きょうもまた暑い一日でした。こんな天気のつづく時期を「Dog Days」と呼ぶのだと、ご近所のアメリカ人のおじいちゃんに教えてもらいました。
そんななか、きょうもずいぶんたくさんのお客さまが暑さにも負けずmoiをたずねてくださいました。どうもありがとうございました。そしてもうひとつ、そんなときお客さまに対していつもありがたいなと思うのは、お客さま同士でやりとりされるさりげない心配りのことです。混雑時には、せっかく足をはこんでいただいたにもかかわらず、どうしてもお入りいただけないということも起こりがちなのですが、そんなとき、先にいらしゃっていたお客さまが率先して席を空けてくださったり、席を代わったり、つめたりしてくださることがままあります。こんなときは、店の狭さとじぶんの仕切りのまずさを忘れて、なんだかとてもあたたかな心持ちになってしまうのです。
さりげない心配りと、かわされる「ありがとう」の言葉、こういうやりとりがごく自然になされるような世界ではきっと争いごとなんて生まれないのではないか、そんな気分にさえなってきます。「終戦記念日」も近いですが、あんがい「平和の根っこ」はこんな身近なところにこそあるのかもしれません。
そんななか、きょうもずいぶんたくさんのお客さまが暑さにも負けずmoiをたずねてくださいました。どうもありがとうございました。そしてもうひとつ、そんなときお客さまに対していつもありがたいなと思うのは、お客さま同士でやりとりされるさりげない心配りのことです。混雑時には、せっかく足をはこんでいただいたにもかかわらず、どうしてもお入りいただけないということも起こりがちなのですが、そんなとき、先にいらしゃっていたお客さまが率先して席を空けてくださったり、席を代わったり、つめたりしてくださることがままあります。こんなときは、店の狭さとじぶんの仕切りのまずさを忘れて、なんだかとてもあたたかな心持ちになってしまうのです。
さりげない心配りと、かわされる「ありがとう」の言葉、こういうやりとりがごく自然になされるような世界ではきっと争いごとなんて生まれないのではないか、そんな気分にさえなってきます。「終戦記念日」も近いですが、あんがい「平和の根っこ」はこんな身近なところにこそあるのかもしれません。
ヘルシンキでは、いよいよ「世界陸上」が開幕しました。個人的には、まったく「陸上競技」には関心がないにもかかわらず、「ヘルシンキ」という理由だけでチラチラと観てしまうじぶんがいて「なんだかなァ」という感じです。
予想通りというべきか、競技場内でおこなわれる種目についてはそこがどこなのかまったくわからないといった状態ですね。しかも織田裕二と中井美穂がスタンバっている「特設スタジオ」にいたっては、まったくヘルシンキとはかけ離れたイメージでむしろ興ざめですらあります(あの「帆船」はいったい何?)。ただ、ときどき耳に入ってくる場内アナウンスと、やけに静かなスタジアムの雰囲気に「ああ、ここはやっぱりヘルシンキだよ」などと感じたりもしますが。
そんななか、やはりいちばんたのしみな競技種目といえば「マラソン」ということになるでしょう。なんといっても、ヘルシンキ市街を「3周半」、ですから・・・。一部、なんかショボイよねという声も聞こえてきたりしますが、「庭園都市ヘルシンキ」のうつくしい街並をプチ観光気分で3回半もたのしめると思えば、まあそれはそれでいいじゃないですか。ビール片手にテレビの前に陣取れば、ほとんど世界は「バー・トラム」(ヘルシンキを周回するバー仕様の路面電車。ビールメーカー「KOFF」のロゴをあしらった真っ赤な車両は、まさにヘルシンキの「夏の風物詩」)。
というわけで、TBSの取材クルーのみなさま、選手のアップの絵は一切いりません。引きの絵だけでよろしくです。
予想通りというべきか、競技場内でおこなわれる種目についてはそこがどこなのかまったくわからないといった状態ですね。しかも織田裕二と中井美穂がスタンバっている「特設スタジオ」にいたっては、まったくヘルシンキとはかけ離れたイメージでむしろ興ざめですらあります(あの「帆船」はいったい何?)。ただ、ときどき耳に入ってくる場内アナウンスと、やけに静かなスタジアムの雰囲気に「ああ、ここはやっぱりヘルシンキだよ」などと感じたりもしますが。
