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星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

賀茂川散歩

2015-03-22 | 散策・旅
3月22日、2週間ぶりの休日。あったかかった~。
ずーーーーーーーっとよゆうのない日々が続いているので、
気分転換と運動を兼ねて賀茂川をのんびり散歩することに決定。
神戸や大阪は日常の延長になるけど、京都はちょっと違うから。



大田神社のかきつばたの見頃は5月だけれど、花のない季節は
どんなものかと思い立ち、行ってみたけどこんな感じ。
ご近所に北大路魯山人生誕地、と書かれた石柱があった。



上賀茂神社境内では手づくり市の開催中だった。
お詣りしてから川に下りてみると、鳥たちがいっぱい。
この風景にいつも癒される。
ちょうど捕食の真っ最中だったらしく、頭を水の中につっこん
で逆立ちしている光景があちこちに。



はっけーん。
もしかして、番いと思われる2羽の捕食には2タイプある?
ひとつは2羽がいっしょに逆立ちしてシンクロしてるパターン。
もうひとつは、2羽が交互に餌を捕って、必ず1羽が見張りを
しているパターン。

そんなどーでもいいことに感心しながら歩いていると、黒雲に
背後から追いつかれ、途端に雨!まさかの雨。
急きょ京阪で四条へ。



高島屋で開催中の「細見美術館 琳派のきらめき-宗達・光琳・
抱一・雪佳-」展は、明日が最終日のせいか、思ったより人が
多かった。ふだん細見美術館に行ったとしても、こんなに一度
に見られることはない。琳派とはいっても知らない名前の絵師
がずいぶんたくさんいるものだと思った。
琳派の作品はグッズにすると映える。
3月の終わりまで、もうひとふんばり。
ついでに誕生日もすぐそこ。
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修二会8日目のお松明。

2015-03-13 | 散策・旅
3月8日、日曜日。東大寺二月堂のお松明を見てきました。
頭の上から火の粉が降ってくる、ってほんまやったんや~~~。



と書いてみたけど、うそ。真下で見ていたわけではなく。
じつはこーんなに遠いのだ!(笑)



四月堂の前だから、外側の群れのほぼ最後列からじっと見つめて
いたわけだけどね。でも、煙が風に乗ってやってくるし、杉葉の
焼けるにおいまでちゃーんとする。映像とは違うぞ。

二月堂の「お水取り」は正式には「修二会」とい、2週間に渡って
行なわれる。西暦752年から一度も途絶えたことがないそうだ。
夜に松明を持って走るのは「お松明」と呼び、練行衆の足元を
照らす道明かりなのだそうだ。
このお松明は3月1日から14日まで毎夜見ることができる・・・
ということを知ったのは去年。てっきり年に1回だと思ってた~。



昼間に東大寺ミュージアムの映像と、奈良国立博物館でお水取り
の展示・映像を見ていたから、予習はバッチリ!
昼間も二月堂周辺でうろうろしたので、行の一端を垣間見ること
もできた。明るいうちによく見ると、練行衆が歩く本堂通路の床
は長年の使用で激しい凹凸になっている。ここを夜に通るのだから、
たしかに足元には注意しないとね。



待機している間に、お水取りの意味についてのガイダンスが流れる。
世界の平和、国家安泰、人々の息災、五穀豊穣を祈って行われる、
というようなことだったと思う。



午後7時過ぎ。最初のお松明が上堂してくると、二月堂の向かって
左端に大きな火が現れた。そのまま一気に走り去るのではない。
遠くから見ていると火しか見えず、左端で停止してなにやら独特
の動きを見せるので、まるで生き物みたい。高く伸び上がって見
下ろす様は、神戸の南京町で見る春節祭の獅子のようにも見えた。
急にぐるぐると旋回して、勢いよく撒き散らす火の粉が綺麗!
それから通路を走って右端まで行き、再び停止。そこで旋回やら
ヘドバン(笑)したりしながら火の粉をフリフリ振り落とす。
闇に降る火の粉がウツクシ~~~~~~!
全部で10本の松明が順々に上堂するのだけれど、1本1本に個性が
あり、動きや走り方も違う。さしずめ松明の顔見世状態。
左から右に移動するときにサーッと斜めに火の粉のカーテンを引い
てゆく見事な松明があり、思わず、わあ~♪と声が出た。すると、
大勢の見物客からも拍手が起きていた。

花火でもない。もっと静粛。鞍馬の火祭とも違う。はじめての興奮。
お堂の間近なら声明も聴こえたのだろうか。顔も火照るのかな。




焼け落ちた杉葉を皆さん拾って帰られるそうで。
私もチャッカリ! 実はこれは二月堂の休憩所で昼間にいただいた
「燃え差しの杉葉」で、災難除けになるとのこと。
持ち帰って半紙にくるみ、いまは台所の上に吊るしてある。


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京の冬の旅~頂妙寺・建仁寺霊源院

2015-01-11 | 散策・旅
「第49回京の冬の旅」非公開文化財特別公開から。
今日11日に訪ねたのは、頂妙寺と建仁寺霊源院。

リストアップされている文化財は毎回変わっているわけでは
ないので、未見のものを選ぶとなるとほんの一部になる。
今年は3つだけ。そのうちの2つに行ってきた。
初公開でなれていないせいか、公開内容や解説がちい~っと
ばかしさびしい気がする。こちらはありがたく見せていただく
立場なので何も言えないのだけれど・・・。
そういえば、今年は大河ドラマにちなんだ場所や史蹟がない。



●頂妙寺
仁王門には金剛力士ではなく、多聞天(左)と持国天(右)が
安置されている。どちらも運慶・快慶作伝。
寺の前からまっすぐ東に行くと南禅寺に突き当たる。その道が
仁王門通と呼ばれているが、その名前の由来となったのが、この
この頂妙寺の仁王門だったことを初めて知った。



大本堂の須弥壇は日蓮宗の仏像配置になっている。
織田信長の策謀により安土宗論で破れたが、秀吉の時代になって
布教を許された。



<寺宝>
琳派400年にちなみ、寺宝として俵屋宗達筆の「牛図」を展示。
宗達の没後に寄進されたものだそう。
墨のたらし込みという技法で、つなぎを解かれた牛を描いたもの。
掛け軸の牛の絵そのものはとても小さく、しかも二幅あるもの
を同時に展示せず前期・後期に分けて展示する。(ガックシ)
「蓮紙織画」は一定の幅で裁断した絵と白紙を縦糸と横糸に織り
込んだもので、これが伊藤若冲の桝目描きの着想のもとになった
のでは考えられている。な~るほど。宇多田ヒカルの「SAKURA
ドロップス」のPVにも登場したあのゾウの絵がそのひとつだ。
境内の墓地には俵屋宗達の墓と伝わる墓石もあった。



●建仁寺霊源院
建仁寺の塔頭寺院「霊源院」。
今回公開されている「中厳円月坐像」は五山文学を代表する高僧
の木像で、国の重要文化財。一部修復後の初公開。
南北朝時代の肖像彫刻の傑作といわれており、玉眼をはめた等身
大の像の表情があまりにリアルなのでびっくり!
修復中に見つかった胎内仏、小さな毘沙門天も同時公開。
どちらも慶派の仏師が手がけたもの。毘沙門天が手に持つ小さな
砲塔というか玉のなかには伝教大師が持ち帰ったとされる仏舎利
が入っているという。
室内には他に「也足軒」と「妙喜庵」の2つの茶席がある。




