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星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

みほとけの里・若狭(1)安楽寺

2015-10-30 | 散策・旅
みほとけの里 若狭の秘仏 特別公開」でお寺を巡るのは3回目。
今年の一番のお目当ては・・・無悪山安楽寺の聖観世音菩薩立像。
拝観の理由は「小野篁の念持仏」と書かれていたからだった。そのうえ
今年は33年に一度の御開帳の年とのこと。ご開帳は10月17日~18日の
2日間だけなので、18日に行ってきた。



小野篁といえば、平安時代の公卿にして闇のスター。宮廷に仕えながら
も夜ごと井戸を通って地獄に行き、閻魔大王の裁判の手伝いをしていた
という、トンデモな伝説を持つ実在の人物。(小野妹子の子孫で、書家
の小野道風の祖父。)
2008年の「京の夏の旅」異界シリーズのお寺巡りでがぜん興味を持ち、
以来、折に触れてゆかりの地の訪ねたり、関連情報を見つけて喜んだり
してきた。その都人の篁がなぜ若狭に?



場所は小浜よりもさらに東にある若狭町。
お寺の解説文によれば、838年、篁が遣唐使をめぐる問題で隠岐国に
流罪になり、2年後、許されて島から帰る途中に若狭湾の一角に漂着。
一行が峠を越え、保養のために滞在した村が無悪(さかなし)だった。
この地の観世音に参拝し、自分を救ってくださったのはこの観世音で
あるとし、篁は自らここに寺を建て、無悪山安楽寺と称したという。
お寺のホームページはコチラ



お寺をめざして歩いていると、地元の人たちが「こんにちは!」と
お声をかけて迎えてくださった。華々しいゲートのようなものも見え
てきて、ふと見ると山車も置かれている。
そうだった。この日は「聖観世音菩薩御開帳大祭」で、山車やお囃子
も出る。33年に一度の機会は地元の人々にとっても特別な日のはず。



●安楽寺
こじんまりとした仁王門を入ると前方に石段が。石段下の左手に立札
があり、「小野篁の墓」と書かれていたので、さっそくお参りをば。
二基の宝篋印塔があり、町指定文化財になっていた。篁は3年滞在した
ということだが、今なお大切にお祀りされていることがわかる。



石段を上がって・・・。



観音堂へ。
他の人に混じって堂内へあがらせていただく。
開帳のために収蔵庫から移された観音さまがいま目の前のお厨子の中に!
水瓶を持った左手には結縁紐が結わえられている。観音さまの足元には
神社で見るような鏡が置かれていた。



平安時代前期の作 像高158.8cm
大正10年4月に国宝指定、昭和26年4月に国の重要文化財に指定。
寺の縁起では、行基の作とされている。



桧材の一木造りで、下から見上げると彫眼の目が優しさを感じさせる。
ふっくらしたお顔や上半身を眺めていると気持ちが落ち着く。
全体の彫りは浅めながら、両手の先端にからむ衣が垂れて美しい。
昭和4年の修理で洗った際に当初の彩色や模様が現れたそうで、赤い
彩色がよく残っていた。色がはがれて木目がくっきり出ている部分も
それはそれでこの観音さまの歴史を感じさせて味わい深い。
都から離れたこの地で、篁の心をなぐさめた観音さまなのだから。
やっぱり実物はいい。
(撮影はOKだったけど、こちらの写真のほうがよくわかる。)


安楽寺の近くにある天満宮。


天満宮の近くにお祭りに参加する人たちが集まっていた。
時間の都合でお祭りを見届けられないので雰囲気だけ・・・。


<拝観メモ>
「平成27年度みほとけの里若狭の秘仏 特別公開」の寺
拝観料無料 パンフレット配布あり
駐車場:公開の2日間は近くの公民館の無料駐車場を利用

<その他のメモ>
拝観順序の関係で安楽寺拝観と昼食のタイミングが重なった。
お寺の周囲に飲食店がなさそうなので、買っておいた鯖寿司を大鳥羽駅
の駅舎でいただいた。無人駅だがちゃんとした建物とベンチがあった。
駅前に1軒だけ食堂があったが前を通ると行きも帰りも準備中だった。
前もって営業時間を確認したほうがよさそうだ。

(2)へつづく。
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大津市歴史博物館と毘沙門堂(2)

2015-10-17 | 散策・旅

「恋舞妓の京都慕情」を見て、久々に毘沙門堂を思い出した。
急な石段に幟がたくさん立っていたのを覚えていた。
ここは枝垂れ桜と紅葉の景色が素晴しく、どちらも過去のJR東海
のキャンペーン・ビジュアルに使われたほど。
そうだ、毘沙門堂行こう!



この季節、どこからか風に乗ってキンモクセイの香りが届くのに
香りの主が見えないことがよくある。
でも、駅の方から毘沙門堂へと続く道にはキンモクセイがそこここ
に姿を見せていた。途中で小さな橋を渡ると、川沿いの道にはコス
モスがいっぱい咲いていた。



この記事を書いていて知ったことだけれど、村上春樹さんのサイト
「村上さんのところ」でこの毘沙門堂のことが出てきたらしい。
(現在は閉じられているので読めない。)


●毘沙門堂
こちらのお寺には2009年3月に一度来ているのに石段と本堂前の風景
しか覚えていない。ブログの記録を調べてみると、ちょうどその頃、
盗難に遭ったお前立ちの毘沙門天が戻ってきたばかりで、再公開の
まだ準備中だったようだ。仏像はもちろん、有名なお庭や襖絵も拝見
していなかったことがわかり、あらためての拝観となった。






石段を登り切ると仁王門。頭上の「毘沙門天」と書かれた大きな提灯
には菊が描かれていて、ここが皇室ゆかりの寺院であることがわかる。
お寺の創建は大宝三年(703年)。行基によって開かれ、後西天皇の
皇子公弁法親王が入寺して以来、門跡寺院になったそうだ。



聞けば、こちらのご本尊の毘沙門天は伝教大師の自作で、330年に
一度のご開帳とのこと。直近の公開が十数年前だったそうで、いま
拝観できる毘沙門天さまはお前立ちになる。
間近で拝観すると、意外にも勇壮で威厳ある感じではなく、若々しく
凛々しいお顔だった。宝塔を象った珍しいお厨子の前に立ち、優しく
迎えてくださる。
6年目の正直。遅くなりましたがようやくお参りできました。
本堂だけのお参りなら拝観無料とか。なんて懐の深い!

拝観料を払って奥へと進む。
霊殿で狩野永天井画の八方睨みの龍を見た後、さらに奥へ。ここは
門跡寺院なので御所から移築した「宸殿」があり、たくさんの襖絵が
あった。この絵がだまし絵のようになっており、見る角度により物の
形が変わったり、絵が動いたように感じたりするらしいのだが、どこが
該当箇所なのか、長机以外はまったくわからなかった。



ぐるっとひと通り見て、江戸初期の回遊式庭園である「晩翠園」も拝見
して帰ろうとしていたところへ、別の組が入って来られた。
ガイドらしき人に、よかったら一緒にどうぞどうぞ!とお声をかけて
いただいたので、てっきりお寺の解説担当の人だと思っていたら、観光
タクシーの人だったことに途中から気づいた(笑)。
丁寧な説明のおかげで、見逃していた絵の秘密が面白いようにわかった。
ここは確かに、わかる人にしかわからない仕掛けがあり、お声掛けして
くださった運転手さんとそのお客さんのご厚意に感謝感謝でございました!



