吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む(第7章)

2018-04-18 07:48:01 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護



 (承前)←第6章に戻って読みたいヒトはこの文字列をクリック!

 実は第7章はたった一行しかありません(あの有名な文言です!)。
 これではスグ終わってしまいますので、まずは、これまで読んできた全体を概括してみることにします。

 これまでの成果を記してみましょう。研修や打合せの後にサマリーをするのはビジネスの基本ですからネ。

 第1章:世界は、事実の総体である。事物の総体ではない。
 ・・・モノではなくセンテンスの総体こそが世界を表すのである。

 第2章:私たちは事実の像をつくる。
 ・・・世界を理解をするにはその写像が必要である。

 第3章:可能的世界の写像が論理空間である。
 ・・・世界は事実から成り、論理空間は命題から成る。

 第4章:すべての哲学は言語批判である。
 ・・・哲学とは、考えることができるものとできないものの境界を明らかにする活動である。

 第5章:命題は、要素命題の真理関数である。
 ・・・見かけの文法構造ではなく、真の論理形式を明らかにすることが哲学の目的である。

 第6章:論理空間において、謎は存在しない。
 ・・・そもそも問うことができるなら、その問いには答えることもできる。

 第7章:語ることができないことについては、沈黙するしかない。
 ・・・神や倫理に代表される世界の価値は、論理空間の外側にあるに違いない。

 最後(第7章)の文言はこれまで、もっと強い口調で語られてきました。
 一般的には『語りえないものについては沈黙すべきである』として広まっています。
 この本では『べき』すなわち命令と取られる表現をすると『え?あえて語ろうとすれば語れるのか?』と思われかねないので、この表現に落ち着いたと『訳者あとがき』にあります(なるほど)。

 ただし『べし』には本来、命令以外の意味もあります。大藪春彦の小説『野獣死すべし』は運命を表す『べし』なので、この意味は『野獣は死ななければならない』と読むのは誤りで、正しくは『野獣は死ぬ運命にある』という意味の題名なのです。スイマセン⤵これは全くの余談でしたね。

 論理哲学論考の内容は『①世界を語りうるものとして定義し、②その境界を明らかにして、③語りえないものをしめす』活動でした。 


※ "Remember him when you look at the night sky."(←マッドマックスより/註:本文とは無関係です)

 ここで行われたのは単純化と分類です。人間の認識とはそうして広がるものなのです。

 それにしても哲学は『この世界はいったいどのような姿をしているのか』を問う学問だったはずなのですが、自然科学の発達によってその役割は数学や天文学、素粒子理論等にその立場を譲ってしまったように思えます。
 ヴィトゲンシュタイン以降、哲学は言語や記号の袋小路に入ってしまったように思えてなりません。
 哲学は、いま一度本来の目標にたち帰る必要があるのではないでしょうか。

 ヴィトゲンシュタインは自らの論文の最後に次のように記しています。これは未来への希望を表しています。

6.522 ただし、口に出せないものが存在している。それは、自分をしめす。それは、神秘である。

6.53  哲学の正しい方法があるとすれば、実際それは、言うことのできること以外、なにひとつ言わないことではないか。つまり、自然科学の命題―――つまり、哲学とは関係ないこと―――しか言わず、そして、誰かが形而上学的なことを言おうとしたら、かならずその人に、「あなたは、あなたの命題のいくつかの記号に意味をあたえてませんね」と教えるのだ。この方法は、その人を満足させないかもしれない。―――その人は、哲学を教えてもらった気がしないかもしれない。―――けれども、これこそが、ただひとつ厳密に正しい方法ではないだろうか。

6.54  私の文章は、つぎのような仕掛けで説明をしている。私がここで書いていることを理解する人は、私の文章を通り―――私の文章に乗り―――私の文章を越えて上がってしまってから、最後に、私の文章がノンセンスであることに気づくのである。(いわば、ハシゴを上ってしまったら、そのハシゴを投げ捨てるにちがいない)。
    その人は、これらの文章を克服するにちがいない。そうすれば世界を正しく見ることになる。



※ケンブリッジ郊外「旧セント・ジャイルズ墓地」に眠るヴィトゲンシュタイン

(完)