<メモ>
五山文学とは鎌倉末期から室町時代にかけて禅宗寺院で栄えた
漢文学のこと。霊源院はその最高峰の寺院のひとつ。

建仁寺周辺は十日戎で賑わい、大変混雑していた。


このあと冬の旅から離れて、京都三熊野の完結編。
熊野神社にお詣りして本日終了。


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社寺・周辺散策メモ(10)2015年後半(更新中)

2015-01-06 | 散策・旅
重複回避また記録として、訪問したら記録するページ(10)。
記録優先!随時追記あり。

京都は★、奈良は●、その他は■

2015年
<7月>
5日
■勝尾寺(西国二十三番札所)
紫陽花がまだ見られると聞きお参りした。
赤い仁王門の向こうにお浄め橋があり橋の下からミストが出ていた。
勝ちダルマ納め所があるのが独特。このダルマはただ一つのお願い
ごとに対して直接目を入れるお守りであるとのこと。「次のお願い
ごとをしてはいけない」と書かれていた。
参道や屋根や燈籠などいたるとことに飾られている小さなダルマは
おみくじのダルマさん。
歴史を感じる建物、お堂がたくさん。ボリュームはないけれど、
紫陽花もきれいだった。

11日
祇園祭。鉾建てを見て回る。(※ブログに

19日
●奈良散策
日本聖公会 奈良基督教会礼拝堂を見学。(※ブログに

白鳳展(奈良国立博物館)
薬師寺の薬師三尊の月光菩薩、法隆寺の夢違観音から、たくさんの
金銅仏、押出仏、出土品にいたるまで。
ポスターにもある伝橘夫人の念持仏である阿弥陀三尊像は背後の
屏風と底部の蓮池が一体に考えられたデザインが見事だった。
薬師寺の月光菩薩は光背なしの状態で近づいて360度から見られる。
キュッ絞って捻った腰や逆三に盛り上がった背中、法衣のディテール
などまでじっくり拝見できた。これは展覧会じゃないとムリ。
国宝・重要文化財がぎっしりで、今までに現地のお寺で拝観したこと
のある仏さまもけっこうあった。私が白鳳仏を意識し始めたのは奈良の
般若寺だったと思う。
鶴林寺のあいたたの観音にも再会。横から見ると笑顔が倍増!
仏頭(国宝)は8月後半にお目見え。興福寺の国宝館で二度ほど拝見
しているので今回はよしとする。
まだ拝観できていなかった奈良・正暦寺のご本尊、薬師如来倚像を
初めて見ることができた。博物館では白い仮の台に坐られているがお寺
では何の上に越し掛けておられるのだろう。
野中寺の秘仏、弥勒菩薩半跏像は金銅仏の中でもめずらしい坐像で
頭部の飾りや法衣の模様などが緻密で細かいつくりだった。

26日
■大龍寺(神戸)
急きょ出かけられることになり、近場である地元神戸のお寺へ。
再度山にあり、以前にも来たはずだがゆっくり拝観したのは初めて。
和気清麻呂の開基になる。弘法大師が入唐の前に求法を祈り、帰朝の
のちに再び登山したことから「再度山」の名がついた。大師道という
名の参道(登山道)もある。
ご本尊は秘仏である如意輪観音立像。7月の土用の入りに法要があり
御開帳になるらしい。ちょうど1週間前だったとのこと。
如意輪観音で立像はめずらしい。ご朱印をいただく際にカラー写真
を見せていただいたが、ちょっと室生寺の阿弥陀さまを思い出した。
境内から再度山山頂に向かう途中、岩の上に弘法大師作とされる亀石
があった。
帰りは大師道を下り、猩々池に出て諏訪山方面へ。青もみじがきれいな
登山道で、途中で出会った人にも秋の紅葉が素晴しいと聞いた。
季節を変えてまた登ってみよう。

<8月>
2日
■高月の観音さま(滋賀県)
「第31回観音の里たかつきふるさとまつり」で湖北にある高月へ。
1年にこの日だけ開くお堂や、ふだん見られない仏さまを見せていただ
ける。私たちが拝観できるのは暑い中お世話してくださる地元の皆さん
のおかげ。いっぱい見て、歩いて、地元の人たちとお話して癒されました。
冷えたお茶、お菓子、西瓜をごちそうになり、ありがとうございました。
拝観したお寺9社。
磯野寺(小さな十一面観音立像、三光の松)
赤分寺(金色の十一面観音立像)
尾山釈迦堂(重文の釈迦如来座像、大日如来坐像)
雨森観音寺(千手観音立像。袋かけ観音:頭上で手を重ねる清水寺式)
保延寺観音堂(小さな千手観音立像)
円満寺(阿弥陀如来立像は整ったお顔。拝観料300円)
理学院(聖観音菩薩立像、百体観音像、浅井長政の母親の住まい)
浄光寺(白いお顔の十一面観音立像)
柏原阿弥陀堂(阿弥陀如来像、薬師如来・日光・月光・十二神将、
長浜市指定自然記念物のケヤキの大木)
北近江リゾートでランチ。

9日
★京都国立博物館
特別展観「第100回大蔵会記念 仏法東漸―仏教の 典籍と美術─」
小金銅仏
★京の七夕(鴨川)、迎え鐘(六波羅蜜寺、六道珍皇寺)

14日
■粉河寺(和歌山県)






粉河寺前から南の山を望む



根来寺(和歌山県)
見上げる三尊に圧倒された「大傳法堂」。ご本尊は大日如来、脇仏は
金剛薩埵(こんごうさった)と尊勝仏頂。
境内のどの角度、どの場所から見ても、塔内に入って中を拝観しても
素晴しい「大塔」。この形で高野山を思い出したが、今ではこちらの
ほうが古い。日本最大の木造多宝塔で、明治32年に国宝に指定。
弘法大師の像をお祀りする「大師堂」の須弥壇。大傳法堂、大塔ととも
に、豊臣秀吉の紀州攻めの焼打ちを免れたもの。
奥の院の御廟所に眠る覚鑁(かくばん)上人。ここでも高野山を感じる。
ご朱印をお願いしている合間に、覚鑁上人のお像を安置する光明殿を
見せていただいた。修行僧が授かる守護札らしきものも見つけた。
外に出て夕陽を受けた大門を見たとき、やっぱりここは高野山、プチ
高野山だという思いがした。
現在は「新義真言宗」のお寺だけれど、弘法大師入定から300年後に
真言密教の教学修行を復興した覚鑁上人の思いが隅々にまで行き渡って
いるように感じられ、余韻に浸りながら帰途についた。








16日
★福勝寺、清和院(洛陽第三十三番)
★千本釈迦堂(送り鐘、行快作の釈迦如来坐像1年に一度のご開帳、
霊宝館再訪。快慶作の木造十大弟子立像、定慶作の六観音像ほか)
★五山の送り火

<9月>
13日
★神光院(京都三弘法のひとつ、明治の女流歌人蓮月尼ゆかりの茶室ほか)
大将軍神社、西方寺(蓮月尼供養碑)、霊源皇寺(岩倉具視ゆかりの寺、
外だけ)、上賀茂神社(式年遷宮)、二葉姫稲荷神社(上賀茂さんの奥)