秀吉公の大政所ゆかりの高台弁才天を祀るお堂に、紅葉がちらほらかかり
風情があった。


帰りにちょっと魅力的なハイキング道を見つけた。いつか歩いてみよう。

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嵯峨野から嵐山へ。

2015-10-08 | 散策・旅
秋晴れの日曜日。
お昼に嵯峨野に到着。混雑を避けて清涼寺の近くで昼食をとった後、
大覚寺のさらに北にある「直指庵」まで。



しか~し、お目当ての特別公開中の阿弥陀さまと胎内仏はナント
この日に限って、法要のため10時~12時の時間限定公開!
しかも、そのことを知ったのは中に入って30分以上もたってから。
外にはたしかに、目立たない小さな文字で「10月4日は阿弥陀堂の
特別公開は10時~12時まで」と書いてありました~~~~~。
けっきょくお目にはかかれず(涙)。小さなお寺では事前確認がキホン
なのに。油断してました。



ここでは「思い出草」ノートという拝観者が綴るノートが有名。
もし十代の頃に訪れていたら手にとっていたかもと思いつつ・・・。
大切なノートには手を触れずそのままに・・・。ちなみに、庭内に
立つ想い出草観音像はこのノートに書き綴られた一切の苦しみを
救ってくださるという。
風が左から右へ渡ってゆく本堂の縁側にすわり、ぼうっと庭を眺め
ているのは心地よいひとときだった。



堂内の阿弥陀三尊像や隠元さんのお像などを拝観し、お庭をぐるっ
と回遊。そして、ここが篤姫と関係のある「村岡」が隠棲し、再興した
お寺であることを知り、ちょっと驚いた。
(2008年の大河ドラマでは星由里子さんが演じておられた役。)
近衛家に仕えて出世するも、安政の大獄による勤王攘夷派の弾圧
の際に捕らえられ江戸送りになったとのこと。その後の直指庵での
隠棲生活・・・。金福寺に身を寄せた村山たかさんと同じく、この人も
時代の動乱の大波にのみ込まれた女性たちの一人なのだ。



嵐山の賑わいと違って嵯峨野は人が少なくていい。
紅葉にはまだ早く、大覚寺の名宝展も10月9日からだし、のんびり歩く
には絶好のタイミングだったかも。無人の野菜売場や野菜の自動販売機を
のぞいたり、秋の草花や鳥のさえずり、田畑の広がる細道をぶらぶら歩く。







たまたま地図で見つけた場所に行ってみた。
時代劇のロケに使われているらしい鳥居本八幡宮と、護摩堂弁財天。
予想とは違ってなかなかマニアックな(?)所だった。紅葉の頃に
来るといいらしい。






清涼寺境内にもどって大文字屋さんであぶり餅をいただいた。
清涼寺の秋期特別拝観は11月30日まで。が、本堂も霊宝館も何度か
拝見しており、興味は別の対象へ。



今回ラッキーだったのは境内にある清涼寺とは別のお寺、嵯峨薬師寺
の仏像を網ガラス越しに外から拝観できたこと。たまたま法要があっ
たのか、照明がついていて、堂内の写真と見比べながら遠くからでも
確認できた。
左奥に生六道地蔵菩薩(伝小野篁作)、中央には秘仏本尊薬師如来、
右奥に阿弥陀三尊像(伝恵心僧都作)、右手前に伝嵯峨天皇像。
(いずれも坐像)
サイトの情報によれば、8月24日のみ本堂を一般公開しているようだ。
本堂前には篁ゆかりの遺蹟もある。

二尊院や落柿舎、大河内山荘をはじめ、嵯峨野のめぼしいところは
ほぼ行ったことあるし、まだ歩き足りないし~。



というわけで、竹林の道を抜けて亀山公園へ。
トロッコ列車の汽笛が鳴り響いたので慌てて保津峡を見下ろす高台に
立ったけど、通り過ぎた後だった。ザンネン!
でも、いい眺めだ。
(この時、山の上にあるお寺を発見!地図には大悲閣と書かれていた。)





公園内で周恩来さんの詩が書かれた石碑を見つけた。・・・正確には
その石碑の写真を撮っている中国人らしき人を見つけ、何だろうと近
づいたら碑には「雨中嵐山」という詩が刻まれていた。
周恩来さんが京都留学中に書いたものだそうで、その場で調べたら
詩の意味がわかった。
雨の嵐山の情景と「模糊の中にたまさかに一点の光明」という一青年の
心情が重なり、じんとくるものがある。
周恩来その人の名前だけで山崎豊子さんの「大地の子」や中国残留孤児
の話と直結してしまう私には、さっき見た保津峡の風景がにわかに
ドラマの長江下りの風景と結びついてしまった。
折しも10月10日からNHKBSプレミアムで「ドラマアンコール 大地の子」
が始まる。

公園内には保津川や高瀬川を開削した角倉了以(すみのくらりょうい)
の像もあり、さっき見つけた大悲閣と翁の関係もわかった。
次回、嵐山に来る時のために道だけ確認しておいた。
(10月7日放送の「高島礼子・日本の古都~その絶景に歴史あり」で
ずばり角倉了以とお寺の紹介があった!)



黄昏の渡月橋。休憩時間を除きまるまる5時間歩いたので本日は終了。




●京都の浄土宗特別公開の情報はコチラ

太夫道中メモ。
嵐山花灯路に行ってきたよ。
嵐山花灯路に今年も行ってみた!
清涼寺・大覚寺と嵯峨野界隈
夕霧太夫のお墓と『夕霧七年忌』公演情報


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遠い日の残り火、嵐山。

2015-10-04 | 散策・旅




タイトルに意味はありません。
子供のころに覚えた渚ゆう子の唄を思い出しただけ。
日曜日、暗くなってくると人の数が減って橋も歩きやすくなるね。
いつもとは反対の岸から渡月橋を眺めてみました。
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室生寺の「灌頂堂」特別開帳。

2015-09-21 | 散策・旅
20日の日曜日は室生寺へ。
室生寺は4回目だけれど、毎回徒歩でお参りしている。
峠を越え、集落が見えたときのうれしさ。
昨日もしっかり歩いてきた。

これまでは紅葉の季節とお正月だったので、暑い季節は初めて。
目的は、灌頂堂(本堂)特別拝観。
近鉄「室生口大野」駅を11時5分に出発して、宇陀川に出たら
大野寺の磨崖仏を左に見て、少し先で橋を渡る。
その先にある東海道自然道を小さな川に沿って登る。
案内標識によれば、駅からお寺まで片道6.3kmだった。
山道の石に苔がビッシリついてかなり滑りやすくて時間がかかる。
前は1時間半ほどで着いていたのに、今回は1時間40分かかった。
(ん、年齢のせい?)