そんななか、やはりいちばんたのしみな競技種目といえば「マラソン」ということになるでしょう。なんといっても、ヘルシンキ市街を「3周半」、ですから・・・。一部、なんかショボイよねという声も聞こえてきたりしますが、「庭園都市ヘルシンキ」のうつくしい街並をプチ観光気分で3回半もたのしめると思えば、まあそれはそれでいいじゃないですか。ビール片手にテレビの前に陣取れば、ほとんど世界は「バー・トラム」(ヘルシンキを周回するバー仕様の路面電車。ビールメーカー「KOFF」のロゴをあしらった真っ赤な車両は、まさにヘルシンキの「夏の風物詩」)。
というわけで、TBSの取材クルーのみなさま、選手のアップの絵は一切いりません。引きの絵だけでよろしくです。
もうずいぶんと前の話なのだが、からだの不自由なおじいさんが来店されたことがある。そのおじいさんは車いすに乗り、しゃべるのもままならないといった状態、当然ご家族の方が介助のため同行されていた。
ホットコーヒーを、ということだったのだが、ご家族の方からの指示でいっしょに空のグラスも添えてお出しした。不自由な手でコーヒーカップをあつかうのは大変だからという、ご家族の方の配慮である。はこばれたコーヒーを、身内の方がコーヒーカップから空のグラスへと移しかえようとすると、おじいさんはそれを拒み、震える手でなんとかしてコーヒーカップから飲もうとがんばった。それはたしかに危なっかしい光景で、ご家族の方ができればグラスで飲ませようとする気持ちも理解できた。
ただせつなかったのは、このおじいさんはきっとコーヒーが大好きなのだろうなというのが、痛いほどこちらに伝わってきたからである。コーヒーが好きなひとにとってなにより大切なのは、コーヒーをどう飲むかということだ。もちろん、あたたかいコーヒーはコーヒーカップで飲むものであって、グラスで飲むものではない。グラスで飲んでは、おいしいコーヒーだっておいしくなくなってしまう、おじいさんはきっとそう言いたかったにちがいない。
こんな光景を目にしておもったのは、からだの不自由なひとのための携帯用のコーヒーカップがあったらよかったのにということだ。本体の形状、材質、重さ、取っ手の位置や形態にじゅうぶん考慮し、しかもデザイン的にも洗練されたコーヒーカップ。家で使えるのはもちろん、外出時はこれを携帯し、お店ではこれに注いでもらえばいい。もちろん、中身を移し変えたとしても「コーヒーのたのしみ」は奪われない。100%満足というワケにはいかないにしても、すくなくともグラスで飲むよりはずっとマシ、そう、おじいさんなら言ってくれるのではないか。
ホットコーヒーを、ということだったのだが、ご家族の方からの指示でいっしょに空のグラスも添えてお出しした。不自由な手でコーヒーカップをあつかうのは大変だからという、ご家族の方の配慮である。はこばれたコーヒーを、身内の方がコーヒーカップから空のグラスへと移しかえようとすると、おじいさんはそれを拒み、震える手でなんとかしてコーヒーカップから飲もうとがんばった。それはたしかに危なっかしい光景で、ご家族の方ができればグラスで飲ませようとする気持ちも理解できた。
ただせつなかったのは、このおじいさんはきっとコーヒーが大好きなのだろうなというのが、痛いほどこちらに伝わってきたからである。コーヒーが好きなひとにとってなにより大切なのは、コーヒーをどう飲むかということだ。もちろん、あたたかいコーヒーはコーヒーカップで飲むものであって、グラスで飲むものではない。グラスで飲んでは、おいしいコーヒーだっておいしくなくなってしまう、おじいさんはきっとそう言いたかったにちがいない。
こんな光景を目にしておもったのは、からだの不自由なひとのための携帯用のコーヒーカップがあったらよかったのにということだ。本体の形状、材質、重さ、取っ手の位置や形態にじゅうぶん考慮し、しかもデザイン的にも洗練されたコーヒーカップ。家で使えるのはもちろん、外出時はこれを携帯し、お店ではこれに注いでもらえばいい。もちろん、中身を移し変えたとしても「コーヒーのたのしみ」は奪われない。100%満足というワケにはいかないにしても、すくなくともグラスで飲むよりはずっとマシ、そう、おじいさんなら言ってくれるのではないか。
