小金井 サッカースクール A.C.Fonte

小学校1年生から3年生がメインで楽しく開催しています!これから始めたい!上手になりたい!そんな子待ってます♪

話をしっかりと理解する事が試される

2011-02-11 18:33:33 | 活動内容 2010.2~2015.11
今日は、戦術、ルール体の使い方の3つに絞り勉強会。


詳細は戦術については、アーセナルとバルセロナの2チームについて。

ルールに関してはオフサイドを詳しく、またラインの認識を再度。

体の使い方は左右対称に体は使えていないという事実、の認識(笑)


戦術に関しては難しいかったと思いました。実際、本を読みながらの説明は難しく、というのも熟語が多いので伝え方の表現に戸惑いました。ただ、今はなんとなくでも伝われば良いかな?と感じています。


ルールに関しては、私もまだまだ勉強をしている途中で、改めて違った解釈に気づいたり既に教えてしまっていた間違っていた事の訂正も含めルール理解度を上げていきます。


最後の体の使い方に関しては結構気付いた点が多かったと思います。筋肉トレーニングにおいて大事なのは「筋肉への意識」だと思っています。それが、姿勢や筋肉の使い方につながってきますので今回の左右非対称の体の動きには良い刺激を受けたのでは?


筋トレに入る前にしっかりと知識をつけて行って頂きたいです。間違った方法で過度にやりすぎれば、それも結局は怪我につながってしまいますので。



戦術に関してはこれからも色々なチームの戦術を紹介して、サッカーにはこんなに戦術があるんだという事を知ってほしいです。ただの球蹴りでなく、個人でやるものでもなく、どうあってもチームスポーツなんだという意識を高くしていきたいです。


ルールに関しては、理解を深める事で違った角度からサッカーが面白くなったり、今の君達にとって新しい打開策(それは既にあるものでもあるが)へのヒントにもなります。またジュニア世代での目に余るジャッジを経験してきた私にとって、子供も知識をつけしっかりとサッカーに参加すべきものだと考えています。




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去年のこと

2011-02-11 00:28:19 | 独り言
最近、丁度1年前の記事をよく振り返っています。読んでみるとよくこんな状態でスタートしたな・・・と心底思います。そして自分の性格に少し引きました。ハハ。Fonteにとっての元旦は2月26日かもしれませんね。あの時の春一番の風と悲しげに待つコーンは今でも覚えています(笑)


そしてそんな私を小馬鹿にするような方の発言もしっかりとね(怒)根に持つタイプなので。



昨年はほんとに色々な方々に出逢え、支えられ、成長する事が出来ました。思えば故郷の友人とも何故か連絡が取れるようにもなりましたし、親とのわだかまりも解けました。そんな私の親との経緯を以前にも書いてはいるのですが再度書いても良いですか?書きますね(笑)少し、子供には過激な表現もあるかもしれませんがストレートに書きます。



中学の三者面談で先輩に憧れて、「志望校は?」と先生に聞かれ「ブラジル留学です」と答えました。すると先生は「あんたんなんか○○高校に行きなさい!」と地域で一番頭の悪い高校を提示。仮にも母親の前ですよ?凄ぇなと今さら思います(笑)家に帰ると母は、


「そんなにサッカーが好きなら一人でやりなさい」と。


「分かった。」と言って私は雪の中自転車でハローワークに向かいました。道は真っ暗でしたが何故か明るく見えたのは言うまでもありません(笑)


「中卒で働ける求人下さい」と受付に。資料をもらい「よし!」と何故か。


家に着いてその資料をバシーとテーブルに叩きつけて


「わぁ中学校卒業したら愛知さ行ぐはんでぇ!」と(爆)こうやって書くと面白いな(笑)


と言うのも理由があり、トクタイとスポーツ推薦がひとつづつ電話があったのですが、母は私に内緒で断っていたのです。先輩に「満のところに電話いったべ?」と言われ始めて発覚!・・・聞いてない!そんな事聞いてない!!とこの頃からヒステリックに母を嫌いに。。。


「そんなに本気だと思わなかった」と母。

「うっせぇ!わぁの人生、わぁが決めるんだ!」と私。(なんて親不孝な・・)