お寺への太鼓橋の手前で昼食をとり、境内へと向かう。
階段をあがってすぐ左にある弥勒堂では、杮葺き寄進のために
薬師如来さま(国宝)と弥勒菩薩さま(重文)が公開されていた。
金堂はあとから寄るため、灌頂堂へと急ぐ。

灌頂(かんじょう)とは、師僧から弟子へ真言密教のおしえを伝え
る大事な儀式だそうで、このご開帳では法具や、金剛界・胎蔵界の
両曼荼羅など、実際に使う仕様で見せていただける貴重な機会だ。
空海の本」を読んだ時にとても気になっていた儀式だった。
弘法大師空海は唐の僧「恵果」によって灌頂を受けるのだが、投花得仏
という、花を投げる儀式のときに2回投げて2回とも毘盧遮那如来
(大日如来)のところに落ちたとのこと。
堂内で説明を聞きながら、投花得仏の様子とか、香水を頭にそそぐ儀式
とか、ちょっとわかった。大日如来と一体化になる感覚はわからなかっ
たけれど、それにはもちろん修業が必要でしょう。

灌頂堂は本堂でもある。今回は同時に、ご本尊の如意輪観音像(重文)
も間近で拝観できる。
灌頂の儀式とは直接関係ないそうだけれど、灌頂堂にお祀りされている
ため開扉されることになり、お堂の真ん中におられる。じっと見ていると
笑みを湛えているような不思議なお顔をされている。
三如意輪と称されるだけあって、神呪寺、観心寺と同じく、室生寺も
やはり個性的。唯一無二の観音さまだと思った。指がかなりほっそり
していた。拝観が叶ってうれしい。
説明書き、曼荼羅をプリントしたクリアファイルは持ち帰れる。
特別拝観料400円。如意輪観音さまのご朱印もこちらで。

●灌頂堂(本堂)特別拝観 9月19日(土)~10月4日(日)



大野寺の前、宇陀川をはさんで対岸にある磨崖仏。


車道から東海自然道に入ると、針葉樹林が続く。


山道には苔むしていて滑りやすい石がゴロゴロ。行きも帰りも蛇に遭遇。


片道6.3km×2=12.6km。しっかり歩きました!


里に出たら彼岸花が!毎年忘れずにこの時期に咲くエラ~イ花。


下の方に室生寺と太鼓橋が見える。


女人高野、室生寺の仁王門


今回特別開帳されている灌頂堂(本堂)


有名な五重塔


奥之院の急階段、今回も上りきりました。御影堂も特別開帳。よかった!


御影堂の弘法大師はこんなお顔。絵画と違って正面を向いてた。


最後に金堂で室生寺のオールスターズ拝観。外陣からの拝観は10月24日から。
奈良国立博物館に出張中の十二神将2体が里帰り中で、12体そろっている。



室生寺を出て、近くの龍穴神社まで。


上にのぼる道が、やっぱりわからなかった。


山を下りて宇陀川を渡る頃は少し暗くなっていた。室生口大野駅着18時。
大野寺の近くの和風レストランでドラマのロケっぽい団体を発見!

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日本聖公会 奈良基督教会礼拝堂を見学。

2015-07-19 | 散策・旅
近鉄奈良駅近くのひがしむき商店街。
先日放送があった「ブラタモリ」奈良編の話をしながら、教会の前を
通りがかったら門扉が開いていたので思わず中へ。
外観だけ見せていただくつもりが、どうぞ~とお声をかけていただき、
別のグループの方たちにくっついてしっかり見学させていただきました。
(建物の説明を書いたプリントの資料もいただきました。)
たまたま一般公開日だったのかもしれません。



きちんと調べて書こうと思うと、結局いつまでも書けないので、本日
のツイートをそのまま。
以下、Twitterより。

ブラタモリで知った日本聖公会奈良基督教会礼拝堂。今年、国の
重要文化財指定を受けた建物内を幸運なことに見せていただけた。
設計は大木吉太郎氏。外見は瓦葺で純和風なのに、中は本物の礼拝堂。
聖書朗読台に屋根が付いているのは「屋根の上で言い広めよ」という
聖書のことばより。格子天井(無数の十字架)も信徒で宮大工だから
こその仕事!

牧師さん自ら案内してくださった祭壇の十字架や燭台は緑色を基調
にした七宝細工で、鳩が描かれていた。
もと興福寺の敷地内だった場所で、まさかの生パイプオルガンによる
バッハのコラール前奏曲まで聴けて、ほんまに未知の貴重な奈良体験
でした。感謝です(^^)


>> ブラタモリはこちらの「10 宮大工によって造られた教会」
>> 日本聖公会奈良基督教会の公式サイトはこちら


Twitterには添付しなかった外観の写真だけ追加します。
鬼瓦にあたる部分に鳩が彫られ、その上に十字架が。






バッハのコラール前奏曲を聴きながら「惑星ソラリスに使われていた曲や」
とボソッとつぶやいた同行の家人。どんだけタルコフスキー好きやねん。
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録画で見た山鉾巡行、前祭。

2015-07-18 | 散策・旅
台風11号と芥川賞と新国立競技場・・・仁左衛門さま人間国宝・・・
いろいろあるけれど、録画しておいた祇園祭も気になる。

というわけで、くじ改めから注連縄切りなどの儀式、最大の見せ場の
辻回しまで、山鉾巡行の録画を深夜までかかって見た。
いやはや。
台風がこようと、そう簡単には中止したり、延期したりはできない
ものなのだな~と。それが1100年以上前から続く伝統行事の重みと
いうか、心意気というか。あたりまえやん!というか。

通常ではない状況でどんな工夫をして山や鉾が登場するのか、ある意味、
貴重だったかも。
山や鉾によっては風雨を避けて御神体を載せていなかったり、飾りを
はずしたり。豪華な懸装品を見せながらの透明ビニールは見慣れた風景
だけれど、油天神山のように黒の羅紗で覆っているのは私は初めて見た。
なんだかカッコよかった。(まあ、ぜんぶが黒になったら困るけれど。)
お揃いの傘の色や形にも、それぞれの個性が出ていて楽しめた。
これで、もう見て来た気分。



宵々山~巡行と平日で行けないので、先週の日曜日、雰囲気だけ味わいに
祇園界隈へ。八坂神社の近くでは子供神輿を初めて見かけた。
もちろん、鉾建ても見に行った。これがけっこう好きなのだ。
歩道拡幅工事のおかげで、たしかに混雑が緩和されて歩きやすい。
長刀鉾はまだ提灯が飾られていなかったのでちょっとさみしかった。



函谷鉾は期待通りすでに建ち上がっていて、生のお囃子が聴けたり、
鉾内見学させてもらったりで、一気に祇園祭の雰囲気に浸らせてくれる。






菊水鉾。今年は胴懸の「毘沙門天と弁天さま」新調されたらしいが、
そのことは帰ってから知った。




鶏鉾の鶏がどこにいるのか、今年はじめて見つけた!






