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moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

「兄弟」の話

2005-08-24 23:01:08 | コラム、というか
moiの「兄弟」にかんするニュースををひとつ。

ここmoiを設計していただいた建築家、関本竜太さん(RIOTADESIGN.主宰)の作品が、現在発売中の『新建築住宅特集』2005年9月号で紹介されています。

さて、最近ではすっかり「売れっ子」の関本さん、手がけた作品の数もどんどんふえています。じっさいWEBサイトの「ポートフォリオ」をみても、わずか3年しかたっていないにもかかわらず「moi」の写真などすっかり下~の方へと「埋没」してしまっておりクライアント的にはあまりおもしろくなかったりもするワケですが(笑)、それでも(?!)今回『新建築』誌に初掲載されたことはとてもよろこばしく、「おめでとう」と心から祝福したい気持ちでいっぱいです。

以前、『新建築』に作品をとりあげられるということはすべての若手建築家にとっての「目標」という話をきいたことがあります。ここでとりあげられてはじめて一人の建築家として認められた、それはそんな意味合いをもつのだそうです。次の「目標」にむけての大きな励みとなりそうですね。

ところで今回とりあげられたのは、「Hakko」という名前の山中湖畔にたつウィークエンドハウス。写真をみるかぎり、成熟したクライアントさんの趣味を物語るかのようなシンプルで澱みのないデザインという印象をうけます。「都会での生活」や「仕事」を一切持ち込まない、フィンランド人にとっての「ケサモッキ(サマーハウス)」にちかい空間なのでしょうか。そして室内にいても限りなく外にいるかのような、光や風を感じることのできそうな「開放感」もいいですね。

クライアントの目からみて言えるのは、関本さんというのはクライアントのことばにとてもよく耳をかたむける建築家だということです。速球を投げれば速球が、変化球を投げれば見事なまでの変化球がかえってきます。クライアントは、そんな楽しい(ときにしんどい...笑)キャッチボールをつづけながら、やがてその「思い」がひとつの「空間」に結実してゆくことに気づくのです。あくまでもひとりの建築家の「作品」でありながら、そこにクライアントの「顔」がはっきりと刻み込まれていると感じるのは、おそらくそうした彼の設計プロセスあってのことでしょう。

ぜひ本屋さんでみかけたら手に取って、写真のむこうにみえるそんな「やりとり」の数々を想像してみてください。「建築家のしごと」が、すこしだけわかったような気分になれるかもしれません。

いいオトナが、

2005-08-22 23:16:51 | コラム、というか
橋区の実家から「荻窪」へと引っ越してきたとき、さいしょに感じたのはこういうことだった。

なんだ、このユルさはぁぁぁ

これをべつの表現に置き換えると、こうなる。

いいオトナが、平日の昼間っからアイスクリームをなめながらぶらぶらしていても「通報」されない街

それまで暮らしていた街は、都心から地下鉄で15分ほどのところに位置する大きな「団地」だった。住民のほとんどはサラリーマン家庭のうえ、当時はまだ老人も少なかったので平日の昼間にはその街から「男」の姿が消えた。そのため、平日の昼間にぶらぶらしている「いいオトナ」は、なんとなく居心地の悪い空気を感じてしまうようなところがあったし、あたらしい団地は清潔で必要十分な設備は整っていたけれど、残念ながらそんな「いいオトナ」を収容する「受け皿」までは用意されていなかった。

ところが、である。中央線沿線のこの街ときたら、平日の昼間っから正体不明の「いいオトナ」がたくさん、平然と街中を徘徊しているではないか!しかも、そんな「いいオトナ」たちをみかけても、だれもべつだん気に留めている様子もない。いいのか、そんなことで!いや、全然いいんじゃないっすかね~。というわけで、ぼくもどんどん加速度的にこの底なし沼的ユルさの中へとずぶずぶと引きずりこまれてゆくのだった。まずは商店街の、いまはなくなってしまった「ぼぼり」というアイスクリーム屋でペロペロとアイスをなめ、それから古本屋や中古レコード屋を何軒かハシゴする。それからふたたび、なにかあたらしい店でもできていないものかと散策をはじめるといった具合に。唯一の「欠点」は、そんな散歩の折に一服つけるような気のきいた喫茶店がないことだったのだが、いまはだいじょうぶ。moiがある。

