吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

P.カレル『砂漠のキツネ』③(フジ出版社 / 昭和46年4月15日5版発行)

2018-07-20 06:06:12 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

(承前)

【アフリカ全図】


3.第二次キレナイカ侵攻


 ロンメル敗退の報せにカイロの英軍本部は沸き返っていた。
 ドイツ軍は800キロも後退し、さらに退却するつもりだ。これを一刻も早く追撃するべきだ、と。

 しかし、ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団はなし崩しに敗走している訳ではなかった。
 ロンメルの指示は『戦いつつ有利な防衛陣まで後退する』というものだった。残念ながら侵攻したキレナイカには適した場所がなく、最初の攻撃地アゲダビアまで後退した、それだけのことだった。

 この後退に驚いたのはイタリアである。カヴァレロ元帥がローマから飛んできてロンメルを訪ね、キレナイカを放棄しないよう頼むのだった(こともあろうにあのガムバラ将軍まで駆け付けた)。
 『このように目に見える敗北はムソリーニ閣下の地位を危うくしかねません
 ロンメルは動じなかった。
 『では、全軍と北アフリカ全部を失う全面的敗北はどうなのです?

 ドイツ軍はブレガの陣地で倉庫を燃やし、余った船を爆破し、さらなる後退準備に大わらのように見えたが、これがロンメルの策略だった。スパイの暗躍に業を煮やしたロンメルが偽の情報を流し、再度の後退を偽装していたのだ。
 ガムバラ将軍には『いや、ちょっとしたことです。極秘裏に一種のコマンド作戦ですが、それを遂行します』とだけ伝えられていた。
 突然貼り出された告示に味方の将兵たちも驚愕した。『攻撃だって!


※1942年1月21日のロンメルの告示


※ドイツ北アフリカ軍団の主力③StuG III『三号突撃砲戦車

 攻撃のために集まった敵の部隊を、先手を打って叩くのがロンメルのやり方だ。
 1月21日ロンメルの第二次キレナイカ攻勢が始まると英軍は大混乱に陥り、分断され、各個撃破によって2日間でほぼ壊滅した。



 ロンメルの攻勢でメンツを失ったのはイタリアである。またまたカヴァレロ元帥がロンメルのところにやってきた。
 『攻勢をやめ、ブレガ陣地にお戻りなさい
 ロンメルは拒否し、兵力と補給の続く限り敵を叩くことに決心したと伝えた。
 カヴァレロ元帥はしぶしぶ引き返したが、イタリア軍をロンメルの指揮下から外してしまう。
 
 イタリア軍指導部はおおよそ大胆な決断というものを白目視していた。
 エルウィン・ロンメルというドイツ人が大損害を出しながら800キロも後退したあげくすぐまた勝つことに気を向け、一度敗れた軍隊がふたたび彼を信じてついて行くのに呆れかえり、それを『狂気の沙汰』だとみなしていたのだ。

 1月30日ベンガジは陥落し、キレナイカは再びドイツ軍の手に落ちた。

 (つづく)