四条通りよりも南。
山鉾地図によれば、このあたりにもいくつかあるはずなんだけど、
鉾立てが始まっていないところがほとんどだった。
船鉾はまだ建てている途中で、船の下から見上げると迫力あった。
綾傘鉾は日曜日に大原神社の前を通った時は戸がしまっていたけれど、
巡行の映像で、赤熊をかぶって踊る棒振り囃子には見惚れました。
(写真はすべて7月12日)

後祭にはまだ行ったことないけど、また録画しておこう!
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美術鑑賞~散策(京都)

2015-06-28 | 散策・旅
「ルーヴル美術館展 日常を描くー風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」
に行った。



ルーヴル美術館と聞いて一般的にイメージするものとは全く違うものばかり。
ほんとうに日常を描いた絵だった。
昔は絵が情報を伝える手段だったのか、たくさん見ているうちにマグナム
フォトの写真を見ているような感覚になってきた。
そんななか個人的に印象に残ったのは、フェルメールの「天文学者」以外では、
ジャン=バティスト・グルーズの「割れた水瓶」、シャルル・パロセルの
「象狩り」、ニコラ=ベルナール・レピシエの「素描する少年」。

「割れた水瓶」から飛躍して、先日観た「フィガロの結婚」で赤い花びらが
一瞬にして散るシーンを思い出した。古風な演出がかえってあの場にはふさわ
しいと思ったのだった。



美術館をあとにしてブラブラ歩き。運動を兼ねているとはいえ、どこを
歩いても飽きない京都の道。
先日「恋舞妓の京都慕情」で二人が行っていた上御霊神社のことを思い出し、
お参りすることに。ここは応仁の乱勃発の地、とのこと。
ちょうど茅の輪くぐりが用意されていたので、くぐってきた。



相国寺の境内を散策していたら、少ないけれどきれいな紫陽花が!
蓮の花は午前中しか咲かないと思っていたのに、開いている花を発見。
望遠がないので遠すぎた写真(笑)。



お寺からの流れで京都御苑をあちこちゆっくり散策する。
沙羅双樹はとっくに散っていたし、紫陽花もほぼ終わり。
それでも楽しいのだ、ここは。いつも見るものがいっぱいある。
ふと空を見上げると雲がきれいだった。



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春日大社御本殿特別公開、延長のおかげ。

2015-06-21 | 散策・旅
秋篠寺、6月6日は大元帥明王立像特別開扉の日だった。
が、境内につくとすでに長蛇の列!
20分位待って1cmも動かなかったのでキッパリ断念。
いつか平日の6月6日に休めるときがきたら、きっと再訪しよう。
4年前に拝観した伎芸天立像の微笑みに思いを馳せつつ・・・。

次に向かったのが、春日大社。
午前中は曇り空で雨がパラッときたけど、昼食後はからりと晴れた。
以後は好天だけど暑くなく、日没まで爽やかな心地よい日だった。



春日大社ではただいま式年造替の行事が進行中。
建て替えの間に、国宝の御本殿が特別公開。
さらに、その御本殿の岩座(いわくら)が初公開。
というわけで、神さまの仮の住まいになる「移殿」(御仮殿)や、
140年ぶりに開門されて参拝できる「後殿」、神が降り立ったとされ、
現在も禁足地である「御蓋山浮雲峰(みかさやまうきぐものみね)
遥拝所」や、釣灯籠のある回廊までしっかり見て回ることができた。
こんなに貴重で特別な場所ばかりなのに、全く並ぶことなく、時間を
かけてゆったりと巡ることができたのは、一般公開が6月30日まで
延長になったおかげです。



前回の造替の際に、お砂持ち行事に参加させていただいた時でも
そんな奥の隅々まで入ることができなかったので、今回は本当に
ありがたい~。
いつも参拝のたびに外からしか見えていなかった風景や建物・設え
を間近で見て、いろいろ感じることができたのがよかった!
内部は撮影禁止になっているのでここには掲載できないけれど、
こちらの観光サイトに写真がいっぱいある。




<ご祭神のこと>
神様がいま移殿におられる間に、ご本殿を見せていただく。
ご本殿は御蓋山の尾根をそのまま利用して、ゆるやかな傾斜地に
建てられているのが特徴的。そのため四棟ある社は若干ずつ段差
がついており、向かって右の端の第一殿が一番高い位置にあった。
ああ、そうなのだ。いま立っているのは山の尾根であり、そのつづき
の頂上に浮雲峰があり、そこに神さまが天降られたという。
そして、その峰に向かって手を合わす遥拝所に朱の鳥居がある。
~天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に い出し月かも~
阿部仲麻呂の歌が自然と浮かび、御蓋山というもののイメージが
はじめてつかめたように思う。

そして、奈良時代のはじめに鹿島から白鹿の背に乗って天降られた
という神さまこそ「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」。
先月、偶然立ち寄った草津の立木神社の「武甕槌命」さまは、この
春日大社の第一殿のご祭神なのだった。
いまも「鹿島立」の信仰が息づく聖なる地。
調べればもっと、鹿島を出発してからの武甕槌命の旅路をたどること
ができるのかもしれない。

第一殿・・・武甕槌命(たけみかづちのみこと)さま
第二殿・・・経津主命(ふつぬしのみこと)さま
第三殿・・・天児屋根命(あめのこやねのみこと)さま
第四殿・・・比売神(ひめがみ)さま


景雲殿の「勧進宝物特別公開」を拝見した後、春日大社の境内を隅々
まで歩いて回り、その後は東大寺へ。

二月堂の食堂の前に木があり朱色の花が咲いていた。あとで調べたら
ザクロの木だった。ザクロの実は知っていたけれど花は初めて。そう
いえばそんな形をしている♪
これは食堂にお祀りされている鬼子母神と関係があるのだそう。
鬼子母神は子供を一人抱き、右手に吉祥果を持つとされ、日本では
吉祥果がどんなものかわからなかったのでザクロになったとのこと。
鬼子母神とザクロと青い空。6月の忘れられない風景の一つになった。





さんざん歩き回ってから、久々にPINOCCIOでコーヒー&ケーキ。
いろいろあった週だけど、すっかり気持ちが元気になった。
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湖北の観音さま2015(2)黒田観音寺

2015-05-21 | 散策・旅
●黒田観音寺へ

帰りは下りが多く、ビューンッ!と30分ほどで駅前に着いた。
続いて黒田観音寺に向かう。
教わった道順によれば、木之本駅東側の線路沿いの道を西に折れ、北陸
自動車道の下をくぐり、県道365号線を右に曲がって川を渡る。
途中にある「黒田家御廟所」は去年の大河ドラマ、黒田官兵衛ゆかり
の地でもある。去年この辺りは大いににぎわったんだろうな~。


観音寺の案内版がある橋を渡る。


橋の上から、余呉川。


駅から15分ほどで黒田観音寺に到着。


お堂の扉に菊の御紋。旧国宝だから(?)