賀茂川をさかのぼって神光院ほか西賀茂を散策。上賀茂神社に
お参りした後、再び賀茂川・鴨川をゆっくりあるいた。
ランニングする人、楽器を演奏する者、ベンチで女子会、犬の散歩、
寝そべったり、キャッチボールしたり・・・思い思いに過ごす夕暮れ時
の鴨川の気持ちいいこと。川の上を滑空するとんび、鴨川に最もふさわ
しいマガモ軍団、カモを牽制しながら段差の下で魚を狙う白サギ。
川を往復している間にヌートリアを3頭見つけた。ヌートリアに餌をやら
ないようにと注意を促す看板がまだ新しかった。




2~3週間ほど休めずまったく歩いていなかったため、足のコンディション
が最悪だったが、5時間ぐらい歩いたおかげで足の痛みがスッと消えた。

20日
■室生寺
※ブログ「室生寺の「灌頂堂」特別開帳。」に。

23日
■無動寺
箕谷~衝原

<10月>
4日
★直指庵
嵯峨野・嵐山界隈
※ブログ「嵯峨野から嵐山へ。」に。

12日
■大津市歴史博物館
★毘沙門堂
※ブログ「大津市歴史博物館と毘沙門堂(1)」に。
※ブログ「大津市歴史博物館と毘沙門堂(2)」に。

18日
■安楽寺(若狭)
■高成寺・栖雲寺・常高寺(小浜)
※ブログ「みほとけの里・若狭(1)安楽寺」に。
※ブログ「みほとけの里・若狭(2)高成寺と栖雲寺」に。
※ブログ「みほとけの里・若狭(3)常高寺」に。

25日
■東山寺(淡路島)
勤王の志士と廃仏毀釈~歴史秘話にいろどられた淡路島の古刹。







31日
★東寺(灌頂院、講堂、金堂、五重塔初層)
★京都国立博物館
※ブログ「京都国立博物館」で「琳派誕生400年記念 琳派 京を彩る」に。

<11月>
7日
★西方寺(阿弥陀如来坐像)
★金戒光明寺 秋の特別公開:山門(天井画「蟠龍図」、市内一望の絶景)
 御影堂・大方丈・庭園(伝運慶作・文殊菩薩像、吉備観音像、
 伊藤若冲筆「群鶏図」屏風、虎の襖絵、紫雲の庭と回遊式庭園)
★西雲院(紫雲石)
★真如堂
※ブログ「京都・西方寺~金戒光明寺~真如堂」に。

15日
★醍醐寺(2015年醍醐寺霊宝館秋冬期特別展「宗達とその時代」)
 俵屋宗達筆の「舞楽図屏風」「扇面散図屏風」「芦鴨図衝立」
 (舞楽図屏風、扇面散図屏風は京都国立博物館の琳派展に陳列されて
  いたもので、こちらは人も少なくゆっくり観られた。)
 薬師三尊像の薬師如来坐像・日光菩薩像・月光菩薩像(国宝)ほか
★坂上田村麻呂の墓
新感線の「阿弖流為」を見て思い出した。死後もずっと都を守護し続けて
いる将軍の姿を想像し切なくなったので、再びこのお墓にお参りした。
プレートの説明書きによれば、「この墓には、平安前期の武将坂上田村麻呂
を葬っている」とある。さらに「嵯峨天皇の勅により甲冑・剣や弓矢を
具した姿で棺に納められ、平安京に向かって立ったまま葬られた」とのこと。
明治28年の平安遷都千百年祭にさいし整備されたこの墓地は現在、住宅地の
真ん中にあり、隣りには児童公園もある場所。
小野篁の少年期の話を書いた『鬼の橋』(伊藤遊著、福音館文庫)には、
死後も甲冑姿で都を守り続ける将軍の話が出てくる。冥界の入り口に立ち続け、
鬼と戦っている様子を、偶然冥界に迷い込んだ小野篁は見てしまう。
奥のほうにはあの世へ渡る橋があり、皆は渡ってゆくのに、坂上田村麻呂だけ
は渡れないのだという。やがて小野篁が父親の転勤で都を離れるという時、
冥界からやってきた鬼で、今は人間の心を取り戻した非天丸にある願いを託す。
お前は力持ちだから、立ったままでいる将軍の棺を横にしてあげてくれと。
スバラシイ!子供向きの本だしファンタジーだというのにすっかり共感大拍手。
おかげで切ない気持ちがやわらいだ。
この本をお墓に連れて行き、ツーショットで記念撮影。はたして棺は今も立って
いるのか?非天丸は来たのか? などという思いが頭をかすめつつ。
第3回児童文学ファンタジー大賞受賞作品。大人の私にも面白い本だった!

22日
■神戸 布引~トゥエンティクロス~森林植物園
大師道の紅葉が目的だったのに、どうせならと登りコースに森林植物園を追加。
子供からお年寄りまで歩いている初心者コース。整備され、あまりに安全でつい
公園を歩いている気持ちになったのがいけなかった。平坦な道にあった倒木の
小さな枝に足を引っかけて前のめりに転倒。ムム、慢心につけいる倒木妖怪
トーボックのしわざか。軽傷と思いきや、その後も右膝から血がポタポタ流れ
続け、止まらず。やむなく森林植物園から途中リタイア。その日は自宅でランチ。
目的の大師道の紅葉が見られず残念!植物園の紅葉はタイミングがわるかった
ようで、もみじ坂のあたりはイマイチだったなぁ。
(翌朝も血が止まらず、出勤前に救急で受診。化膿の危険性があったため縫わず
に処置。当日なら縫えたので、そんな時はすぐに来るようにと言われた。)

29日
■當麻寺
※ブログ「當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(1)」に。
■九品寺、綏靖天皇葛城高丘宮趾、葛城一言主神社
※ブログ「當麻寺西南院と、ちょこっと葛城の道。(2)」に。

<12月>
6日
■諏訪神社~大師道~大龍寺~布引の滝
※ブログ「ふたたびのみち、大師道。」に。

12日


京都の嵐山を散策。嵐山花灯路にも少しだけ。
★大悲閣、櫟谷神社・宗像神社、車折神社











20日
京都国立博物館と寺町界隈散策
・特集陳列「さるづくしー干支を愛でるー」
(重文 巌樹遊猿図屏風 式部輝忠筆、曾我蕭白、長澤蘆雪、
森狙仙、伊藤若冲 ほか)
・特集陳列「獅子と狛犬」
(丹生都比売神社の大きな獅子・狛犬がよかった。)
あいにく「刀剣を楽しむ」のコーナーは行列ができており、
待ち時間も長くて鑑賞をあきらめた。
名品ギャラリーの1階仏像の部屋に長岡京市、光明寺の千手観音立像
が展示されていた。どっしりと量感のある木造の観音さま。お顔が
なんとも素敵で、こういう表情のことを「晦渋」というのだそうだ。
国の重文に指定されてからは京博に寄託中。
(ちなみに、現在光明寺の観音堂に安置されているのは粟生観音寺の
十一面千手観音とのこと。)
★本能寺

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社寺・周辺散策メモ(9)2015年前半(更新中)

2015-01-06 | 散策・旅
重複回避また記録として、訪問したら記録するページ(9)。
記録優先!随時追記あり。

京都は★、奈良は●、その他は■

2015年
<1月>
2日
★豊国神社、方広寺、六波羅蜜寺、下鴨神社、護王神社
京都国立博物館で「山陰の古刹・島根鰐淵寺の名宝」

4日
■湊川神社
神戸港、ハーバーランド方面散策 ※ブログに

11日
★第49回 京の冬の旅
頂妙寺(俵屋宗達ゆかりの寺~「牛図」ほか、仁王門)
建仁寺 霊源院(中巌円月坐像:重文、胎内仏「毘沙門天立像」、茶席
「也足軒」ほか) ※ブログに
★熊野神社(八ツ橋発祥之地)