どうにも覚えられないのは花の名前である。かといって、ぜんぜん興味がないのかというとそういうわけでもなく、道ばたにちいさな花などみつければ携帯のカメラなど向けたりすることだってあるのだ。

写真はことしの春、そんなふうにして撮った写真のひとつ。ある日、お店のわきのわずかなコンクリートのすきまから顔をのぞかせる鮮やかなオレンジ色の花に気づいたのだった。春風にそよぐ釣鐘のような花が愛らしく、つい写真におさめたものの名前がわからない。なんとなく気になりながらも、しらべる手だてもないままに数ヶ月が経過・・・。そしてようやくチャンス到来!、「La douce」というお花屋さんをなさっているゆうこさんが遊びにきてくださったので、ここぞとばかり画像をみていただいた。すると、
ああ、それはオダマキですよ
とあっけなく判明。オダマキ・・・おだまき?・・・もっと、なんかこうバタくさい名前を期待していただけにちょっと肩すかし。だって、「あ、どもども、小田巻です」とかなんとか言いつつ名刺とか渡していそうなイメージではないか、オダマキって。しかもちょっとしらべてみたら、花言葉は「断固として勝つ」。「断固として勝つ」って、そんなキッパリといわれても、ねぇ・・・。なんかますます営業叩き上げなイメージなのだが。
ひとは見かけによらぬものとはよく言うが、どうやら花も見かけによらないようで。

写真はことしの春、そんなふうにして撮った写真のひとつ。ある日、お店のわきのわずかなコンクリートのすきまから顔をのぞかせる鮮やかなオレンジ色の花に気づいたのだった。春風にそよぐ釣鐘のような花が愛らしく、つい写真におさめたものの名前がわからない。なんとなく気になりながらも、しらべる手だてもないままに数ヶ月が経過・・・。そしてようやくチャンス到来!、「La douce」というお花屋さんをなさっているゆうこさんが遊びにきてくださったので、ここぞとばかり画像をみていただいた。すると、
ああ、それはオダマキですよ
とあっけなく判明。オダマキ・・・おだまき?・・・もっと、なんかこうバタくさい名前を期待していただけにちょっと肩すかし。だって、「あ、どもども、小田巻です」とかなんとか言いつつ名刺とか渡していそうなイメージではないか、オダマキって。しかもちょっとしらべてみたら、花言葉は「断固として勝つ」。「断固として勝つ」って、そんなキッパリといわれても、ねぇ・・・。なんかますます営業叩き上げなイメージなのだが。
ひとは見かけによらぬものとはよく言うが、どうやら花も見かけによらないようで。
むかし、エチオピアにひとりの羊飼いがいました。羊飼いの名前は「カルディ」といいました。ある日、カルディはいつものようにかれの羊たちを放牧していると、なぜかその日にかぎって羊たちがいつもより元気に跳ねまわっていることに気づきました。みれば、羊たちは草むらの赤い木の実をたべています。そこでカルディは、そのふしぎな出来事を僧侶たちに伝えました。その話をきいた僧侶たちは、さっそくその赤い木の実を煎じて飲んだところ意識がいつもよりはっきりして、儀式でも眠くなることがありませんでした。その話は僧侶たちのあいだでまたたくまに広がり、そうしてその赤い木の実を煎じた飲み物も広まっていったのです。
これはよく知られるコーヒーの起源にかんするいいつたえです。もちろん、この話には諸説あって、その真偽のほども定かではありません。ただ、古来コーヒーが「覚醒作用をもつ一種のくすり」として飲まれていたのはたしかなようです。
どうしてこんな話を書いたのかというと、ぜひ夏バテ解消にコーヒーを飲んでいただきたいからにほかなりません。個人的な話になりますが、じつはここのところちょっと「夏バテ気味」で、きのうなどは朝から立っているのもしんどいほどの全身のだるさでした。そこで思い出したのが冒頭のおはなし。そういえば最近は、しごとで一日に何杯ものコーヒーを淹れているくせに自分ではあまり飲んでいませんでした。さっそく一杯、苦いコーヒーを淹れて飲んでみたところ、しばらくすると全身を覆っていただるさも薄れ、いつものように立ち働いている自分に気づきました。ここのところカフェイン摂取量がすくなかったせいでより効果てきめんだったのかもしれませんが、あらためてコーヒー一杯の威力に驚かされたひとコマです。
夏こそぜひ、一杯のあついコーヒーで身も心もシャキっといこうじゃあないですか!