観音堂から見える風景。


到着して、お世話くださる方に電話すると10分ほどで来てくださった。
お堂が開くと、さらにお厨子にも大きな錠前がかかっている。
厨子の扉が開いた途端思わず声に出してしまった。
わぁ~~。すごい迫力!
これまた写真で見るのよりはるかに素晴しかった。

身長1m99cmの一木彫り。十八臂の観音さま。
複雑かつ見事に配置された18本の手は宝珠、宝剣、蛇身法塔などを持ち、
それらの手を支えるのは大木のようなガッチリとした体。
目尻の上がったきりっとした顔は、もしモデルになった人がいるとすれ
ば男の人に違いない。見れば見るほど勇壮な男の人に見えてくる。

拝観時にいただいたプリントから来歴をかいつまむと・・・

神亀年中に行基が千手観世音菩薩像を刻み、三縁山観音寺としてお堂を
建立。その後の戦乱、火災などで寺は荒れ、忘れ去られようとしていた。
ある時、臨済宗の高僧が廃寺同様の寺に美事な尊像があることに驚き、
托鉢による浄財で寺を修復、霊応山観音寺とした。それを見て感動した
ある豪族が、多額の寄進をし、他の人々にも信心するよう図った。
この豪族こそ保崎谷長者と呼ばれ、後の黒田候の祖先となった人
境内にある二基の宝篋印塔はその墓と言われている。



その形相は千手観音というより「准胝観音」の姿に近く、奈良時代の
特徴を持った平安初期のものと思われる、とのこと。



お厨子に近づいて見ると、さらに優美で、意外に柔らかい表情だった。
下方を覗きこむと、豊かな広がりのある上部からは想像つかないほど
ほっそりした足が! 手の指もきれい。
厨子の上部の照明をつけていただいて見ると、眉がくっきりとわかり、
ちょっとキビシイ顔つきになった。
光の移ろいによるさまざまなお顔を見ることができるのは、観音さまを
守ってこられた地元の人だけなのだ。
大河ドラマにわく去年、特に休日は拝観者が絶え間なく訪れたそうだ。

お厨子には焼損した仏さまも共に安置されていた。
戦火をかいくぐり、いま目の前の観音さまがこのようなパーフェクトな
姿で見られることが奇跡のように思える。
他からお声がかかってもこの地を離れたことがないとのこと。
ここに行かないと拝観することができない堂々たる観音さまなのだった。

<拝観メモ>
黒田観音寺(霊応山観音寺)
木造伝千手観音立像は国指定重要文化財
拝観料500円 朱印帳へのスタンプ300円
※事前予約が必要



●木之本地蔵院と界隈散策



ここは北国街道。自転車を先に返して、木之本地蔵院へ。
観音さまばかり追いかけて、地蔵院の境内に入ったのは今回が初めて。
大変失礼しておりました。
なんと1350年の歴史を持つ「日本三大地蔵」のひとつ! 門前を通っただけ
で感じる濃く厚~い空気は、そういうことだったのですねぇ。



こちらは延命息災の仏様であり、眼の仏様。
秘仏のご本尊を心で感じお参りし、地蔵大銅像のお姿を拝し、戒壇巡り
でお地蔵様を手に感じ、お参りしてください、とのこと。



「木之本地蔵尊御縁起抄」の長~い文章を思いっきりかいつまむと・・・

天武天皇の御時、難波の浦に流れ着いた仏像があった。これこそ南天竺の
龍樹菩薩の作で霊験あらたかであると天皇が夢にみて、難波に伽藍を建立。
しかし、もっとあまねく衆生に地蔵尊の慈光をいきわたらせるため、別の
地を探すよう奈良薬師寺の開山祚蓮上人に命じた。勅命を受け諸国を行脚
する上人。北国街道にさしかかった時、柳の大木の下に地蔵尊を下ろして
休憩したところ、金光を放ち、一面光明につつまれ、病の者は治癒し、
災難に遭った者は難が消除した。「この地こそ地蔵菩薩の有縁の地なり」
と伽藍を建立したのが、木之本地蔵院のはじまり。



本堂にたくさんの蛙の置物があった。お参りした人が奉納する身代わり蛙
で、見ると片目をつむっている。お寺には片方の目をつむった蛙が住み、
「すべての人々の大切な眼がお地蔵様の御加護をいただけますように」
「すべての人々が健康な生活を営むことができますように」
と自ら身代わりの願をかけて暮らしているそうだ。

裏地蔵尊参拝処では、お地蔵さまの裏側から拝観ができる。

<拝観メモ>
木之本地蔵院
戒壇巡り入壇冥加300円 
秘仏のご本尊は平成18年にご開帳があり、次回は未定とのこと。


●スイーツ
菓子乃蔵 角屋
自転車こぎで酷使した足を休めようと、門前の角屋さんへ。
1階のお店で売られているお菓子と紅茶を注文し、2階にあがると大きな
木のテーブル、木彫を施した椅子が。民家の座敷に案内されたような
店内からは木之本地蔵院が見えた。
疲れた体にシュークリーム、美味しかった~。



菓匠 禄兵衛
お土産に草餅と木之本餅を買って帰った。
帰りの車中でいただいた草餅は、よもぎの風味と上品な甘さがことのほか
美味だった。


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湖北の観音さま2015(1)医王寺

2015-05-18 | 散策・旅
湖北の観音さまを拝観するのは3回目。
レンタサイクルで回るのはこれが2回目。
5月5日、降水確率0%。絶好の自転車日和やないの~!
湖北サイクルロードなどの道が整備されているからか、駅周辺や
街道などでもマイサイクル組をけっこう見かけた。

まず、木ノ本駅観光案内所でレンタサイクルを借りる。
もちろん電動アシスト付きのほう。
地図をもらえるので、行きたい場所を告げると係の人が地図に
道順を書き込んでくださるのもありがたい。

今回は遠出なので、拝観は医王寺と黒田観音寺の2カ寺だけ。
時間が余ればちょこっと観光などもする予定。
どちらも無住寺のため、前もって奥びわ湖観光協会に電話して、
世話方さんの連絡先を教えていただき、前日に予約をした。
現地にも連絡先が貼ってあるが、当日だと都合が合わないこと
もあるそうだ。



駅からすぐ国道303号線に入り、木之本地蔵院の近くの夢創庵で
昼食。ぶっかけそばを注文したらお汁が多く、大阪の某店の
ぶっかけうどんとは全然チャウ(;^_^ 。でも、お蕎麦は美味!

●医王寺へ

一気に「医王寺」をめざす。
国道303号線から県道285号線に入り、大見地区方面へ。
が、地図の1カ所を読み違えてしまい5分位迷う。田部東で左折
するところを1つ手前の東横町の交差点で斜め方向に左折してし
まい、トンネルを2つくぐる予定が1つになった。
結果オーライ。川合トンネルの手前のガソリンスタンドを右に見
ながら左に折れると川合の集落へ。郵便局もある。


集落を抜け、湖北サイクルロード(車道)の一部を走る。
風、匂い、音、光が心地よい。この先は高時川に沿って。


「大見いこいの広場」と「医王寺」の案内板。


ちょこっと車道からそれて左の回り道を選ぶ。集落があり、石垣の
きれいな道の先にお地蔵さん?も祀られていた。

車道に再び合流。


左手に橋。自転車で最後まで行けるのかわからないので・・・


あの橋を渡る。


ひゃあ~!「リバーランズ・スルー・イット」みたい。


橋を渡った先にお地蔵さま。


橋からわりとすぐに駐車場の看板。この建物が医王寺観音堂。
(すぐ奥に、大見いこいの広場・キャンプ場がある。)


