吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

P.カレル『砂漠のキツネ』④(フジ出版社 / 昭和46年4月15日5版発行)

2018-07-24 05:41:50 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)

【北アフリカ全図】


4.補給物資の不足に苦しむドイツ軍

 この頃からドイツ軍は補給物資の不足に苦しむようになる。

 ドイツおよびイタリアの艦船は英雄的な努力で物資を輸送したが、その大半が地中海の藻屑と消えてしまうのだ。
 1941年6月から10月まで、アフリカ行きのドイツ=イタリア輸送船は40隻、17万9千トンが沈められた。その結果、兵員および軍需物資の大損害に加えて、船が足りなくなってきた。その結果ロンメルあての補給物資は10月に5万トン(うち63%が沈没)、11月には3万7千トン(うち77%が沈没)に減らされた。

 マルタ島の英軍基地からの攻撃が補給を喰い潰しているのは明らかだった。ロンメルはヒトラーの司令部を訪ね、マルタ島の占領とトブルク攻略について進言したが、最高司令部は東部戦線に夢中で、北アフリカの対英戦の重要性を理解しなかった。

 車両および燃料の不足に対するロンメルの指示は『物資は英軍から調達せよ』というものだった。

 ロンメル自身も愛用していたマンモス指揮者はもともとイギリス軍のものを鹵獲してマークを書き替えて使っていた。これに関しては面白いエピソードがあるので、ご紹介したい。


※英軍から2台の装甲指揮車を鹵獲、1台にはマックス(上図)、もう1台にはモーリッツという愛称が付けられた。

 ある時、ロンメルのマンモス指揮車が英軍の真ん中に突っ込んでしまった。しばらく並走することになったが、幸い砂嵐でマークが見づらく、シルエットでは判別がつかなかったため、仲間と思われ、攻撃されず逃げおおせることができた、と。

 ロンメルは常に前線に出て指揮するので有名だった。

 激しい砲弾の嵐の中、たまらず戦車を停止させると、外から砲塔をガンガンと叩く音がする。ロンメル付の連絡将校が専用の鉄の棒で戦車を叩いているのだ。何事かと思ってハッチを開けた戦車長は、装甲車の上に仁王立ちになったロンメルに怒鳴りつけられる『進め!進め!停まっていて攻撃ができるか!』おちおち停まってはいられない。

 また、砂塵のもうもうとする中で方角を見失う戦車もあったが、これにも笑い噺のようなエピソードがある。
 『どちらの方向へ進むのでありますか?
 『あっちだ!あそこをロンメルが行く!

 前線の兵士たちの間では『ロンメルに当たる弾丸はないのだ』と、まことしやかな噂が立っていた。

 英軍にもロンメルの名は浸透した。
 英軍最高司令部は次のようなユニークな命令を出している。

 【中東方面軍最高司令官命令】中東方面軍司令部および部隊指揮者諸子に告ぐ。わが友ロンメルがわが軍の話題をにぎわすことによって、いつの日か一種の、わが軍の人気者的存在となる危険がある。精力に富み能力に恵まれてはいるが、彼は超人ではない。たとえ超人であっても、わが軍の兵士たちが彼に超自然的な力を付与することは望ましくない。ゆえに、ロンメルをふつうのドイツ将軍以外のものであるとする考え方に、手段を尽くして抵抗してもらいたい。まずリビアの敵のことをロンメルと呼ぶのを止めなければならない。ドイツ軍、枢軸軍もしくは敵軍と呼ぶべきであって、特別な意味をこめて、ロンメルと呼んではならない。この命令が遂行され、すべての下級指揮官にことの心理的重要性を教示されんことを望む。・・・中東方面軍最高司令官命令C.I.オーキンレック
 p.s.本官はロンメルをねたむものではない。


 この追伸はイギリス人一流のユーモアの発露というべきものであった。

 (つづく)