<2月>
11日
★第49回 京の冬の旅
東福寺 勝林寺(伝定朝作の本尊「毘沙門天立像」、胎内仏
「毘沙門天立像」特別御開帳、明兆筆「瀧見観音図」ほか)
胎内仏は毘沙門天、吉祥天、善膩師童子の三体。毘沙門天は
当初からご本尊に納められていたらしく、吉祥天と善膩師童子
は江戸時代、ご本尊が東福寺の仏殿の天井裏から見つかった際
に加えたとされる。吉祥天と善膩師童子の2体はより小さく、
彩色がくっきり残っている。
★京都御苑

<3月>
8日
●東大寺ミュージアム、東大寺二月堂、大安寺、八幡神社
修二会8日目のお松明(※ブログに

22日
★京都特産すぐき発祥之地、大田神社(かきつばたの池)
北大路魯山人生誕地
細見美術館琳派のきらめき(京都高島屋)

29日
★京都御苑(桜、桃、バッタガ原)
★本満寺、下鴨神社、祇園白川の夜桜(※ブログに

<4月>
12日
★桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち(京都国立博物館)
来年春の「海北友松展」も楽しみ!

★千本ゑんま堂(普賢象桜)
水上勉の「櫻守」を読んでいて思い出した。
春に来たのは初めて。桜のおかげでいつものお寺の雰囲気とは随分違う。
たくさんの普賢象桜が紫式部供養塔の周りに咲いていた。
ナルホド、花の芯のほうから緑色の細長~いもの(雌しべ)が2本突き出ている。
これを象の鼻に見立てたのか~。普賢菩薩さまは象に乗ってるからこの名前に
なったのね。花びらそのもは白っぽい。
★平野神社
本当は夜桜が有名なんだけど、お昼に来てみた。
枝垂れ桜の「魁」に人気が集まっており、周辺で撮影する人も多かった。
ここには桜の珍しい品種がたくさんある。とくに緑色の花びらの御衣黄櫻
(ぎょいこうさくら)。
濃い桜色の八重桜のような花びらは、平野妹背櫻(ひらのいもせさくら)と
いい、平野神社の代表的な品種だそう。結実の際に花軸の先に2つの果実が
着くことがあるらしい。これってサクランボのことですか??
★北野天満宮
平野神社のすぐお隣りなので、こちらにもお参り~。
★地蔵院 椿寺
義商天野屋利兵衛のお墓がある。
慈覚大師作と伝えられる十一面観音像は観音堂に。ご開帳は年に数回の機会
があるようだ。天野屋利兵衛像公開は12月14日。
豊臣秀吉が献木した「五色八重散椿」は枯死し、本堂前にある現在の木は
樹齢120年の二世。花ごと落ちず、花びらが1枚ずつ散る。だから、散椿♪

18日
■金剛寺(大阪)
■観心寺(大阪)
河内長野の2つの寺へ。(※ブログに

25日
■壷阪寺(奈良)
文楽・歌舞伎の「壷阪霊験記」資料コーナーがあり、写真パネル、サインなど
が展示されている。沢市投身の谷のそばにはお里沢市の像があった。
眼病封じの寺として知られ、本尊の十一面千手千眼観音は目の観音様として
信仰を集めている。慈眼堂には沢市使用の杖として古くから寺に伝わる杖も
特別展示。目に関するものでは壷阪観音祈祷の「壷阪沢市晴明水」という目薬
(1500円)や、ひょうたんの中に観音様が入っている目の御守が売られていた。
「祈りの回廊」秘宝・秘仏特別開帳(雛曼荼羅、二大塔同時開扉)
新しい多宝塔の中には平安時代の大日如来さまがおられた。
■橘寺(奈良)
「祈りの回廊」秘宝・秘仏特別開帳(伝・日羅立像など)
前回の拝観では入れなかった収蔵庫「聖倉殿」にて、どこかの博物館でお目に
かかったことのある日羅上人立像(重文)を拝観。特徴あるお顔なのですぐに
わかる。ほかに地蔵菩薩立像(重文)ほか、聖徳太子の生涯を描いた8幅の屏風
「聖徳太子絵伝」のうち第7幅・第8幅も。
■川原寺(奈良)
※ブログ「花散る花散る~史蹟川原寺阯。」に。

<5月>
3日
■立木観音・善水寺・立木神社(滋賀)
※ブログ「5月3日は立木つながり(1)立木観音」に。
※ブログ「5月3日は立木つながり(2)立木観音」に。

5日
■医王寺・黒田観音寺(滋賀)
※ブログ「湖北の観音さま2015(1)医王寺」に。
※ブログ「湖北の観音さま2015(2)黒田観音寺」に。

10日
保久良山・金鳥山(神戸)
保久良神社

17日
■高野山(和歌山)
奥之院、大塔、金剛峰寺、御社、西塔、普賢院、金剛三昧院、大門ほか。
壇上伽藍金堂の御本尊、高村光雲作の薬師如来(阿閦如来)特別開帳。
霊宝館では、あべのハルカスで一度見た運慶作の八大童子像のほか、
「高野山の御神宝」 がよかった。丹生明神・高野明神に捧げられた貴重な
宝物とのことで、特に懸仏(かけぼとけ)が興味深かった。
とにかく何をするにも混みすぎており、移動の交通、食事、朱印帳、拝観
すべてが大変だった。ご朱印をいただくのはあきらめ、食事はリストアップ
していた店はもちろん、どの店も満席、完売のため、昼食はコンビニのような
お店で買ったものを食べた。つかれた~。1200年行事が終わってから行きたい。

24日
■門戸厄神 東光寺(兵庫)

30日
★二条城(京都)
国宝二条城の内部見学。
築城400年記念(展示・収蔵館)、二の丸庭園、清流園、天守閣跡など。

<6月>
6日
■秋篠寺(境内だけ)
■春日大社(御本殿特別公開、景雲殿「勧進宝物特別公開」ほか)
■東大寺二月堂
春日大社御本殿特別公開、延長のおかげ。(※ブログに

12日
■散策とは関係ないけど、メモ。
大阪からふたたび東京の任地に戻る友のための送別会。
大阪市西区にある九絵家にて、この季節にはめずらしいクエ鍋。
裏クエの旬の時期にあたるらしい。皆でたらふく食べてコラーゲン
たっぷり補給して楽しかった~♪二次会はベルガナイスで
ブラジルのビールとイタリアンワイン。元気でいってらっしゃーい!