これはよく知られるコーヒーの起源にかんするいいつたえです。もちろん、この話には諸説あって、その真偽のほども定かではありません。ただ、古来コーヒーが「覚醒作用をもつ一種のくすり」として飲まれていたのはたしかなようです。
どうしてこんな話を書いたのかというと、ぜひ夏バテ解消にコーヒーを飲んでいただきたいからにほかなりません。個人的な話になりますが、じつはここのところちょっと「夏バテ気味」で、きのうなどは朝から立っているのもしんどいほどの全身のだるさでした。そこで思い出したのが冒頭のおはなし。そういえば最近は、しごとで一日に何杯ものコーヒーを淹れているくせに自分ではあまり飲んでいませんでした。さっそく一杯、苦いコーヒーを淹れて飲んでみたところ、しばらくすると全身を覆っていただるさも薄れ、いつものように立ち働いている自分に気づきました。ここのところカフェイン摂取量がすくなかったせいでより効果てきめんだったのかもしれませんが、あらためてコーヒー一杯の威力に驚かされたひとコマです。
夏こそぜひ、一杯のあついコーヒーで身も心もシャキっといこうじゃあないですか!
「緑の光線」を観た。
ロメールの映画というと、いつも思い出すのは「シネヴィヴァン六本木」という映画館のことである。ぼくが観たロメールの映画はほとんどすべて、この、いまはなくなってしまった映画館で観たはずだ。しかも、夏休みに。この点の記憶はあいまいだけれど。映画のあらすじはさっぱり憶えていないのに、映画が終わって地上にでた瞬間の目が眩むような光や、六本木通りの喧噪だけはやけにはっきりと憶えているのだった。あとひとつ、それにまつわる話として思い出されるのはこんな「教訓」だ。デートにロメールの映画はふさわしくない。映画のあと、その話で盛りあがれないから。
ところで『緑の光線』という作品、はたして観たのか、それともまだ観ていなかったのかどうも判然としない。ロメールの映画はいつもそうだ。じゃあ、つまらなかったのかというと、断じて言うが、そんなことはない。とりわけ、この『緑の光線』という映画はとてもよかった。
ごくフツーのひとびとがごくフツーにおしゃべりしているようにみえる自然体の演技や、エンディングの《爆発》にむけてひたすらエネルギーをためこむかのような「抑制された演出」など、ロメール映画の「エッセンス」がいっぱいにつまった作品、という気がする。そうしてあらためて感じたのは、ロメールの映画というのは「ストーリー」をおもしろがるものではなく、その《余韻》をたのしむべきものなのだろうということ。だから、それがはたしてどんな作品だったのか他人に説明することすらできないにもかかわらず、その《手触り》だけはしっかりと心に刻みこまれているのだ。
まあ、もっと気楽に、南仏のいろいろなリゾート地の景色やそこで夏を謳歌するひとびとの姿を垣間みることのできるこの映画を、ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』とならぶバカンス映画の傑作としてたのしむことだってできる。とりわけ、この夏どこにも行けないひとはぜひ。それにしても、「バカンスに命をかける」フランス人の悪戦苦闘ぶりは「哀れさ」を通り越して、ほとんど「滑稽」ですらある。「バカンスの過ごし方」がストレスになってしまうなんて、フランス人も難儀なひとびとである。
ロメールの映画というと、いつも思い出すのは「シネヴィヴァン六本木」という映画館のことである。ぼくが観たロメールの映画はほとんどすべて、この、いまはなくなってしまった映画館で観たはずだ。しかも、夏休みに。この点の記憶はあいまいだけれど。映画のあらすじはさっぱり憶えていないのに、映画が終わって地上にでた瞬間の目が眩むような光や、六本木通りの喧噪だけはやけにはっきりと憶えているのだった。あとひとつ、それにまつわる話として思い出されるのはこんな「教訓」だ。デートにロメールの映画はふさわしくない。映画のあと、その話で盛りあがれないから。
ところで『緑の光線』という作品、はたして観たのか、それともまだ観ていなかったのかどうも判然としない。ロメールの映画はいつもそうだ。じゃあ、つまらなかったのかというと、断じて言うが、そんなことはない。とりわけ、この『緑の光線』という映画はとてもよかった。