ご多分にもれず、平日のmoiにはそんな「いいオトナ」たちがあつまってくる。店内に、他愛のない会話とユル~い空気が充満する。京都や大阪、神戸の古い喫茶店しかり、「オトナの街」にはそんな「いいオトナのための受け皿」がさりげなくあってほしいものである。そういえば、ヘルシンキでもよく「いいオトナ」がアイスクリームをペロペロなめている光景とでくわす。喫茶店も多い。いいオトナがユルユルと過ごせる街という意味では、案外「ヘルシンキ」も「荻窪」も似ているのかもしれない?!

『震災時帰宅支援マップ』

2005-08-21 23:28:40 | コラム、というか
近でかけるときに持ち歩いているのがこれ、『震災時帰宅支援マップ 首都圏版』(昭文社)



火曜日の宮城県沖につづいて、きょうも新潟県中部で「震度5強」の地震を観測した日本。もう、いつどこで巨大地震が発生したとしても不思議ではない、いよいよそんな状況になってきたような気がしてなりません。

この『震災時帰宅支援マップ』は、外出時に、不幸にも交通機関のマヒをきたすような災害に見舞われたとき、自力で最寄りの「安全な場所」まで避難するとともに、最終的には「自宅」まで無事帰還することを目的としてつくられたマニュアル的色合いの濃い地図なのです。

この地図の特徴は、都心から埼玉、千葉、神奈川へと放射状に伸びる16の幹線道路を「帰宅支援対象道路」と位置付けて、その道筋にそって詳細な情報とともにまとめているところにあります。



コンビニやトイレ、病院、ガソリンスタンド、また一時避難場所に適した公立学校の場所などのほか、「ブロック塀」「歩道狭い」「両側切り立った崖」といった要注意ポイントもあわせて記載しているところが、ふつうの地図とはおおきく異なります。

幹線道路からはずれた全エリアを掲載しているわけではありませんが、ふだん持ち歩く地図としてもじゅうぶんに役立つ内容のものになっているのではないでしょうか。それに、薄く重さもさほどではないので、女性がバッグにしのばせておくぶんにもさほど不都合は感じられないと思います。

もうじき「防災の日」もやって来ますが、ぜひオススメしておきたいと思います。

日本の夏は白い。

2005-08-20 09:06:09 | コラム、というか
らためて思うこと。日本の夏は、なんか白い

湿度や太陽の位置が高いこと、それに空気の汚れのせいもあるかもしれない。ぼんやり薄い皮膜に包まれたかのようなまどろっこしさが、日本の夏の景色にはある。

それとは正反対なのが、北欧の夏



そこでは、空の「青」も雲の「白」も、それに木々の「緑」も、じつはいろいろな「青」が「白」が、そして「緑」があるということに気づかせてくれる。清澄な空気の中、瑞々しくヴィヴィッドにいきづく「色」、「色」、「色」。

どんな豪華な食事よりも、にぎわう観光スポットよりも、このうつくしいパレットのような「北欧の夏」をぼくはえらぶ。

正文作

2005-08-19 23:19:51 | コラム、というか
んなに「物欲」はあるほうではないが、ごくたまに「おっ、これは!」という不意の出会いをすることがある。

この陶製の置物(画像)もまた、こうして出会ったひとつ。数年前、ふらっと立ち寄った家の近所のアンティークショップの片隅に、それはひっそりと佇んでいた。そして、そのモダンでどことなくユーモラスな風情と、緑青のような渋い色合いにぼくはすっかりやられてしまった。

