もじもじ猫日記

好きなこといっぱいと、ありふれない日常

ウルトラQのような現実

2015-11-19 23:55:12 | コトバ
不機嫌を振りまく輩は
不機嫌が日常で笑うことがないとしても
他人の笑顔をあーだこーだいうことに費やすエネルギーが
不毛だとは感じない時点で
痛覚がどこか壊れているのだろう。

笑いあっている人達の中にも
抱えている闇があることに思いが馳せられないのでは
3歳児にも並べないのではないか。

憎まれる方が忘れられるよりまし
なんてのは
恋の歌を歌っているシンガーが使って形になる言葉
もしくは
虐げられた子供時代のツケを大人になって払っている人にしか
フィットしない言葉だ。

筒井康隆の「俺に関するうわさ」がリアルな現代に
「猫に未来はない」の猫のように
前頭葉が欠けている輩が多すぎるが
猫の可愛さを保有していない点で問題外だ。
そして想像していなくても
石つぶては等しく万人に闇から放たれる時代。

人をののしるその口で友愛を語れる人は
病んでいるのかもはや人ではないなにものなのか。

京都が買われる日が
やってくるのも現実になるかもしれない。
金の亡者はお腹に金額が表示されるよ、
解り易くていいかもな。

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