吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

A・E・ヴァン・ヴォークト『非(ナル)Aの世界』創元SF文庫(新版)2016年2月28日初版発行

2017-07-21 09:19:14 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護

 あの歴史的傑作が復刻されたというので、購入!!



 しょっぱなから始まる『地獄巡り』感がスゴイ!!

 主人公ギルバート・ゴッセンは『機械』による選抜試験を受けるために『都市』にやってくる。
 この世界では指導者や優良市民は『機械』によって選抜される・・・そういう社会らしいのだ。
 宿泊したホテルでゴッセンは選抜試験の関門である『疑問提起(チャレンジ)』を受けるが、その内容は驚くべきものだった。
 『ギルバート・ゴッセンなる人物は存在しない(!)』というのだ。
 ゴッセンは嘘発見機に掛かるが自分の記憶に間違いがないことが証明される。
 どうやら自分の記憶には何らかの加工が行われ、偽の記憶が植え付けられているらしい。だが誰が?何のために?
 宿泊資格を失ったゴッセンは仕方なく野宿するが、そこである女性を保護する。
 素性が明らかになってビックリ!これが何と大統領の娘で、ゴッセンの記憶の中ではその女性と結婚し、死別しているのだった。

 突然現われた敵に殺されると、死んだはずのゴッセンはなぜか金星で目を覚ます。
 どうやら彼が死ぬと次に準備されている肉体に意識が転送されるらしいのだ。
 銀河帝国の侵略という陰謀に否応なく巻き込まれるゴッセンは、ついに『自分が死ねば問題解決能力がもっと高い第3のゴッセンが目覚めるに違いない』と信じて自殺を企てる・・・。

 この本を読んでいて、このストーリーになぜか『既視感(デジャブ/どっかで観たことが・・・)』を感じ、考えて思いついたのが映画『トータル・リコール』でした。そう、この筋立ては(オビの文句にもある通り)P・K・ディックに近いのです(もちろんヴォークトの方がディックより先なのですが)。


※映画『トータル・リコール』の一場面から。

 P・K・ディック原作の映画『トータル・リコール』はその名の通り、本当の記憶を取り戻すまでの物語ですし、有名な『ブレードランナー』の原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』では、主人公が『自分もアンドロイドではないか?』と疑い、検査を受けるというくだりが出て来ます。どの作品も『自分はいったい何者なのか?』という不安がストーリーの根幹にあるという点で共通しています。

 さて、話を元に戻しますと、ヴォークトがこの『非(ナル)Aの世界』なる小説を考えついたそのアイディアの中核になっているのが実はコージブスキーの提唱した『一般意味論』というものの考え方です。

 私はまだその全貌を把握している訳ではナイので、違っているかもしれませんが『この世に同じものは存在しない』という考え方です。『あのリンゴとこのリンゴは似ていても決して同じリンゴではない』という考えを突きつめていくと、アリストテレスの提唱した論理体系が崩れてしまいます。有名な三段論法は『AはBである→BはCである→よってAはCである』と構成されますが、同じものが存在しないなら、論理そのものが成り立たなくなります。それでここは『非(ナル)Aの世界』すなわち『非アリストテレス論理学の世界』なのです。

 ヴォークトは独自の解釈でこの論理学が物理法則にもあてはまる世界というトンでもない世界を構築しました。
 『同じものが存在しない世界で、全く同じ2つのものがあれば、それは1つのものとして機能するはずだ』というのです。

 かくして離れた場所にある複数のエレベーターを『歪曲機(凄い名前だ!)』で同一のものにしてやればエレベーターは異なる惑星間までも結ぶ移動手段となり、予備の肉体を用意して同調させれば違う肉体へ意識が移る、という、テレポーテーション(瞬間移動)が可能な世界を作り出してしまったのです。もちろん本来の一般意味論にはこんな考え方はナイので、あくまでヴォークトの空想なのですが、論理学を強引に物理法則にも適用するというそのアイディアが凄まじいのです。

 そして延々と続く地獄巡りの感覚・・・文章における描写の粗さというかディテールの無さが、かえって悪夢感を強調しています。
 主人公のゴッセンという名前は『Go!Sane(覚醒せよ)』という意味がある、ということだが、覚醒するまではSaneじゃない状態なのね。Saneの前に否定のInを付ければ、あっ!これはInsaneで狂気、なあるほど、と納得したのでした。
 
 



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3 コメント

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Unknown (蓮の花)
2017-07-23 22:47:46
Go-sane
In-sane(=out of mind)から関連して
To-sane, For-sane,Into the saneまで考えてみました。
Total recallの映画は観てはいましたが
そこまで次元的な意味が含まれていたとは思えなかったです。
一冊の本から哲学まで展開させた筆者様の記事から私も視点を広げる必要があると考えさせられました。


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コメントありがとうございます🙇。 (管理人)
2017-07-24 08:39:19
もともと、この本自体が論理学(一般意味論)的背景を持った設定になっているせいですね😅きっと。
P・K・ディック(トータル・リコールの原作者は)は、A・E・ヴァン・ヴォークトから『主人公が自分のアイデンティティを疑う』という小説のスタイルを引き継いだのであって、それぞれの理論的背景はまったく異なります、念のため。

私の知る限り『一般意味論』を元に小説を書いたのはヴォークトだけです。
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追記 (管理人)
2017-07-24 09:54:39
本文一部修正しました。
>P・K・ディック原作の映画『トータル・リコール』・・・で始まる段落を挿入しました。
これで繋がりが分かり易くなったと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
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