医王寺に到着。迷った時間、昼食時間を除き木之本駅から約40分。


観音さまがおられるのは、こちらの観音堂。


立て札の解説


お堂の脇にも小さなお地蔵さま。

この日は私たちを含め3組が拝観。
いっしょになった別の方が地区の世話方さんに連絡をとると、
すぐに男の人が来て笑顔で案内してくださった。きけば、昭和に
できたこの観音堂とほぼ同じ年齢とのこと。

お堂の中に入ると、劇場みたいに幕がゆっくりと左右に引かれ、
縦長のお厨子の扉を開けると十一面観音さまが現れた。
録音による解説が流れるなか、じっくりと見せていただく。
昼間の堂内には光が柔らかく行き渡り、隅々までよく見えるし、
お厨子の間近に寄って拝観することもできた。

井上靖の『星と祭』では「美人」「端麗な顔」「清純な乙女の
体がモデルに使われてでもいそう」などと書かれており、ガイ
ドブックの写真も見ていたが、写真よりも実際に見るほうが
断然素晴しい(あたりまえ。)
眠っているのかと思うような細い目は優しく、唇は閉じているけ
れど、笑っている、と私には見えた。美人で、品のよさがある。

この観音さまは明治時代、このお寺の栄観和尚が長浜の古物商
から買い求めたものだそう。(『星と祭』では鋳物屋と書かれ
ている。)おそらく廃仏毀釈によるものと思われるが、手放した
ほうのお寺はさぞ心残りだったに違いない。
頭頂の化仏や身につけている宝冠、アクセサリー、ゆるく翻った
衣、手に持つ水瓶の蓮の花・葉まできれいに残っている。
厳しい時節を乗り越えてこられたのだと思うせいか、いっそう
ありがたく感じられる。栄観和尚に見出され、地区の人々に
大事に守られているその表情は、観音さまの「微笑み返し」
なのかもしれない。

<拝観メモ>
●医王寺 
木造十一面観音立像 像の高さ152cm 国指定重要文化財
10世紀末から11世紀初頭にかけて造られたものと思われる。
拝観料300円。印刷によるご朱印300円
※事前予約が必要

<レンタサイクル メモ>
電動アシスト自転車 レンタル料1,000円+保証金500円(保証金
は返却時に返金)


(2)へ続く。
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5月3日は立木つながり(2)善水寺・立木神社

2015-05-09 | 散策・旅
草津で昼食をとり、善水寺へ。草津ではぽつぽつと降っていた雨なのに、
お寺につくと晴れていた。



今年配布されている、善水寺秘仏薬師瑠璃光如来御開帳のパンフレット類。
ご開帳は善水寺開創1300年、慈覚大師1150年御遠忌、また国宝善水寺本堂
桧皮屋根修復勧募のために行われるもので、期間は4月19日~6月14日。
金銅釈迦誕生仏、銅像阿弥陀如来も特別公開されている。
詳細はJR西日本の「ちょこっと関西歴史たび」の公式サイトヘ。

去年の8月に行ったばかりで、その時も素晴しい本堂や重要文化財の仏像を
はじめとするたくさんの仏さまをゆっくり拝観させていただき、心穏やかに
なったのだけれど、「秘仏」とか「特別公開」とか言われると、ねえ。

到着すると門前には土産販売のテントが出ていて、拝観者で賑わっていた。
去年はお盆休みの雨の日だったので人も少なくて、雰囲気はずいぶん違う。



国宝の本堂。反りの形が美しくて間近でみると圧倒される。
お寺は奈良時代(710年頃)の開基で、元明天皇勅命により「和銅寺」として
草創。延暦9年(790年)に伝教大師が中興して「善水寺」に改めた。
1360年に火災にあい、本堂は南北朝時代の再建。



こちらは去年の本堂の写真。到着直前に雨が上がり、桧皮葺の屋根から水が
したたりキラキラと光ってそれは美しく、しばし見とれてしまった。




正面に回ると薬師瑠璃光如来さまとご縁を結ぶ綱が!



こちらは去年、何もない状態。蔀戸があるのが宮殿風とのこと。

本堂にあがって拝観。
迫力ある金剛力士2躯も本堂外陣に立っているのでびっくりするが、間近
で見られるのはありがたい。昭和28年の大雨で流された仁王門に安置され
ていたもので、ご本尊と同じ平安時代(藤原時代)の造像で重要文化財。
内陣に入り、中央にご本尊の薬師瑠璃光如来。脇侍として帝釈天、梵天、
四天王(増長天、持国天、多聞天、広目天)を配置。これらすべて平安
時代(藤原時代)に本尊薬師如来と共に造像されたもの。元国宝で、現在
重要文化財。ちなみに寺伝では、ご本尊の右側の帝釈天は日光菩薩、左側
の梵天は月光菩薩と言われていたそうで、それなら薬師三尊像になる。
十二神将は市指定文化財。

薬師瑠璃光如来の金箔がよく残っているのは明治の修復によるもので、
彩色が美しい光背はご本尊よりも後から造られたものだそう。
お厨子の中におられるので間近では見られないが、購入した写真を見ると
目はうっすらと半眼で穏やかなお顔。光背のてっぺんには塔、周囲には草
の蔓と薬師如来と思われる絵が描かれている。
明治の修復の際に胎内から多量の稲籾が見つかり、五穀豊穣、万民豊楽の
思いがこめられていたようだ。

また「薬師瑠璃光如来」とは薬師如来の正式名称で、瑠璃光とは東方に
ある薬師如来さまがおられる浄瑠璃世界をさす言葉だそう。
偶然とはいえこのお寺を訪れた2回とも直前に雨が上がり、薄日に照らされ
ている本堂を見るにつけ、ご本尊の輝きと関係があるように思えてしまう。

本堂後堂にも、兜跋毘沙門天、不動明王、僧形文殊菩薩(すべて重要文化財)
ほか仏像や寺宝があり、特別公開の金堂釈迦誕生仏、銅像阿弥陀如来(信濃
善光寺本尊御分身)は後堂に行く手前に。
火災や大雨の難を逃れて今に残るお宝ばかり。ふう~、すごいわ。



伝教大師最澄上人が雨乞い祈祷の池を探していた時、一筋の光に導かれて
やってきたのが、百伝(ももつて)の池。その際に一寸八分の閻浮檀金の
薬師仏が現れ、祈祷したところ満願の日に大雨が一昼夜降り続いたという。
後に、桓武天皇御病の際に、大師がこの池の水で病気平癒の祈祷、医王
善逝の秘法を行ない、その霊水を献上したところ、たちまち平癒されたと
のこと。善水寺の名前はこの縁起に由来する。



ペットボトルをいただいて、伝説の百伝の水をつめて持ち帰りました!
(その場で少し口にふくむとまろやかだった。煮沸して飲むように、と
印刷物に書かれていたので料理に使わせていただきました。)



門を出て本堂の下、十二坊のひとつ岩蔵坊旧跡にある観音堂。
聖観音菩薩さまがガラス越しに拝める。
江戸時代に乗蓮比丘が本尊裏堂で破壊されていた観音さまを見つけ、各地
で勧進し、修復したもの。観音堂の奥横にあるお墓はこの観音さまを守っ
てこられた人々のお墓だそうだ。
観音堂の前の巨岩には不動明王の磨崖仏もある。小さいけれど、くっきり!