14日
■写真展「婆娑羅」~写真家野波浩と劇団新感線のアートワーク
見終わる頃に会場で昔の仕事仲間に遭遇してビックリ。顔を見ても
しばらくわからなかったことにもっとビックリ。ちょこっとだけ
しゃべって次の会場へ向かう。
■中之島文楽
『夏祭浪花鑑 長町裏の段』『本朝廿四孝 奥庭狐火の段』

20日
六月花形歌舞伎

21日
■西宮神社

27日
■舟越桂展

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新熊野神社の大クス。

2014-12-27 | 散策・旅
新熊野、と書いて、いまくまの、と読む。
12月23日。墓参のついでに、前から気になっていた神社にお参りした。

気になっていたのは往来から見える大木。
なんと後白河上皇お手植えと伝わる由緒ある樟(くす)の木だった。
ちょうどこの日は新年のしめ縄を張り終えたばかりで、木に近づく
と真新しい藁の匂いがして、気持ちがシャキッとした。





境内にあった「樟(くすのき)大権現と樟龍(しょうりゅう)弁財天」
についての説明書きによれば・・・
この木は紀州熊野より運ばれたもので、樹齢900年と推定。
影向(神仏が現れる)の大樟として、自然神信仰の象徴となっている。
樹齢900年の巨木でありながら、現在も成長し続けている姿を見て
「健康長寿」「病魔退散」、特に「お腹の神様」としてご利益を求め
る人が後を立たない。
また、延びた樟の巨枝が、龍が空を飛んでいるように見えることから、
龍に乗った弁財天、樟龍弁財天として信仰されてきた
・・・とのこと。

大樟を見せていただいた午後3時半頃、タイミングよく斜光が差し込み、
しめ縄のあたりを照らし始めた。まさか影向とは言わないまでも偶然
の自然現象がウレシイ。ひととき安心感に包まれた。


ヤタガラスの絵馬

●新熊野神社
公式サイトはコチラ
熊野信仰の盛んな平安時代末期に創建。
能楽発祥の地。
本殿は京都市の重要文化財。
京都十六社朱印めぐりの中の一社。


<自分メモ1>
「法住寺」は後白河法皇の住まい。法住寺の鎮守社として新熊野神社が、
鎮守寺として三十三間堂が創建された。

<自分メモ2>
・京都の三熊野:熊野神社、熊野若王子神社、新熊野神社。
 熊野神社は811年、修験道の日円上人が熊野権現を勧請したのが始まり。
 熊野若王子神社、新熊野神社は1160年、後白河法皇により創建された。
・城南宮:白河上皇や鳥羽上皇の熊野詣出立の地。
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中山寺と馬居寺~若狭の馬頭観音さま。

2014-12-11 | 散策・旅
若狭のふたつの馬頭観音さま。
どちらの観音さまも圧倒的な存在感があり、素晴しかった。
『みほとけの里 若狭の秘仏 文化財特別公開』のパンフ
レットの表紙にもなっていて、去年は公開されていなかっ
たので今年は貴重な機会だった。
日帰りなので二寺のみ。11月8日。両寺が同時公開されて
いる日程を確認して拝観日を決めた。

<中山寺>
お寺に到着する少し手前で毛づくろいをしている二匹の野猿
を目撃。こちらに気づいた途端テェーッと姿を消した。



最初に見えてきたのが仁王門。前面に草鞋が掛かっていた。
左右のガラス格子の中を覗くと、えらい迫力の金剛力士が!
あの筋肉の盛り上がり、カッと見開いた玉眼の目力。
東大寺の巨体の金剛力士を思い出した。
ふと見ると貼り紙があり・・・やっぱり!



「国指定重要文化財 木造金剛力士(仁王)立像(右 阿形・
左 吽形)鎌倉時代(13世紀) 檜材寄木造り
偉容は東大寺南大門などと同じく慶派(運慶一派)に属する





坂道を上って行くと海が見えてきた。さらに上って境内へ。
お寺の公式サイトによれば、806~810年に泰澄大師が創建。
本堂は重要文化財になっている。



ご本尊の馬頭観音坐像は本堂に安置されている。
三面八臂で、一面ごとに三つ目の玉眼がついていて凄い迫力。
お顔そのものはちょっと愛染明王に似ているように思ったが、
こちらは頭に馬頭をいただいているのが特徴。
菩薩なのに忿怒の相をしているのは馬頭観音だけなのだ。


(中山寺のパンフレットより↑)

伝・湛慶作。像高78.3cmの檜寄木造り。
力強さはもちろんのこと、ゆるぎない美意識を感じる。
元は肌が朱色で、衣は緑色だったそうだ。光背のフチに炎が
描かれていたらしく、若干その形跡が残っている。右膝は
垂直に立てず斜めに開いており、親指が少し上がっている。
遠くから。さらに間近で。正面やいろいろな角度から見せて
いただいたが、忿怒系の中でも美しい仏像だと思った。
33年に一度のみのご開帳で、次回は平成40年頃だそう。
毎年節分の日に1日だけ公開とも聞いた(←要確認!)。

お寺の持仏堂からは若狭の海岸(高浜和田海岸)が見渡せる。
この持仏堂には藤原時代の阿弥陀如来坐像(県指定文化財)が
祀られており、特に横顔がよかった。
他に不動明王立像、毘沙門天立像など。
ご朱印は「馬頭尊」。朱印帳に初めての文字が入った。

古来、農耕の守り仏であり、また海上交通の守り仏として信仰
を集めてきたと言われる馬頭観音。同じ青葉山の京都府側には
松尾寺があり、やはりご本尊は馬頭観音。
この後に拝観する馬居寺のご本尊とともに、若狭三馬頭と称さ
れるらしいが、若狭になぜ馬頭観音が集まったんだろうと思い
めぐらすだけで楽しくなってくる。

●中山寺
創建 伝・泰澄大師
真言宗御室派 青葉山 中山寺
北陸三十三カ所観音霊場 第一番札所
ご本尊 馬頭観音坐像(国指定重要文化財)
>> 公式サイトはこちら







(日枝神社の手水鉢はお猿さん)


<馬居寺>
若狭和田駅から南へ約1.4km。
目的地が近づいてくると赤の幟が数本立っているのが見えた。







石段を上って拝観受付を経て、さらに石段を上がって行くと、
古びて風情のある観音堂があった。



秘仏なので、拝観してもご本尊を拝めない人のためだろうか、
お堂の外には写真やご詠歌などが貼られていた。
馬頭観音坐像は現在、その裏の収蔵庫に保管安置されており、
12年に一度、午(馬)年のみ公開されている。

馬居寺のご本尊、馬頭観世音菩薩坐像。像高103cm。
他の二寺(松尾寺・中山寺)より100年ほど前の平安時代後期
の作。三面八臂で、片膝を立てた輪王座のポーズ。頭上に馬頭
をいただき、髪は焔髪で忿怒の相。
江戸時代に一度着色されていたものを取り除くという修復を
経て、重要文化財となったそうだ。



木のお厨子に祀られている観音さまは意外に大きかった。
中山寺の観音さまは端正な感じだが、こちらは素朴だけれ
ど力強く、既視感のない、全く初めて見るお顔に惹き付け
られた。事前に写真で見たときは、口を開け、光背や焔髪
の形も含め一見ドキッとしたのに、実際に間近で拝見すると
光の加減なのか、優しそうでむしろ穏やかにさえ見えた。
馬が水草をむさぼり喰うように、一切の煩悩や罪業を喰い
つくして救済するというのが馬頭観音なのだから、怖いわ
けがない。とナットク。
胸の前に合わせた手は合掌印ではなく馬口印(まこういん)
だそうだ。

(↓『みほとけの里 若狭の秘仏』パンフレットより)


お寺のパンフレットによれば、創建は飛鳥時代。
聖徳太子が諸国遍歴の折、若狭の和田浜を通ったときに愛馬
がいなくなり、南の山の上からいななきが聞こえ光明が輝い
たので、ここを観音霊地とし堂塔を建立。梅檀の香木を彫っ
て馬頭観世音菩薩坐像を刻み、安置したという。

観音部中で最も慈悲深いとされる馬頭観音さまは、交通安全、
家内安全、身体安全の仏様として信仰を集めている。
ご朱印は「馬頭尊」。

●馬居寺(まごじ)
創建 聖徳太子(飛鳥時代)
高野山真言宗 本光山 馬居寺
北陸三十三カ所観音霊場 第二番札所
ご本尊 馬頭観世音坐像(国指定重要文化財)


<オマケ>
せっかくなので、小浜の人魚さんにご挨拶をば。
先にお茶してしまったので、すっかり日が暮れてるやん~~。





●このブログ内の関連記事
季節はずれの海水浴場に立ってみた。
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湖南三山なのに、長寿寺と常楽寺だけ。

2014-11-30 | 散策・旅
今年の紅葉はまたまた滋賀県へ。3年連続ですな。
三連休とはいえ、終日休めるのはこの日24日だけだったので、好天に感謝!



