曠野すぐりBLOG 「小説旅日記」

「途中から読んでも内容の分かる連載小説」をいくつか、あと日記を、のんびりと載せていきます。
 

小説・未完の羽化(9)

2011年10月13日 | 連載ミステリー&ショートショート
 
 
   (9)
 
 
カイコ蛾の幼虫は通常4回脱皮をする。
カイコ蛾の幼虫だけでなくイモ虫や毛虫は体を守るため、キチン質という薄くて硬い表皮に包まれている。キチン質の表皮は体と共に成長しないので、幼虫が成長してくるときつくなり、しまいには裂けて体から離れてしまう。これが脱皮である。脱皮をした幼虫は、きつさから解放されひと回り大きくなり、再び体の表面にその大きさに見合った表皮が作られていく。
白くて細長いカイコ蛾のイモ虫は、孵化したと同時に桑の葉を食べて食べて食べまくる。
5日間食べ続け、1回目の脱皮を迎える。そして大きくなったイモ虫はさらに食べ続け、今度は4日で次の脱皮を迎える。その後もほぼ4日間隔で脱皮をし、しまいにはサナギとなる。
何故、延々と脱皮を繰り返さないでサナギとなるのか。それは、頭部の背後にある内分泌腺というところに答えがある。内分泌腺からは、幼虫ホルモンという種類のホルモンが生産される。それが、サナギとなることを抑制するのだ。
そのホルモンが出ている間、イモ虫は成長ごとに脱皮を繰り返す。しかしそのホルモン物質が出なくなると、今度は脱皮ではなく次の形態、つまり蛾になるためにサナギとなる。これはカイコ蛾が生まれつき持っている、体内システムなのだ。
カイコの幼虫の、幼虫ホルモンが分泌される期間は大体脱皮4回分となっている。
 
昼飯を食べに行っていた浦川は部屋に戻ると、いつものようにひと通り並べてある容器を見て回った。カイコ蛾のところで、彼は入念に見るべく中腰になり、容器に顔を近付けて見て行った。カイコは小さいものから順に並んでいる。皆、日の光を浴びながら桑の葉を体内に取り込む作業に夢中で、彼がじっと見つめようと意に介さない。
3分の2を過ぎた辺りからのカイコは、彼の〝作業〟を受けたカイコで、やはり人工的な細工に耐えられなかったのか、いくつかは死んでいた。彼はそれらひとつひとつをつまんで取り除いていく。こういうことは計算済みで、だから余分に育てているのだ。
数回の脱皮を繰り返したイモ虫はサナギになり、そして蛾となる。もっともカイコは長年人間の手で育てられてきたせいで、成虫になっても飛ぶことができない。
サナギになるのは幼虫ホルモンが体内に流れなくなるからで、もし流れ続ければ、イモ虫はさらに脱皮を続け、より大きなイモ虫となる。イモ虫が大きければ、その成虫も大きくなるのは当然のことだ。
彼のやっている作業は、孵化したばかりのイモ虫から内分泌腺を取り出し、4回脱皮した後のイモ虫に移植するというものだった。そうすると、その、本来ならサナギになるはずの大きなイモ虫は再び5回目の脱皮を始める。内分泌腺から幼虫ホルモンが流れ出るからだ。
これを数回繰り返す。するとやがて標準のものよりも大きなサナギになり、そして大きな蛾がそこから出てくる。
もしこれを延々と続ければ、人間と同じ大きさのカイコ蛾が生れるのでは、という考えも浮かんでくるが、しかし自然のメカニズムは中々人間の手を受け付けず、どんなに生まれたてのイモ虫から内分泌腺を移しても、余分に脱皮するのは4回ではなく1回だし、そこからさらに新鮮な内分泌腺を移植しても、それをせいぜい5、6回繰り返すとイモ虫は死んでしまう。それに、脱皮を多くすればするほど、サナギから生れてくる蛾は不完全な形になってしまう。
それでもしかし、世の中には物好きもいるもので、不完全でもよいから大きな蛾が欲しいという輩が存在する。そういう連中が彼の通帳を太らせ、さらなる研究の資金源となるのだった。
彼はその、大きな蛾が欲しいという依頼が来て以降、内分泌腺を移植する作業を日課のようにしていた。
 
 
(つづく)