●拝観メモ
善水寺(岩根山善水寺) 公式サイトはこちら
ご本尊ご開帳は不定期。
拝観料 700円
JR草津線「甲西」駅下車、湖南市巡回バス「岩根」下車徒歩10分
本尊御開帳期間中の6月14日までは「甲西駅」から善水寺駐車場まで
臨時シャトルバス運行




立木観音もあるけど、立木神社もあるよ。てことで、草津宿に移動。
一切の予備知識なしに行くので、立木神社がはたして弘法大師空海と関係
があるのかどうかを調査する、というミッションを勝手に携えて。



ここは草津宿です。



昔の街道らしい町並みがそのまま残っていたり、復元されていたり。



あっ、幟がいっぱい! 立木神社だあ~。



え、えええ! やっぱり?!
鳥居の左右にいるのは阿吽の狛犬ではなく「鹿」です。
立木観音さんの境内で見た、弘法大師を乗せた鹿と関係あるのか?



鳥居をくぐって境内に入ると、やっぱり鹿。あっちにも、こっちにも。
やっぱり?!空海さんですか?



門をくぐります。



由緒書きにたどりついた。だいたいの意味は・・・
ご祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)。創建は676年。
武甕槌命が常陸国を旅立たれ、この地に着き新殿を創建。この時に
手に持つ柿の杖を社殿近くの地にさし「この木が生えつくならば
吾永く大和国三笠の山(今の春日大社)に鎮まらん」と宣言すると、
不思議にも柿の木に枝葉が茂り出した。人々はそのご神徳を畏み、
この木を崇め、社名を立木神社と称し、奉る。

とな!
え? 鹿は? もしかして春日大社の鹿のことですか?
弘法大師に関係ないことだけは判明。あったりまえやんか~。

帰宅して神社の公式サイトをみれば、武甕槌命が常陸国の鹿島神宮を
「白鹿に乗り」旅に出られた、とのこと。
わわ、その鹿ですか~~~~~~~!まったくわかりませんでした。
まあ、そのおかげで立木と鹿をめぐる楽しい散策ができたわけですが。
立木観音といい、立木神社といい、滋賀県ではそれほど鹿が身近な
存在だったということでしょうかね。



こちらの鳥居からお参りすると、ちゃんと狛犬が両側に。


●拝観メモ
立木神社 公式サイトはこちら
JR琵琶湖線「草津」駅東口より徒歩約15分


5月3日は立木つながり(1)はこちら

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5月3日は立木つながり(1)立木観音

2015-05-06 | 散策・旅
5月3日、休日。
やっぱり今年も休日は2日間だった。
フルに動いた拝観&散策。初日は滋賀県の立木観音にお参りしてから、
善水寺の秘仏ご開帳、そのあと草津宿にある立木神社へ。


立木観音は瀬田川を見下ろす急峻な立木山に造られた約800段の石段を
上がってお参りすることで有名。が、それとは別に古道(裏参道)が
あることを知り、自然の中を歩こうと南郷バス停付近からスタート。
川のほうには南郷洗堰が見えた。


二十丁ある。一丁まで数字をさかのぼりながら参道を歩く。


集落を抜けて林道へ。


川沿いの参道は災害復旧工事の真っ最中だった。
十四丁あたりまでは山に造った迂回路を歩く。
(右の写真は工事区間の終了地点で下り方面を振り返ったところ)


距離を表す石柱がめやすでもあり、楽しみでもある。


八丁付近の岩の上からの眺め。


六丁~五丁付近の眺望。


四丁~三丁付近から。


石畳と階段が見えたらもうすぐ。


いまのぼってきた古道(裏参道)の説明。艱難辛苦のすえ十八丁もある
山道を切り開いて造った貴い参道で、石段が出来るまではみなこの道を
歩いて登ったとのこと。南郷バス停まで約40分のゆるやかな道。
この看板から上、最後の石段をあがったら境内に到着。

いやー、濃い! 濃密な信仰への熱気を感じる境内。


(白い)鹿に乗った弘法大師像。
立木観世音縁起によれば・・・
大師四十二歳の時、諸国行脚中に山に光を放つ霊木があり、近づこう
としたが、前に一帯の大河があって渡れない。しばらく川辺に佇んで
いると白鹿がこつ然と現れ、大師を背に乗せ大河を跳び渡り、霊木前
に導いた。白鹿はたちまち観世音に変げし光明を放ち、虚空に消えた。
それが自分の大厄の年であったことから、大師は人々の厄難厄病を救う
ために自身の身の丈にあわせて聖観世音菩薩の尊像を刻んだ。以来
1200年「立木の観音さま」「たちきさん」と呼ばれ信仰されている。




立木観音開山1200年の今年、弘法大師尊像御開帳。
1月1日~5月31日、9月1日~11月1日
聖観世音菩薩を刻んだ余木で多聞天・広目天とともに刻んだもの。
木で造られているが護摩焚きのせいか、見た目には黒い。
弘法大師さんといえば、あの有名な肖像画しか知らないので、正面を
向いているのがフシギな感じがした。少し微笑んでいるようなとても
優しいお顔をしていた。


無料休憩所で、こぶ茶とゆず茶をいただいた。気持ちほっこり。


こちらが石段の表参道だ!


石段の一番下から瀬田川を見る。


●拝観メモ
立木観音(立木山安養寺) 公式サイトはこちら
拝観料無料
祈願のための護摩木や御守などが多種多様に用意されていた。

京阪バス「石山駅」から「立木観音前」または「南郷」下車。
駐車場は立木観音の石段下にあり、南郷付近にはないので、裏参道を
利用する場合は京阪バスで「立木観音前」←→「南郷」を移動。


(2)へ続く。
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花散る花散る~史蹟川原寺阯。

2015-04-25 | 散策・旅
奈良県明日香村。
史蹟川原寺阯は一部の建物以外、公園内にある建物復元基壇がある
だけで、ほとんど何もない。でも、というか、だから広々とした
原っぱをのんびり歩くだけでもほんとに気持ちよかった。


その一角。お寺の門前に立ったとき、ふと見ると花が飛んでいる。
もとい。桜の花が風に飛ばされて散ってゆく。花の形のままで。
普賢象桜は丸ごと散ると聞いていたけれど八重桜もそうやったんか~。
だけど無風でぼたぼた落下するのではなく、花びらが舞う軽やかさで
野を渡る風に乗り、たくさんの花が花のまま流れ散っている。



なんて、き、綺麗~。



立ち位置を変え、花が自分に向かって飛んでくるのをひととき楽しむ。
アホやな、わたし。

京都で見た桜。水上勉の小説『櫻守』を読みながら想像した桜、桜。
この春にインプットした桜までもがいっしょに頭の中で散ってゆく。



ha ha ha ha 花散る花散る風で~♪
BGMはサカナクション。
あれは蓮の花やけど、ええやないの。かたいこと言わんと。






<拝観メモ>
●川原寺(弘福寺 ぐふくじ) 