「湖南三山」という言葉を知ったのは去年。
平成16年に旧石部町と旧甲西町が合併して「湖南市」が誕生。
その翌年から、国宝に指定された本堂を持つ天台宗の古刹三寺
「長寿寺」「常楽寺」「善水寺」を“湖南三山”と称し、紅葉の季節
に合同の特別拝観を行うようになりました・・・。
(と、現地で耳に飛び込んできた団体さん向けのツアーガイダンス)

じつは善水寺へはお盆の頃にゆっくり拝観。
善水寺ではご本尊の薬師如来は見られなかったけれど、多くの重要
文化財の仏像を見ながら丁寧な説明をしていただけたし、伝教大師
ゆかりの「善水」をいただいて気持ちがやすらいだ。破壊されてい
た聖観世音菩薩さまのために観音堂を建てた上人の話にも心が動いた。
紅葉はなくても、じゅうぶん印象、記憶に残る拝観になった。


11月24日に行ったのは、長寿寺と常楽寺。長寿寺は東寺(ひがしでら)、
常楽寺は西寺(にしでら)と呼ばれているらしく、二つのお寺は散策
がてら歩いて移動してもそれほど時間はかからなかった。
ただ、両寺とも秘仏であるご本尊を拝観することができなかったので、
仏像よりもやはり紅葉がメインになってしまった。



長寿寺へ!



紅葉のトンネルの下を歩く。



収蔵庫には丈六の阿弥陀如来坐像、本堂(国宝)にも阿弥陀如来さまが。
ご本尊の子安地蔵は2012年にご開帳があった。57年ぶりだったそうだ。
偶然だったけど、毎月24日は法話の日とのこと。



事前に予約しておいた長寿寺弁当。美味しかった~。(1200円と消費税なり)




常楽寺



標識だらけの入り口・・・しばし絶句!



国宝の三重塔、いい形。



ご本尊の十一面観音さまは秘仏のため拝観できず。
本堂以外のお堂に祀られていた仏像が幾つか盗難に遭ったため、いまは本堂
に移して安置されている。(ここ最近、仏像盗難のニュースが旬?)



湖東三山のような交通渋滞もなく、二つともすぐに見て回れたので、このあと
菩提寺(地名)にある石仏を見に行くことに急きょ決定。

現地に立っている看板「竜王山周遊散策マップ」によれば・・・
この付近一帯は天平年間、奈良興福寺の別院として、良弁僧正開基
の「円満山大般若台院少菩提寺」の七堂伽藍・三十七の宿坊のあった
寺院で、「菩提寺」という地名もそこからきているらしい。
(竜王山といえば、金勝寺に行ったときに登った山!
あの時、菩提寺側に下山する道もあったということなのか~。)

今回見つけたのは、少菩提寺三体地蔵、少菩提寺多宝塔、少菩提寺
閻魔地蔵の三カ所。いつか西応寺方面にも行ってみたい。
近くに菩提寺という名前のお寺があり、寺の外の看板に、国指定文化財の
木造阿弥陀如来立像があると書かれていた。





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青龍殿からの眺めと紅葉。

2014-11-19 | 散策・旅
青蓮院門跡の飛地境内、将軍塚に今年10月「青龍殿」が落慶。
舞台のように広く突き出たところが展望台になっている。
京都の街並みや地形がほんとうによく見える特等席。



将軍塚の隣りに別の展望台があり、そこからの眺めも絶景。




この日の本当の目的は、国宝の青不動明王。
3年間の修復を終えてのお披露目だったせいか、空間が広く明るいせいか、
絵の退色はさほど気にならなかった。むしろ炎の色の美しさに驚いた。
読経と護摩焚きの炎の中で見た青不動明王については後日追記予定。
東山トレイルを利用しての登り下りも楽しかった。
(11月16日)
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季節はずれの海水浴場に立ってみた。

2014-11-18 | 散策・旅
休日が少ないながらも、せっせとお寺に通っておりまする。
11月8日は若狭の中山寺と馬居寺(まごじ)に行ってきた。
秘仏であるご本尊の馬頭観世音菩薩坐像が、特別公開されているので。
どちらも重要文化財。公開は11月24日(月・祝)まで。
 >> 情報はコチラ


移動中に海岸のそばを通ったので、ふらっと浜に出てみた。
三松海水浴場という場所らしい。
ひゃあ~!す・な・は・ま~~~~~~っ。
中山寺から見えた海やぁ。向こうのほうに原発の施設も見えていた。



しっかし、ここまでひと気のない砂浜を歩くのは何年ぶり・・・。
いや、初めてかも。
人間の声も、車や船の音も、音楽も、いっさいの雑音が聞こえてこない。
湾内に繰り返し打ち寄せるドドドドッ、という波音だけ。
まるで海に聴診器をあてて聴いているカンジで、こっちがドキドキする。
通りすがりの者には夏の風景が想像できないけど、旅館もあるし、夏には
賑わうんだろうな。
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白川沿いの道で、ちいさい秋。

2014-10-13 | 散策・旅
12日、日曜日。京都市美術館で「ジャポニスム展」を見た帰り。
白川沿いの道を散歩していたら、色づいた葉が散ってとってもきれいだった。



川の途中の小さな橋を渡った途端、お祭の行列(の一部)に遭遇。
午後5時過ぎ、並河靖之七宝記念館のすぐ裏のあたりで。
知らずに歩いていて偶然こんな光景に出くわすことは、京都ではよくある。
その日は粟田神社のお祭だった。目の前を「剣鉾」が通りすぎていった。
貼り紙の告知では、13日の神幸祭は台風のため中止になったらしい。



それにしても鉾って、祇園祭だけやないんやね。へえ~。
ネットで調べてみたら、剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導をつとめる祭具で、
悪霊を鎮めるのだとか。京都市内で35箇所の祭礼に177本の剣鉾が出ている
そうだ。いままで気づかなかったなあ。



3連休ではなく1日しかない休日だったけど、すっかり気持ちがほぐれた。
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大雨の日、聖衆来迎寺へ。

2014-09-28 | 散策・旅
お盆の頃に行ったお寺、聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)。
白洲正子さんの『近江山河抄』にも長く続く白壁のことが出てくる。
周囲の風景はずいぶん変わったと思われるけれど。



家を出るときは曇りだったのに、大津地方ではどしゃぶりの雨。
それでも拝観に行かねば! 小降りになるのを待って門に向かう。
その日8月16日は「寺宝虫干し会」。年に一度の一般公開の日だった。
他の日でも事前予約して拝観できるようだけど、ふだん博物館などに
分散保管されている寺宝が一斉に見られるのがこの日とのこと。



その時はTVドラマのことは全く知らなかった。
そもそも森蘭丸・坊丸・力丸らは知っていても父親の名前までは知ら
なかったので、月9の『信長協奏曲』の登場人物の中に「森可成」
(もりよしなり)を見つけた時はチョットうれしかった(笑)。

