。
スクールバスがあったとも思えずこの近くに小学校の分校があったのかもしれません。
あるいは小学校の分校も兼ねていたのかもしれませんが、
黒保根小学校の沿革には上田沢小学校、柏山小学校、宿廻小学校との統合の記載はありますが
分校が記述は見つけられませんでした。
しかし、黒保根村村史の目次の中に楡沢分校(第二分教場)や、
楡沢分校(小・中学校) 昭和三十年三月ーへき地集会室の建築 昭和三十九年三月 ー全部改築などの記述が見られることから、
小中併設の分校だった可能性もあります。
いずれにしてももう少し調べる必要がありそうです。





最近テレビで面白いなーと思っている番組に
所さんがやっている「ポツンと一軒家」がある。
山の中にある一軒家を目指して住んでいる人を取材する番組だけれど、
空き家だったりする場合も相当多そうだが、グーグルあっての番組。

地図好きにとっては、昔の地形図を眺めながら空想するのも楽しいが、
グーグルの写真を眺めるのもまた楽しいものだ。

そんなグーグルの写真と過去の地形図を見比べることのできるサイト、
「今昔マップ」を見ていて発見した、旧黒保根村上田沢小学校。
グーグルの写真を見ても周囲にはほとんど人家らしきものはなく、
わずかに釣り堀と廃屋が数件あるのみ。

学校跡には2棟の校舎らしき建物が確認でき、
廃校になった1971年を考えると木造校舎の確率が高そうだ。


学校跡は山の中にあり道路からのアプローチは杉の枝や落ち葉が重なり、
しばらくクルマでアクセスした形跡はない。
なんとなく野生動物の匂いも感じられる…。
クマ出没エリアだしちょっと不安。

坂を登りきると鮮やかなクリーム色の校舎が現れる。
木々の緑と相まってとても綺麗だ。
山の中の学校なので1階建てかと思っていたら2階建ての校舎。
廃校後47年経っているとは思えないほどだ。
校舎と向かい合って体育館も残っているが、
この体育館は校舎よりもずっと古そうだが…。


体育館の中を撮影しようとしたら中から子犬ほどの動物が飛び出してきた。
一瞬、ドキッと身構えてしまったが現れたのはタヌキ。
いやー、ビビりました。

廃校後47年が過ぎていますが
校舎や体育館、遊具類に至るまでよく残っています。
一部完全に倒壊した建物がありましたが職員住宅の類でしょうか。

しかし、こんな山奥で人家もまばらな場所に残る学校は不思議な感じがします。
旧黒保根村は林業や養蚕が盛んだったようですが、
学校があった時期には林業集落などがあったのかもしれません。


坂を登ると見えて来る校舎。振り返るとアプローチの坂はなかなかキツイ。







閉校後は一時は他の施設として利用されていたようだ。














下から手が出てきそうなトイレ





ちゃんと給食を作っていたんだね。



校庭を挟んで体育館がある。
クラシカルな作りは美しい















バスケットのゴールも残っていた。





体育館の床にグリム童話



完全に倒壊した建物
教員住宅だろうか



物置前に放置されたストーヴ



校庭の隅に焼却炉があった
最近はダイオキシン問題で校内での焼却はなくなりましたね


学校近くにあった廃屋
かつては子供達の声が聞こえていたのでしょうか




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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
「にれさわ」かと思ったら「ねりさわ」だったのだ! (4あほの一人 はじめっち)
2018-12-25 13:31:37
はじめてですが、いたずらくがきします。

3週間以上前に花輪小学校を見に行った時に
上神梅で神梅小学校の関係者にお話を聞くことができました。
その中で「村には上神梅を含め、5つの分校があった」という
情報を聞き(平日だったので花輪小学校はお休みということもあって)、
水沼の公民館内の図書室で半日、村史等を調べていました。
神梅の関係者の方は「もう分校に行く道は残ってないから行けない」
とおっしゃってましたが、地元に行くと
古い地図とは全く違っているそうで、水口屋さんと釣り堀屋さんの情報で楡沢分校まで行くことができました。
元々から小中学校で、村史によれば元々が小学校分校で、
戦後、中学校併置となった…と思います。
給食も楡沢分校においては「センター方式」を取らず
(といっても、輸送に困難を伴ったといった方がいいかもです)、
多い時には40人以上の給食の準備を
女性の公務補さん一人で賄っていたそうです。
県の給食研究大会?で特別表彰されたとの話も残っています。
釣り堀屋さんの話によれば、7~8年前までは、
「材木屋さんが借りてた」ということでしたが、
それ以降、訪れる方も稀だということでした。
・・・旧道は確かにアクセスできませんでしたはじめっち
返信する
多分、建物崩壊跡は旧校舎と教宅がくっついた建物かも…なのだ (4あほの2匹 みならいかのん&つるみん)
2018-12-25 13:58:08
分校の中には、低学年・あるいは低・中学年の間だけ、
分校に通い、5年生以上からは本校に通う制度がありました。
冬季は寄宿舎制度など、高学年から中学生はそこから本校に通う
そんな方式も取られていましたが、ホームシックなど、
生々しい問題点も抱えていたようです。
統廃合の抵抗運動や、特に「神梅」と
「宿廻」の合併や町村の合併に関わった問題など、複雑な話も見えました。
・・・「古老に話聞ければねぇ…」って職員の方がおっしゃってましたみならいかのん

あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、
「楡沢」のほかにも、「宿廻」とか「柏山」にも行ってきたのだ。
「楡沢」「宿廻」の合併問題が破綻した上に、
「神梅」地区が大間々町に部分合併したことについて、
よそ者の自分らにいろいろ話してくれた地元に人に感謝なのだ。
・・・「学校めぐり」してるとこういうこと往々にしてあるのだつるみん



返信する
回収したほうがいいのかどうか迷ったんすが、結局放置したす。 (4あほ ゆたか)
2018-12-25 14:27:01
4あほの一匹っす。元道民っす。
基本、自分らは入口が破鍵されれても中には入んないんすが、
村史にあった「給食室」の存在をどうしても確かめたくて中に入ったのっす。
欲望さ負けたそういう自分らに言える資格はないのんすが・・・
中に入ると、ライターの使えるものが数本、
ロケット花火の未使用が廊下に散乱・放置してあったのす。
以前の所有者のものか、それ以降のものか、わからないっすが、
(ライターは厚沢部の死亡車両火災以前のものにも見えるっすが)
ここで何らかの失火があったら、山火事ものっす。
あと、階段踊り場?上に、自分らから見れば悪意のある悪戯が…
今の時代、いろいろな趣味や表現者がいるのんすが、
肝試し会場?にでも使ったんだろすか?
いずれにしても使い終わったら片付けてほしい…
ってば、言う資格はないんだども、
こういう「遺産」に悪戯するヤツ、どうもなじめないっす。
・・・「自然に戻る」以前にマジ火災怖いっすゆたか
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Unknown (まさに)
2021-03-07 04:58:28
禅寺
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