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15 コメント

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惚れ惚れ (きなこママ)
2018-04-18 10:02:25
ヴィトゲンシュタインよりも
モバちゃんの解説読んだ方が ずっとスッキリしたわ。
最終章の意味深な事。
彼も 神や倫理の世界は別と思ったのかしら?
西洋の思想は 必ず神とリンクするけれど
彼は 明らかに 離れているね。

確かに 現代は 理系優先社会
哲学でもっと人間社会を豊かにしてほしいな。
返信する
頭の良い学生さんのノートを見た感じ (田園交響楽)
2018-04-18 19:06:52
毎度思う事ですが、管理人様の記事を拝見す度に、
頭の良い学生さんのノートを拝見している気持ちになります。ゼミのようだ。

正直に言うと、
性格上、解ったふりは出来ないので、
私は途中まで、ついていけたのですが、
途中から挫折しました。ああ、スミマセン。
管理人さんの指導力、努力は認める、
つまり、途中まで弾けて、最後まで弾けるような努力が読むこちら側に足りないってことです。
頑張れば、最後まで弾けるかもしれないが…。

ただし、私は今まで哲学を敬遠していて、
この記事が無かったら、一生哲学など考えなかったと思うし、
今回の事で、途中まで彼を理解するまでには、
私なりに調べ、メモも取り、
彼の人生を学んだわけです。
そこで沢山の興味深いエピソードも知りましたし、以前も言ったように、
彼のお兄さんが片手のピアニストだとか、知識が思わぬところに広がったことは確かです。
哲学や人文学は、今は片隅に追いやられている、学部も減っている、
まぁ、今回で装飾音符でも、必要なのだなって思った次第。
あと、お墓の梯子は聞いたことがあるけれど、これも本当だった。笑

というワケで、解らないまま相変わらずもやっている脳内です。
なんなんだウィドゲンシュタイン。
「死は人生の出来事でない、人は死を体験しない」だけが私の救い。

(管理人さんは、数人以外の読者登録しかかぶらないけど、
先程、思わぬところでかぶっていて驚愕しました。管理人さんはギボン、私はツヴァイクあたりか。)
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Re>なんなんだウィトゲンシュタイン! (管理人)
2018-04-19 09:50:18
その生涯だけでも興味深いものです。
裕福な家庭(大富豪!)に生まれるが兄3人があいついで自殺、軍隊に志願したのは合法的な自殺(!?)だった?従軍中のノートから「論考」が生まれ出版されたが、本人は哲学を放棄して沈黙し、全財産を他人に譲って小学校の教員になる。体罰事件で退職後、修道院の園丁を経て、ケンブリッジ大学院に入学、その後ヒトラーの台頭による迫害を恐れロシア移住を企てるが挫折、ケンブリッジ大学教授に就任し、イギリスにて没する。
最期の言葉は「皆さんに伝えてください。私は素晴らしい人生を送った、と」だった。
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その読者かぶりは・・・。 (管理人)
2018-04-19 09:53:59
私がお互いのコメントのやりとりから知ったもので、私が追っかけて読者登録したものでしょう、きっと(財務省官僚の皆さんと違って私の記憶力は確かです)。
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お褒め戴き恐縮です。(Re>惚れ惚れ) (管理人)
2018-04-19 10:20:59
ヴィトゲンシュタインの行ったことは、単純化と分類であると私は思っています。
思考を整理していくと、反面その網の目からは多くのものが漏れていってしまいます。
-------☆☆☆-------
例をあげてみましょう。
例えば「文字の発明」です。
思考を文字にして記録することで、文明は発達したのですが、その過程で記録できなかったものがあるのではないでしょうか?
-------☆☆☆-------
こんなエピソ-ドがあります。蒼頡という人物が水鳥の足跡を見て最初の文字を思いついたとき、記録が始まり、これによって文明が発展していくのですが、表現できないモノたちの大半が、ここで消えてしまいました。
-------☆☆☆-------
鬼哭啾啾あるいは文字の発明(呉智英『封建主義者かく語りき』より)
(蒼頡とは,黄帝の事業を助け,黄帝の知恵袋となって尽力していた人物で文字の発明者といわれる。)
ある時,蒼頡は,水辺の湿地の上に,水鳥達の足跡がいろいろな模様を書いているのを見た。その時,彼は文字というものを思いついたのである。文字。これがあれば,人間は,自分の観念をかたちとしてとどめ,他人に伝え,学び,教えることができるのだ。蒼頡は,ただちに家へ帰り,一日中没頭して文字の基礎をつくった。
作業は夜半すぎにまでおよび,蒼頡が文字をつくり終えた時は,世界は暗黒と沈黙の支配する深い夜になっていた。蒼頡は,大業を果たし,ふと我に返った。すると,吸い込まれるような漆黒の闇の中から,低くかすかな,悲しむような呪うような,魂を凍らせるようなうめき声が聞こえてくるではないか。蒼頡は,震える手で,そっと戸を開けた。
蒼穴の家の外には,闇の中に,数知れぬ異形のものが集まり,怨みのこもった泣き声を発していたのだ(鬼哭啾啾)。ぞっとする蒼頡に,異形のものは言った。
「人は,ついに文字を見いだしてしまった。その力の前に,我らの没落が始まる。ゆえに,悲しみ嘆いているのだ。しかし,人間よ,汝らの徳も,必ず衰退するであろう」
こう言うと,異形のものたちは,闇の中に姿を消していった。
-------☆☆☆-------
なかなかに意味シンです。
-------☆☆☆-------
もう一つ例を挙げてみましょう。それは「デカルトによる分類」です。
デカルトは「思推する精神(人間)」と「延長する物体」にこの世界を分類しました。
この結果、妖精や精霊たちに満ちていたミステリアスな世界は、機械的な動きをする「延長する物体」として認識されるようになっていったのです。
この考え方は機械論的世界観と言われています。
これは文明の爆発的な発達を促しましたが、その一方で生命の軽視や自然の搾取を生んでいます。
-------☆☆☆-------
単純化と分類が行われた、その網の目から漏れたものたちのことを考える時期に、この世界は来ているのかもしれません。
そのとき「語りえないもの」を感じることが必要になってくるのではないかと、私は思います。
-------☆☆☆-------
最後に、途中ザセツしそうになりながら、何とか続けてこれたのは、ひとえにコメントで励ましてくださった皆さんのおかげです。心より感謝申し上げます。
心から、ありがとう!です。
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無知の知w (田園交響楽)
2018-04-19 23:23:19
あ、やはり、ハプスブルクの唇からかっ!