手に入れたその置物には、意外なことにしっかりとした木箱までついており、そこには「正文作」という立派な箱書きまで記されていた(以来、この置物は我が家で「マサフミ」と呼ばれることになる)。いくつかの手がかりを頼りに調べてみると、どうやらそれは藤平正文という清水焼の陶工の手で昭和3、40年代ごろにつくられたものとおもわれる。「藤平正文窯」(現「藤平陶芸」)では多数の「花器」や「茶碗」などを制作しているが、どうやらこの陶工の名は代々受け継がれているようで、時代的にかんがえてこれは「二代藤平正文」の作になるものらしい。ほかにも同様の作品を多数つくっていたのか、あるいは制約のおおい「花器」や「茶道具」の制作の合間に自由な発想で、いわば「遊びの精神」のもとこしらえたものなのか、そのあたりのことは残念ながらよくわからない。

ところで調べているなかで、ひとつ重大な事実が明らかとなった。このひとの名前の読み方なのだが、どうも「マサフミ」ではなく「セイブン」と発音するのが正しいらしい。そうだったのか・・・。

まっ、いいや、うちは「マサフミ」で。

政治家願望

2005-08-18 23:03:36 | コラム、というか
まれてこのかた、いちどたりとも政治家になりたいなどと考えたためしがないので、ひとがなぜあれほどまでに政治家になろうとするのかが理解できない。少なくとも、自分さえよければいいといった身勝手な人間には、それはあまりにもワリのあわない仕事にみえる。オレの力で世界をもっとよくしてやるんだなどという、ちょっとどこかすっとこどっこいな感覚こそがむしろ必要なのではないか?ジョージ・ブッシュがいい例だ。あんな筋金入りのすっとこどっこい、そういるもんじゃない。どのすっとこどっこいにはたしてどこまで加担していいものやら、選挙のときにはいつも悩む。そしていつにもまして、今回はむつかしい。

そんな中、ホリエモンが出馬するらしい。出るのはいいが、「刺客」に「三木谷さん」や「孫さん」が出てくるんじゃないかと、他人事ながら気が気でならないのだ。

ちょっとしたひとこと

2005-08-17 23:20:57 | コラム、というか
家の近所に、とびきり辛いが、とびきり旨い「麻婆豆腐」をたべさせる店がある。



この店ができてまだ間もないころ、ひょんなことからあるグルメ雑誌のためにここを紹介したことがあった。しばらくしてその店に行ったときその雑誌が飾られているのをみて、一応「署名原稿」だったこともあり、オーナーの方には軽くごあいさつだけしておいた。その後、ほかの雑誌やテレビなどでもちょくちょくとりあげられるようになったその絶品の「麻婆豆腐」は、わざわざ遠方から車で訪れる客があとをたたないほどの知るひとぞ知る「まぼろしのメニュー」となった。

いっぽう、ぼくは実家を離れたりしたこともあって、この店をたずねる機会を失ったまま5年ほどの歳月がたっていた。ようやくタイミングがあってひさしぶりにたずねてみると、なんとお店の方はこちらのことを憶えていて、わざわざ声をかけてくれたのだった。そのときは予想外の展開にややビビリつつも、さすがは「客商売」といたく感心したりもした。けれども、いざじぶんが「客商売」をする立場になってみると、それはけっして「記憶力の問題」ばかりではない、べつの一面がみえるようになってきた。

お店をやっている人間にとって、いちばんありがたいのはやはりお客さまからの「あたたかいことば」である。ちょっとしたお客さまのひとことに、「救われた」と感じることもすくなくない。当然、そうしたことばや、そうしたことばをかけてくれたお客さまのことは自然に心に刻み込まれている。いま、ぼくじしんが店をやっていてそうであるように、このお店の方もまた、ひさびさに訪れた客の顔に自然に過去のささやかなエピソードがよみがえったのだと思う。

もしみなさんが、どこかの店に行って「おいしい」と感じたり、雰囲気や接客に「いいな」と思えるところがあったなら、ちょっとしたひとことでかまわないので、ぜひ帰りがけにでも声をかけてあげてください。その「ひとこと」は、もしかしたらみなさんが思う以上にお店をやっているひとにとって大きな「励み」になっているかもしれないので。