聖衆来迎寺は、信長の比叡山焼き討ちの際、蘭丸の父、森可成のお墓
があるために焼き討ちを免れ、多くの寺宝が残ったと言われている。
そのことを尋ねると、それは後からわかったことで、当時お寺の人々
は焼かれると思っていったん逃げたそうだ。とってもリアルなお話。



開け放たれた本堂で最初に迎えてくれたのは、国宝の六道絵の複製で
約200年前に描かれたものとのこと。彩色が鮮やかで15幅全部見ること
ができる。オリジナルの国宝「絹本著色六道絵」は奥の客殿で毎年3幅
ずつ公開。保護のため暗い部屋で懐中電灯をお借りして拝見した。

ご本尊は須弥壇に祀られた、阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来の三尊。
三体本尊は叡山において「仏名会」の本尊であったといわれるもの。
他に、銅製透し彫りの光背が美しい木造地蔵菩薩立像(重文)、
菅原道真作とされる木造十一面観音立像(重文)、繊細で優美な
快慶作の木造日光菩薩立像(重文)・月光菩薩立像(重文)など。
私のメモが間違っていなければ、恵心僧都作の引接弥陀像も拝観できた。
湖中から現出したという薬師如来立像(重文)はとても小さいけれど
いかにも奈良時代らしいお顔をしておられる。
また、なにげに畳んで置かれている天海僧正の法衣にはドキッとした。
とてもここには書ききれない寺宝の数々だった。



本堂、開山堂、表門は重要文化財に指定されることが今年決まった。
詳細は滋賀県のHPに >> コチラ
お寺の詳細は >> コチラ
客殿の庭にある手水舎は石造宝塔の笠をさかさにして、太陽と月を
組み合わせたもので、水を入れると三日月が映るので「月見鉢」と
呼ばれているそうだ。
折しも大雨で水がたまっていたので、しばし想像してみた。



●聖衆来迎寺
790年、伝教大師が地蔵教院として建立。1001年、恵心僧都がこの地で
紫雲の中に弥陀聖衆の来迎を感得したのが寺名の由来。
ご朱印は三体本尊と十一面観音菩薩の2つある。
びわ湖108霊場第十二番札所
JR湖西線「比叡山坂本駅」から徒歩約15分。
湖西道路下阪本ICから5分。



●ランチ
日吉大社の門前にある、鶴喜そばにて。


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夏の区切り。

2014-08-19 | 散策・旅
夏休みは今年も2日。14日と16日の偶数日だけ。
16日はやっぱり、五山の送り火だからね~。夏の区切りだからね。
というわけで、昼間の大津から夜の京都へ。



しっかし、増水した川を橋の上から覗いてびっくり!
水がカフェオ・レ色に変色し、うねりながら勢いよく流れてゆく。
いつもなら中州にいる鷺も東岸に避難してエサをついばんでいる。
堤から川のほうに下りていくと、グォーーーという水音が鳴り続け、水上には
もやがかかって、いくぶん冷気さえ感じられる。
そこはもともと人の少ないウォッチポイントなんだけど、なんとっ、さすがに
だぁれもいないっ!!
もしかして立入禁止??



しばらくして、警察の人か関係者が(暗くて確認できず)が近づいてきて
「増水してますから注意して下さい」と、言葉を残して去ってゆく。
ん? 退去勧告じゃないんだ~。ここに居てもいいんだ~。
いつのまにかまばらながらも人の数がだんだん増えてきた。
いちおう、水の音に気を配りながら、いつものようにウダウダ待つ。
川からの距離もキケンを感じない程度に離れている。
水かさは減りもしないし、増えもしない。凄い勢いで通過するだけ。
水量のせいかちょっと涼しく、意外に蒸し暑くないのも不思議だった。

街の灯が一斉に消え、山の上にポツ、ポツと赤い火が。
「大」になるまでいつもより時間がかかった気がするし、左下が若干短いよう
に思うけれど、ちゃんとつながった字を肉眼で見るのは気持ちいい。



迎え火があって、送り火がある。
こんな雨天なのに、点火時刻には止んだこと。
いつもあるべきことが、ちゃんといつもと同じようになされること。
毎年毎年、当然のこととして行われること。
それを守り続けることがどれだけ大変なことか・・・みたいなことを感じつつ、
字の形がなくなるまでじっと見届けた。

最近は順番に字を追っかけることはしない。
人の少ない場所で静かに、じっと見ているのが一番いい。
今年もここに来れたことに感謝して・・・。

北大路の橋の下まで来て上にあがろうとすると、道にトラテープが張ってある!
えええーーーっ。もしかして立入禁止だったのぉぉぉぉぉ?
だから、人が少なかったのぉぉぉぉぉ?
帰りに再び水面をふりかえると、やっぱり、スゲーうねってた!
ガオ~ッ!!



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京都御苑界隈を歩く。

2014-08-09 | 散策・旅
仏像めぐりの代わりに、日曜日は京都へ。
かる~く歩いてみようと、まずは京都御苑で足慣らし。
ここはパークアンドライドでよく利用していて、便利で安心。
それに自然が豊かだし、人が少なくてのんびりできる。
この日は苑の南にある百日紅が赤い花を咲かせ、花のない桃林には緑色
の小さな桃が成り、地面にもたくさん落下していた。
もし歩けなかったらお茶だけして帰ろうと思っていたら、意外に歩けた!



で、うれしくなってつい歩いてしまったのだった。
この日拝観したのは下御霊神社、革堂(行願寺)、釘抜き地蔵(石像寺)、
千本ゑんま堂(引接寺)、菅原院天満宮神社。
行願寺、石像寺以外は偶然見つけたり、近くまで来て思い出したり。みな
短時間でお参りできるところばかりだけど、楽しかった。きっと、散歩に
連れてってもらってよろこんでいるワンちゃんとおんなじ気持ちだと思う。




京都の神社ではポリ容器にお水をつめて持ち帰る人々をよく見かける。
すぐに思いつくのは、梨木神社、藤森神社、若一神社の水など。
そして今回知ったのは、下御霊神社、菅原院天満宮神社。
神社が地元の人々の日常生活に直結している風景をみると心がやすらぐ。


下御霊神社
社伝によれば、江戸時代(1770年)の旱魃時に第38代神主出雲路定値が
夢のお告げにより境内の一カ所を掘らせたところ、清らかな水が湧き出て
万人に汲ませることができた。その水は「感応水」と名づけられた。
現在の水も同じ水脈とのこと。柄杓にいただいて飲んでみるとまろやか
だった。よくみると「商業目的や家の水道で済むような事に利用しないで
下さい」という注意書きがあった。




菅原院天満宮神社
こちらは菅原道真公の産湯の時に使われた所縁ある井戸水だそうで、
水汲み場には「汲まれる水の量はお一人四リットルまででお願いします」
と書かれていた。
ここへは日が暮れてから、灯りに誘われてお詣りしました!