私は簡単な哲学から始める。知能指数に合わせて、児童書あたりで。

とにかくお疲れさまでした。
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追記 (田園交響楽)
2018-04-19 23:30:11
血友病だったらすまぬw

確か、ラヴェル、亡き王女パヴァーヌのあたりで、そちらの天皇制から?
呆けておるのでスマン。コメ返いらんから。笑。
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Re>無知の知w (管理人)
2018-04-20 11:35:26
第4章まではかなりいいペースでしたが、第5章と第6章は苦労しました(読むことはできるのですが、全くアタマに入ってこない!特に「ラッセルとフレーゲの研究に・・・」などと書かれていると「これから記号論理学を学ばなきゃイカンのか!」と絶望的な気分に・・・)。
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本来の読み方とは違うかもしれませんが「私なりの理解」ということで、許してください。
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あと、読んでも「なぜか?」が分からなかった点が2つありました。誰か教えてくれないものでしょうか?
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①「なぜ論理形式は表現することができないのか?それは我々がその中で考えているからだ」・・・論理構造がどんなものかを知る方法はないのでしょうか?
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②「論理学の命題はトートロジーである」・・・なぜ自明のことだと分かるのでしょうか?
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「分からない」と告白するのは勇気が要りますが、学問においては最も大切なことです。
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知之以知之、不知之以不知之。
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「これを知る」を以て「これを知る」となし、「これを知らざる」を以て「これを知らざる」となす。
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Unknown (田園交響楽)
2018-04-20 23:53:28
そうですね。5章からです。
科挙に受かりそうな管理人様でも苦労されたなら、私など到底。
(大体、ラッセルすら、ウィドゲンシュタインをキチンと理解していたのか。)

次の記事、
いや、モバちゃんだってハニートラップに引っ掛かる系だと思われ。m(_ _"m)
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Re:Unknown (管理人)
2018-04-22 14:23:15
論考を出版する条件はラッセルの書いた序文を付けることだったが、ヴィトゲンシュタインは『神秘的』と片付けるラッセルの序文が嫌いだったらしい。
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