ここ数日ようやく暖かな春らしい日が続いています。
3月2日に行った鎌倉散策の写真をまだアップしていなかったので、
(今頃はもう梅の花も満開でしょうが)載せることにいたします。
(最初2月と書いてしまい、3月の間違いでしたので訂正してお詫びいたします
)

3月初めのまだ肌寒い土曜日、久し振りに北鎌倉から鎌倉へ、
お寺と梅を訪ねて歩いてみました。
Part 1. 「松岡山東慶寺」
北鎌倉駅で下車、最初に「松岡山東慶寺」を訪ねました。
今から約720年前、弘安8年(1285年)北条時宗夫人の覚山志道尼が開創したお寺です。
封建時代、女性の側から離婚出来なかった時代に、東慶寺に駆け込めば離縁できるという
女人救済の寺として明治に至るまで600年の長い間、縁切りの寺法を引き継いできました。
明治4年に縁切りの寺法は廃止されて尼寺の歴史も明治35年に終わり、
明治38年から新たに禅寺となりました。
「松岡山東慶寺の入り口」

「東慶寺の梅」枝振りの面白い、梅の古木が多い。

茅葺屋根の「鐘楼」


「本堂」

「井戸」

「駆け込み寺跡地」の標識。
3月2日に行った鎌倉散策の写真をまだアップしていなかったので、
(今頃はもう梅の花も満開でしょうが)載せることにいたします。
(最初2月と書いてしまい、3月の間違いでしたので訂正してお詫びいたします


3月初めのまだ肌寒い土曜日、久し振りに北鎌倉から鎌倉へ、
お寺と梅を訪ねて歩いてみました。
Part 1. 「松岡山東慶寺」
北鎌倉駅で下車、最初に「松岡山東慶寺」を訪ねました。
今から約720年前、弘安8年(1285年)北条時宗夫人の覚山志道尼が開創したお寺です。
封建時代、女性の側から離婚出来なかった時代に、東慶寺に駆け込めば離縁できるという
女人救済の寺として明治に至るまで600年の長い間、縁切りの寺法を引き継いできました。
明治4年に縁切りの寺法は廃止されて尼寺の歴史も明治35年に終わり、
明治38年から新たに禅寺となりました。
「松岡山東慶寺の入り口」

「東慶寺の梅」枝振りの面白い、梅の古木が多い。




茅葺屋根の「鐘楼」


「本堂」

「井戸」

「駆け込み寺跡地」の標識。