ゴミ出し出勤

2005-08-16 23:58:14 | コラム、というか
休み二日目。昼前に店へゆく。ゴミ出しのためである。

規模の大きい店ならいざしらず、moi程度の規模ならば通常の区のゴミ収集でなんとかこと足りる。ただ、決められた日時に出さなければならないので、こんなふうにお店を休んでいるときでもゴミ出しのためだけに出勤しなければならないのが面倒だ。そもそも、moiの「定休日」もなかばゴミ出しの都合にあわせて設定されているようなものである。「月曜日」は、ゴミの回収がない日なのだ。収集日が変わったら、「定休日」も変えなければならないことになるかもしれない。

年末年始など長めにお休みをいただくときは、前もってかなり計画的にゴミ出しにあたらなければならない。やむをえない場合は、自宅までゴミを持ち帰るのである。もちろんまとめていっぺんに持ち帰ることなどできないので、何日か前から小分けにしたゴミを紙袋などに入れてコマメに持ち帰る。ひったくりに備えて、わざわざとても大事そうに「ゴミ袋」を抱えてみたり・・・。こうしたゴミ輸送計画をしくじると、去年のように朝6時前にトランクを引きずって店に行き、ゴミ出しをしてそのまま成田へ直行という哀しい事態を迎えることになる。できうるならば、あれだけはなんとしても回避したい。

ところであすは水曜日、「燃えないゴミ」の回収日である。しかも、午前10時には収集車が来てしまうのでうかうか寝坊もしていられないが、いたしかたない。これもまた、カフェの隠れた、たいせつな仕事のひとつ

プライベートシアター

2005-08-15 23:39:16 | コラム、というか
ょうから3日間、夏休みをいただいています。といっても、べつにどこか行くあてがあるわけでも、またなにかするあてがあるわけでもなく、とりあえず適度にエアコンのきいた部屋でビデオなど観つつ「ああ極楽、極楽」とつぶやきながらゴロゴロする、そんな怠惰な過ごし方こそがほんとうは《理想の夏休み像》だったりするのですが。

そしてきょうは、店へ行く用事ついでに、目先を変えて昼間っから店で「映画」を観てきました。いわば「プライベートシアター」、あるいは「名画座モイ」といった感じでしょうか。



こんな感じで、いつかみなさんにもご参加いただいて《映画をたのしむイベント》など実現できると楽しそうですね。

あのころ日本はゆるかった

2005-08-13 23:21:34 | コラム、というか
の話をすると歳がばれてしまうのだけれど、《大阪万博 EXPO'70》に行ったことがある」というのは、いまとなっては《ちょっとした自慢》である。



とはいえ、ちいさかったせいでただもうひたすらに暑かったという記憶しかなかったりするのだけれど。それでも、未来はきっとこんな風なんだというワクワクした感じをちいさな胸に刻み込むのに、それはじゅうぶんなだけのインパクトをもっていた。

ところでこれは、各パビリオンの紹介をかねた『スタンプ帖』。義理の父親からゆずりうけたものだ。



開くと、中にはパビリオンの写真とみじかいコメントが、そしてじっさいに訪れたパビリオンで記念スタンプを押せるようにとちょっとした余白がある。



それにしてもよほどの突貫工事だったのだろう。数多くのパビリオンの写真はまだ未完成、工事中のものだったりする。せっかくの未来的なデザインの建造物にもかかわらず、不粋なダンプカーが横づけされていたり、「安全第一」の旗がたなびいていたりするのはどうしたものか・・・。なかには、外壁に「○×建設」という看板が堂々とはりついているものさえある。そしてきわめつけはこれ。



「OECD-経済協力開発機構館」の写真なのだけれど、なにやら熱心にはたらくふたりの作業員の姿がばっちりと写りこんでいる。せめてシャッターを切る一瞬だけでも、ファインダーの外にはけてもらうことはできなかったのだろうか・・・。

あのころの日本は、そうとうにユルかった。