曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・未完の羽化(10)

2011年10月14日 | 連載ミステリー&ショートショート
 
 
   (10)
 
 
タイマーが鳴ったので順はベランダに出た。そして緩慢な動作で、脱水の終った洗濯機からひとつひとつ衣類を取り出し、洗濯ばさみにとめていった。
ほとんどが下着類で、仕事で着る物がそれに混じる。私服はほとんどない。あまり出掛けないのと、家の中はスウェットやジャージなど、体に楽な服の着たきりすずめ状態だからだ。
順ちゃんも何か運動したら、と恭治によく言われる。健康のためにもそうした方がと自分でも思うのだが、面倒くさくてそれを実行に移すことはない。恭治は飲んだ翌日でさえ、早朝のランニングを欠かさない。顔立ちこそ似ているものの、今やすっかり体型の違う兄弟になっている。
 
恭治をずっと、そしてあの女を多感な時期に見続けたせいか、痩躯の者に対してはつい身構えてしまう。なにか、緩んだ体型のものよりもアグレッシブで、絶えず気をつけていないと痛い目にあわされるような感覚を持ってしまっている。
部屋に戻り、テレビの前に座りたばこに火をつけた。
煙と共にため息を大きく吐き出す。
「順ちゃん、あの女、もう心臓が止まりかけててさ。だからあと一回ショックを与えると、簡単に止まっちゃうんだ」
昨夜、憤慨した様子をガラッと変えて、にやきつきながら恭治が不穏な言葉を放った。そして続けた。
「遺言書を書き換える間もなく、ね」
順はたばこを吸いながら、昨晩のことを思い出した。
 
 
      ・    ・    ・
 
 
昨夜……。
「まったくあのばあさんも頭が回るんだか回らないんだか。遺言書を2通作っとけばいいんだよ。友幸に、って方の遺言の日付を後にしてさ。そうしたら2通見つかっても内容が重複しているところは日付が後の遺言の方が優先されるからさ、そしたら書き換える手間が省けたんだよ。それならポックリ逝ってもばあさんの狙い通りことが進んだっていうのに。詰めが甘いなぁ」
「でも恭治、ポックリ逝くとは限らないぜ。じわじわ弱っていって、書き換える時間があるってこともあるだろ」
「だからさ、順ちゃん、俺たちでポックリ逝かすんだよ」
順の心の中で警笛が鳴った。恭治が何か恐ろしいことを考えている。そしてそれに自分が巻き込まれようとしている。順はあの日記を読んだ後の、嫌な予感を思い出した。聞いてしまってはだめだ。この話を打ち切ってしまわなければ。順は咄嗟にそう思った。
「恭治、何を言っ……」
「待ってくれ、順ちゃん」
否定を含んだ語気の荒い返答を予期していたように弟は兄をやんわりとかわし、再び喋り始めた。
「とにかく話を最後まで、順ちゃん。話すだけだよ。話すだけなら犯罪にならないだろ」
だめだ、聞いてしまっては。話すだけならだと。じゃあ行えば犯罪になることなのか。しかし順はそれ以上突っ張れなかった。
恭治は前のめりになり、低い声で話し始めた。
 
 
      ・    ・    ・
 
 
電話が鳴って現実に戻された。順はのろのろと立ち上がり、電話の前に立ってもしばらく受話器を取らなかった。切れてくれと願ったが、電話は一向に鳴り止まない。仕方なく順は左手で受話器を摑んだ。
「もしもし、恭治だけど」
「あ、うん」
「昨日のこと、考えてくれた?」
「……」
「いいんだね、順ちゃん、じゃあ進めるぜ」
どうして黙っていると了解となるのか。順は恭治のような人種が理解できない。
「恭治」
「時間がないんだ、順ちゃん。だめならそう言ってくれ。だめなのかい?」
「いや、でも」
「じゃあいいんだな、順ちゃん、動き出すぜ」
「……分かった」
受話器を置いた手が汗ばんでいた。ついに流されてしまった。
順は、その場に座り込みたかったが、座ることすら面倒でその場にしばらく立ち尽していた。
 
 
(つづく)
 
 

最新の画像もっと見る