南部倭西国第5番 斉明天皇等ゆかりの寺 拝観料300円
ご本尊は十一面観音さま。寺務所に申し込めば拝観できるようだが、
現在、土曜日は拝観不可らしい。寺宝の多聞天、持国天は重要文化財
で奈良国立博物館に収蔵されている、と観光情報に書かれている。
境内にて食事・喫茶の「花つばき」が営業中。
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河内長野の2つの寺へ。

2015-04-18 | 散策・旅
カレンダーに書き込んで、ずっと楽しみにしていた。
4月18日は、観心寺の如意輪観音さま拝観日。
前から気になっていた金剛寺も近くにあることだし。
というわけで、今日は河内長野にある2つのお寺を巡った。

午前中は天野山金剛寺、午後は観心寺。
近いという理由で偶然この組み合わせになったわけだけれど、
当日お寺で河内長野市観光協会のパンフレットを手に取って
あらら! なんと観心寺のご開帳に合わせ、毎年4月17日・
18日は金剛寺でも重要文化財が公開されることになっている
ようだ。観心寺から金剛寺行きの無料シャトルバスが運行さ
れたり、金剛寺では手打ち蕎麦、観心寺ではお弁当が販売され、
それぞれに楽しみが用意されていた。


<天野山金剛寺>



楼門をくぐってみると一目瞭然。平成の大修理とかで、金堂
はシートをかぶって修復中だった。完成は平成30年だそう。
多宝塔は修理を終えたばかりで色鮮やかな姿を見せていた。
修理のため本来、金堂に安置されている大日如来坐像、脇士
不動明王、降三世明王は今はこちらでは拝観できない。
ただ、大日如来と不動明王は京都国立博物館で、降三世明王
はなら仏像館で観たことがある。それで寺名を覚えてしまっ
たほどインパクトある姿だったわけで。
でも、やっぱり仏像は本来あるべき場所で拝観するのが一番。
完成したら三尊そろっているところを観たいと思う。
楼門の仏像がとても力強くて、素通りできない素敵さだった。



薬師堂で、薬師三尊像と十二神将(鎌倉時代、薬師如来立像は
大阪府指定重要文化財)。
五佛堂で、五智如来5躯(平安時代、国指定重要文化財)。この
ような配置での五智如来坐像は初めて見た。5躯のお顔を同時に
見おさめるには斜めからがベストアングル。



多宝塔に祀られる寺宝は宝物館で見られた。
重要文化財の大日如来坐像をはじめ、多数の仏像、神像など。
国宝の刀剣「無銘附黒漆宝剣拵」も、宝物館で拝見。3月に京博
に展示されていたそうだがカンペキに見逃しており、こちらで
見られた。密教の刀剣らしく両刃がきれいに残っていて、柄の
部分が三鈷のデザインになっていた。
庭園に向かうのに境内を出ようとしたら、楼門の左手にきれいな
八重桜があったので記念撮影など・・・。



そして、ここは八条女院ゆかりのお寺。女性が弘法大師にご縁を
結ぶ霊場ということで当時は「女人高野」と呼ばれており、
天野川沿いにその名称のついた建物があった。



同じ拝観券で北朝行在所と庭園も見学できた。南北朝時代には
南朝・北朝双方の行在所となった場所でもあるそうだ。庭園内
には「北朝光厳天皇行在所」と書かれた石柱が立っていた。
緑の庭と木の回廊。居心地のいい場所だった。






この日はお天気もよく、天野川沿いの歩道にちょうどいい塩梅に
八重桜が咲き、とても気持ちのいい散策が楽しめた。



●金剛寺メモ
期間中特別拝観料 800円
拝観時間 9:00~16:30




<観心寺>
「今年は拝観者が特に多い」と、ご住職さん(?)が仰って
おられた。この方のお話が丁寧でとてもわかりやすかった。
たしかに好天に恵まれた土曜日で、かなり混雑していた。
お寺の拝観時間は17時だけれど、如意輪観音さまは16時まで。
そんな制約も影響していると思う。
本日の最大のおめあては、こちらの国宝の如意輪観音坐像。



去年の神呪寺に続いて、今年は観心寺。
2つの如意輪観音さまはそれぞれに個性的で、唯一無二で、
なまめかしくて・・・やはり、素晴しい!
この仏像を彫った人に会いたい、と思わされる力のある仏像だ。
奇しくもというか、やっぱりというか、どちらも弘法大師の作。
神呪寺のほうはより人間に近く、リアリティがある。ふくよか
でシンボリックな感じがするのが観心寺のほう。

観心寺の観音さまは戦前までは33年に一度のご開帳だったため、
良好な状態を保つことができたらしい。
榧(カヤ)の一木造りで、はじめは白っぽい色をしていたそう
だけれど、いまは茶色っぽく見える。お顔のふちにわずかに残
る白い部分が本来の色だろうか。

お話を聞くときは後方にいたが、お話が終わってから前方で
拝観することができた。まず、その独特の姿に圧倒される。
左手の人差指1本に輪宝がのっている。別の手には如意宝珠を
持っている。祈願する者の煩悩を輪宝で打ち破り、宝珠によっ
て福徳を与える・・・・・・だから、如意輪。
よく見ると蓮花も持っていて、やはり観音さまなのだった。
力強ささえ感じるのに優しさに満ちている。来てよかった。

神呪寺、観心寺、室生寺が日本の三大如意輪観音と言われてお
り、すべて関西にあるのに、あいにく室生寺は去年の拝観機会
を逃がしてしまっている。次の機会には、きっと・・・。



如意輪観音さまが安置されている金堂は、建物自体も国宝。
ご本尊の手前、須弥壇の向かって左に金剛界曼荼羅、右に胎臓界
曼荼羅がケヤキの板に直に描かれているのも珍しい。柱の絵も
色が残っていてきれいだった。
重要文化財の「大随求菩薩画像」も特別に公開されていた。
滅罪の功徳、つまり、いっさいの罪を消してくれる仏さまとの
こと。ありがたい~。

霊宝館には、建掛塔に安置されていた塔内四仏の、弥勒菩薩、
宝生如来、釈迦如来、薬師如来(どれも重要文化財)ほか、
地蔵菩薩(重要文化財)、聖観音(重要文化財)など。
金堂ご本尊の試作と伝えられる如意輪観音像があったが、あまり
似ていなかった。こちらも重要文化財。
ほかには、楠木正成の首塚があることもあり、楠公さんゆかりの
品々も公開されていた。



境内は思いのほか広くかった。如意輪観音を中心に仏像が祀られ、
その周囲に北斗七星を配置して、立体の七星如意曼荼羅を造って
ある。これが「星塚」なのか~~~と思いながらひと巡り。



楠木正成ゆかりの史蹟も。
首塚はまあわかるけれど、楠木正成が三重塔の建立を計画するも、
湊川で戦死したために「建掛の塔」として今に伝わる・・・って、
建設半ばの建物があるとはね。これが下から見るとじつに面白い!




●観心寺メモ
期間中特別拝観料 700円
拝観時間 9:00~17:00 ★秘仏拝観は16:00まで
役行者が開創し、空海が如意輪観音を刻み、空海の弟子の実恵と
その弟子の真紹が造営工事を行った。
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