革堂(行願寺)
京都御苑の東南角の方向、下御霊神社のすぐ南にある。
寛弘元年(1004年)行円上人により創設。昔、上人が猟師だった頃、子を
孕んだ母鹿を射止めてしまい、それを悔やんで仏門に入った。上人は鹿を
憐れみ、常にその鹿の皮をまとっていたので「皮聖(かわひじり)」と呼
ばれ、この寺も革堂(こうどう)と呼ばれるようになった、とのこと。
いってみれば、元祖・鹿男?
西国三十三カ所第十九番札所。毎年1月17日・18日がご本尊特別拝観日。




石像寺(しゃくぞうじ)
釘抜地蔵とも呼ばれ、お寺のいたるところに釘抜きを意匠化したものがあった。
もとは諸々の苦しみを抜き取るという信仰から「苦抜地蔵」(くぬきじぞう)と
呼ばれていたが、なまって釘抜地蔵になったらしい。
ちょっといる間にも老若男女、熱心にお参りする人たちの姿が絶えなかった。
私の目下の切なる願いは、骨折の痛みを抜いてもらうこと。
なんかものすごいパワーというか高密度の気を感じるお寺だった。じつはお参り
の人たちに気圧されてしまい、私がここにいてもいいんだろうかとさえ思った。
写真に撮った立札の説明を読むと「地蔵堂背後の阿弥陀三尊像は鎌倉初期の傑作」
だそう。重要文化財ですと。
あれ? もしかして奉納されたお地蔵さまが何体か並んでいて、その向こうに見え
ていた仏さまのことでしょうか? 石の? あ、だから石像寺!
思いつきで決めたけれど、もっとゆっくり見ればよかった。ご朱印もほしかった
のにいただけなかったし、ここは再訪かな~。
観音堂に祀られている観世音菩薩は行基作と伝えられている。
また、ここは藤原定家が住んだ所でもあるそうだ。うう~、やっぱり再訪かな。




引接寺(千本えんま堂)
ここまで来たら、前に「京の夏の旅」で拝観したこのお寺にお参りした
くなった。ご本尊は、閻魔法皇。お盆前なので、ふだんは閉まっている
扉があいており、口を開けたデカイ閻魔さまがしっかり見えていた。目は琥珀だ。
閻魔さまが地蔵菩薩であることを知ったのも、このお寺だった。
お盆の期間は開いているほか、毎月16日にも開扉するとのこと。

「京都国宝浪漫」で千本ゑんま堂のことが放送されるそうだ。
情報1 情報2 
8月14日(木)22:00~23:00 BS11




いろいろ拝観の後は、やおいそでフルーツたっぷりのスイーツ♪




小雨が降るなか、もう一度京都御苑に戻り、木々の中を歩く。
大木が天然のパラソルになり、濡れずにすむ場所を見つけたので、傘を
たたんでテーブル&ベンチを独占してみた。風がソヨソヨ流れてくる。
都会の観光地にいるとは思えない静かな時間。



ふと見れば沙羅双樹。そういえば今年はここの花を見る余裕がなかった~。
もう京都の町を歩くことは当分の間できないものと勝手に思い込んで
いたので、大好きな場所にもどってこられたことが何よりありがたかった。
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狛坂寺磨崖仏と金勝寺(2)

2014-05-11 | 散策・旅



金勝山金勝寺(こんしょうじ)  拝観料500円
馬頭観音堂の駐車場から下ってゆくと、きれいな参道が見えてきた。
上桐生を11時にスタートし、14時前に金勝寺に到着。
ここはあの歌舞伎の「良弁杉由来」に出てくる良弁僧正が、天平5年
(733年)に聖武天皇の勅願により建立したお寺。
のちには二十五別院を有する寺院となり、湖南地域の仏教文化の中心
として栄えたそうだ。
その後、弘仁6年(815年)、嵯峨天皇の勅願をうけ、興福寺の高僧の
願安が伽藍を整備。833年には国家の官寺である「金勝山金勝寺」に。





木造軍荼利明王立像(重要文化財 平安時代 10世紀)
杉木立の緑の参道を進むと、仁王門では赤い仁王さんが迎えてくれる。
門をくぐって右に「二月堂」とあり、それだけで東大寺を思い起こさせた。
中に入るとすご~い!こんなに大きな軍荼利明王を見るのは初めて。
像高360.5cmだそう。通常は五大明王の一尊として置かれているが、こ
れは初めから独立して作られたものではないか、と書かれていた。
胸元で交差した二臂をふくめ手は8本。逆立つ頭髪に、唇を噛み、ぎょろ
りと大きな目で拝観者を見下ろし、迫力がある。写真がコチラに。
(目が合うのは正面ではなくやや右位置。なぜか? と同行者が気にして
いた。やはり五体で置かれ、はすかいに立っているため、まっすぐに置く
と正面を向くことができないのではないだろうか。もしもこの大きさの
五大明王が揃っていたらさぞかし壮観だったろうと思う。)





木造釈迦如来坐像(重要文化財 平安時代 12世紀)
参道に戻って全体を見渡してみると、建物が古寺らしい薄茶色の色調
で、背景の緑になじんでいる。お寺そのものが自然の景観といっていい。
本堂にあがると、ご本尊の釈迦如来坐像が真ん中に。
定朝様式のおだやかなお顔で、全体に黒く、漆泊の金がところどころに
残っている。

不動明王立像(室町時代)、良弁坐像、願安坐像(どちらも桃山時代)
向かって左に、不動明王さま。天地眼(右眼を見開き、左眼を半開き、
天と地を同時に見ている)で、記憶違いでなければ、手に持った道具が
左右逆と書かれていたような?? もとは山口寺に所蔵されていたもの。
向かって右には、良弁さんと願安さんの坐像が並んで安置されている。
二人の顔がとても似ていた。鼻筋が通って意志の強そうな口元が印象的。
本堂の机に白洲正子さんの著書が置かれていた。平成22年の白洲正子 
生誕100年特別展のポスターも!(これ、行ってないのぉ~。TVの
日曜美術館で見ただけ。)



降水確率0%のはずなのに、まさかの霧雨。やはり山のお天気は侮れない。
そのうえ風もある。寒くなって、脱いでいたウインドブレーカーを着用。

木造虚空蔵菩薩半跏像(重要文化財 平安時代 10世紀)
昭和に建てられた虚空蔵堂には、虚空蔵菩薩さまの半跏像が。薄暗くて
遠いのと、下が見えないのとで半跏の形はよくわからなかった。でも、
お顔や指の形がきれい。藤原手法の優れた古像、と書かれている。
木造毘沙門天立像(重要文化財 平安時代 10世紀)
木造地蔵菩薩像(重要文化財 平安時代 12世紀)
どちらも虚空蔵菩薩の脇侍。毘沙門天は下半身に安定感のあるお像。
地蔵菩薩さまの坐像はめずらしいように思う。上半身がふくよか。



もう一つの「良弁杉」
良弁杉といえば、東大寺二月堂。歌舞伎の「良弁杉由来」は大鷲にさらわ
れた赤ん坊が杉の木にひっかかっており、それが良弁さんだったというお話。
(「良弁杉由来 二月堂」観劇メモはコチラ
真偽のほどはともかく、実際、杉の木はある。
で、ナント金勝寺のすぐ近くにも、良弁僧正ゆかりの木があった!
「良弁僧正お手植えの大杉」という案内にしたがって進むと、あった~。
他の杉よりも明らかに太くて目立つ、背の高~い杉が。本当にお手植えなら
すごい歳ですよね~。



お寺の前から出るシャトルバスは1日に2本。最終までに時間がある
ので道の駅まで歩くことに。
(こんなことなら天狗岩や耳岩まで回ればよかった~。)
道の駅でイチジクのソフトクリームを買ってちょっと休憩。



ここからJR草津線手原駅まではシャトルバスで20分ぐらいだった。
神社や史跡を通りながら、いっそ駅まで歩いても楽しかったかな~と
ちょっと心残り。またいつか!
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