ごくフツーのひとびとがごくフツーにおしゃべりしているようにみえる自然体の演技や、エンディングの《爆発》にむけてひたすらエネルギーをためこむかのような「抑制された演出」など、ロメール映画の「エッセンス」がいっぱいにつまった作品、という気がする。そうしてあらためて感じたのは、ロメールの映画というのは「ストーリー」をおもしろがるものではなく、その《余韻》をたのしむべきものなのだろうということ。だから、それがはたしてどんな作品だったのか他人に説明することすらできないにもかかわらず、その《手触り》だけはしっかりと心に刻みこまれているのだ。
まあ、もっと気楽に、南仏のいろいろなリゾート地の景色やそこで夏を謳歌するひとびとの姿を垣間みることのできるこの映画を、ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』とならぶバカンス映画の傑作としてたのしむことだってできる。とりわけ、この夏どこにも行けないひとはぜひ。それにしても、「バカンスに命をかける」フランス人の悪戦苦闘ぶりは「哀れさ」を通り越して、ほとんど「滑稽」ですらある。「バカンスの過ごし方」がストレスになってしまうなんて、フランス人も難儀なひとびとである。
缶コーヒーといえば「ボス(BOSS)」なわけだが、こちらは「ヴォス(VOSS)」、Oさんからいただいたノルウェー育ちのミネラルウォーターである。
話によると、こちらセレブ御用達のミネラルウォーターなのだそうで、かのマドンナさん(46)も「わたしはこれを置いてないホテルには泊まらない」と言ったとか、言わなかったとか・・・。
ミネラルウォーターの常識(?)を覆すそのあまりにスタイリッシュなボトルデザインは、たしかに「庶民」が気軽に口に運ぶのをためらわせるようなオーラを放っている。「へぇ~、あなたがワタクシを飲むって仰るの?(微笑)」みたいな。もちろん、おそれ多くてぼくにはまだ口をつけることができません。
つまるところ、缶コーヒーがたかだか「上司(ボス)」なら、さしずめこちらは究極の「女王様系」ウォーターなのです。
話によると、こちらセレブ御用達のミネラルウォーターなのだそうで、かのマドンナさん(46)も「わたしはこれを置いてないホテルには泊まらない」と言ったとか、言わなかったとか・・・。
ミネラルウォーターの常識(?)を覆すそのあまりにスタイリッシュなボトルデザインは、たしかに「庶民」が気軽に口に運ぶのをためらわせるようなオーラを放っている。「へぇ~、あなたがワタクシを飲むって仰るの?(微笑)」みたいな。もちろん、おそれ多くてぼくにはまだ口をつけることができません。
つまるところ、缶コーヒーがたかだか「上司(ボス)」なら、さしずめこちらは究極の「女王様系」ウォーターなのです。
カンテレ(kantele)という名前のフィンランドの民族楽器があります。「カンテレ」は「チター族」の楽器で、水平に寝かせて演奏するその様子はまるでちいさな「琴」のようでもあります。また、ちかごろでは日本でも「カンテレ愛好家」がふえていると、ときどき耳にしたりもします。と言いつつ、もともとデザインや建築方面からフィンランドに関心をもったぼくにとっては、じつは名前こそ知ってはいても縁遠い存在だったりするのですが・・・。
そんななか、カンテレ奏者の佐藤美津子さんからメールをいただきました。佐藤さんは、札幌を中心にカンテレのコンサートや教室をつうじてその振興・普及活動に努めていらっしゃるというかたで、この夏には北カレリア地方の町イロマンツィで開催された「カンテレ・ミュージックキャンプ」にも参加されてきたそうです。
さて、そんな佐藤さん、「カンテレあんさんぶる」というブログを開設されています。フィンランドの自然や人々とのふれあいのなかで、日々カンテレへの理解と愛情とを深めている佐藤さんの思いがひしひしと伝わってくる、そんなブログです。
フィンランドの文化に興味のあるかた、そしてなんといっても「カンテレ」に関心がある、奏でてみたいというかたは必見のブログです。ぜひいちどご覧になってみてはいかがでしょう。
そんななか、カンテレ奏者の佐藤美津子さんからメールをいただきました。佐藤さんは、札幌を中心にカンテレのコンサートや教室をつうじてその振興・普及活動に努めていらっしゃるというかたで、この夏には北カレリア地方の町イロマンツィで開催された「カンテレ・ミュージックキャンプ」にも参加されてきたそうです。
さて、そんな佐藤さん、「カンテレあんさんぶる」というブログを開設されています。フィンランドの自然や人々とのふれあいのなかで、日々カンテレへの理解と愛情とを深めている佐藤さんの思いがひしひしと伝わってくる、そんなブログです。
フィンランドの文化に興味のあるかた、そしてなんといっても「カンテレ」に関心がある、奏でてみたいというかたは必見のブログです。ぜひいちどご覧になってみてはいかがでしょう。
ロケットのそうじゅうしになりたい-そう小学一年の作文に書いたのは野口聡一さんである。そう書いたとき、三十年後ほんとうに野口少年が「宇宙飛行士」になろうなどとは周囲のだれひとりとして予想しなかったにちがいない。おそらく、かれ自身でさえも。けれども、夢は現実になった。いままさにかれは宇宙にいるのだ。すばらしい。
ところで報道によるところでは、野口さんにはもうひとつ「夢」があったらしい。宇宙で好物のラーメンをたべる、というのがそれだ。そしてそんな野口さんの「もうひとつの夢」を叶えるべく、「カップヌードル」でおなじみの日清食品が開発したのが史上初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」である。
いわずとしれた無重力状態の宇宙で「汁物」であるところのラーメンをたべるということがいかに無謀な企てであるか、そのことをだれよりもよく理解しているのは野口さんそのひとであるはずだ。にもかかわらず、ラーメンをたべたい野口さん、あっぱれなドリーマーぶりである。
さて、こうしてお目見えした「スペース・ラム」。さっそくさまざまなテレビ番組でとりあげられていたのだが、すくなくともブラウン管をつうじてみるかぎり、それはお世辞にも「ラーメン」とは似ても似つかない物体であった。麺は、無重力状態でも飛び散らないよう三つの塊にわけられている。毛糸玉がほつれちゃって、ああもうやんなっちゃったぁ~というルックスである。これを70℃というぬるめのお湯でもどす。この70℃というのが、シャトル内で使用できる限界なのだそうだ。もちろん汁も、無重力対策で「あん」状になっている。そうして、たべている姿は相当にマズそうなのだった。
いま野口さんに言いたいのはこういうことだ。野口さん、宇宙飛行士になる「夢」を果たしたあなたのような方が、そんな程度の「ラーメン」に満足しちゃあいけない!なんでも、野口さんのリクエストにより、味は「みそ」「しょうゆ」「カレー」「とんこつ」の4種類が用意されているという。一瞬、へぇ~すごいじゃん、と思ってしまいそうにもなるがそれはいけない。味つけはラーメンの本質なんかではない。たんなる「まやかし」だ。シャトルの船内にあつあつの汁の匂いが充満し、乗組員たちがズルズルと麺をすする音が響きわたるその日まで、野口さんと日清の開発スタッフの方々にはぜひがんばっていただきたいものである。
「夢」はかなう。
ところで報道によるところでは、野口さんにはもうひとつ「夢」があったらしい。宇宙で好物のラーメンをたべる、というのがそれだ。そしてそんな野口さんの「もうひとつの夢」を叶えるべく、「カップヌードル」でおなじみの日清食品が開発したのが史上初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」である。
いわずとしれた無重力状態の宇宙で「汁物」であるところのラーメンをたべるということがいかに無謀な企てであるか、そのことをだれよりもよく理解しているのは野口さんそのひとであるはずだ。にもかかわらず、ラーメンをたべたい野口さん、あっぱれなドリーマーぶりである。
さて、こうしてお目見えした「スペース・ラム」。さっそくさまざまなテレビ番組でとりあげられていたのだが、すくなくともブラウン管をつうじてみるかぎり、それはお世辞にも「ラーメン」とは似ても似つかない物体であった。麺は、無重力状態でも飛び散らないよう三つの塊にわけられている。毛糸玉がほつれちゃって、ああもうやんなっちゃったぁ~というルックスである。これを70℃というぬるめのお湯でもどす。この70℃というのが、シャトル内で使用できる限界なのだそうだ。もちろん汁も、無重力対策で「あん」状になっている。そうして、たべている姿は相当にマズそうなのだった。
いま野口さんに言いたいのはこういうことだ。野口さん、宇宙飛行士になる「夢」を果たしたあなたのような方が、そんな程度の「ラーメン」に満足しちゃあいけない!なんでも、野口さんのリクエストにより、味は「みそ」「しょうゆ」「カレー」「とんこつ」の4種類が用意されているという。一瞬、へぇ~すごいじゃん、と思ってしまいそうにもなるがそれはいけない。味つけはラーメンの本質なんかではない。たんなる「まやかし」だ。シャトルの船内にあつあつの汁の匂いが充満し、乗組員たちがズルズルと麺をすする音が響きわたるその日まで、野口さんと日清の開発スタッフの方々にはぜひがんばっていただきたいものである。
「夢」はかなう。