「座りなさい。」

「・・・・・・。」

「高校3年間で満の保険金の積立が100万円になるの。それでブラジルに行げば良い。だから、お願いだから高校だげは行って。」

「・・・・・・。」

「・・・分かった。」とこんな感じ。

次の日、先生に訳を話し次の席替えで今までつるんだ仲間と離して頭の良い連中の真ん中にして下さい、と。もはやブラジル留学は決まった!まずは高校をしっかりと県立に行くこと、私立だったらお金がたくさんかかるのに、それでサッカーやらせて下さいとは言えない!と猛勉強。

地域で3番目の進学校に入学。合格した時に母にカマをかけて「落ちた・・・。」と。


母はひどくショックを受けて、

「・・・、それでもあなたのやりたいと思う事をやり通しなさい。」と。この時は母に悪い事をしたと思いました。3年間ブラジルを見続けて過ごそう、と。


あれ?これ結構長いな・・・独り言だから良いか。高校生活も色々あって、さぁ留学。


さっと書きますけど、保険の契約する時は母が一度ペンを置いてためらったのを見てすぐに部屋に行き枕を濡らしました(笑)丁度同時多発テロ後の時期でした。戻るとサインをしており、幼少の頃のように母のヒザで泣きたかったのを覚えています。そして留学。

詐欺にもあって住む所失ったりと結構良い経験出来ました(笑)おかげでしっかりと一ヶ月間日本人一人でテストも受けられ、とりあえず2万円で見て上げるよと言われ帰国。


親父には帰宅そうそう「どごに行ってらんずよ!!」と切れられたが「60万下さい」と土下座。

「大学に行ぐんだばいくらでも出してけら。サッカーには一銭も出さねぇ!!」と。

「一銭なんかねぇじゃ!!」と怒り狂い家出(笑)ここまで来たら本当馬鹿ですね(爆)

そして携帯も母に解約され、まさに怒りは頂点。ここからですね、親を心底憎み始めたのは。絶対に死に目には会わない!つーか死ね!とか本気で思ってましたね(なんて親不孝な・・)家出2年目位かなぁ?姉の策略に合い予備校に行く事に。親父さくっと60万払う。これに頭に来たんですよね。この60万あればブラジルに2年は居れた!くそっ!と入学後すぐに行かなくなり「ざまぁみろ」と。凄ぇ事したな俺(汗)


そしてまぁ、ようやく去年ですよ。GW前に友人から連絡が来て「一緒に帰らない?」と。


高速道路での長旅。私はこれまでの経緯を話したくて仕方がありませんでした。「いやぁオカンが大嫌いでさぁ一応は帰るけど家には居ないつもり」みたいな事を言いたかったのですが、


「みっちゃんには言うんだけどさぁ・・・。」と「わぁのカッチャ(母)去年乳がんで死んでよぉ、薬ど闘ってる人間に頑張れってさ・・・頑張ってもどーにもなんねー時もあるじゃん?なのに頑張れ頑張れってさ・・・だはんでわぁ、頑張れって言葉嫌いになってまってさ」


(まじ?これから俺の家出話に華を咲かせられないじゃん)と、少し母がいなくなる事をイメージ。そして7月の3連休。パパが車検払ってやると言ってくれ帰省。小学校の同級生だった女の子と飲みに行くと、


「そういえば一年だねぇ・・・」としんみり。「何が?何が?」と私(なんてKYな・・)


「うん、私お母さん去年死んでさ・・・乳がんで」


(え?まじ?・・・俺と同い年でもう2人もお母さん死んでんの?てか、家に帰れば親が居て?・・・んでケンカも出来て?わぁどんだげ幸せモンなんずよ!!)と。ガツーンと。


そしてお盆。今回はずーっと我慢して家に居ました。(親孝行、親孝行)と考えていて「なんが手伝う事あ、ある?」と聞いたりで一体何をすればいいのか?オロオロ。察したのか母は、


「何にも出来なかったら一日に2度、3度笑ってくれればそれで良いのよ。今東京さいるんだがら笑顔も見れないんだがら」と(俺まじ号泣)哲学の勉強もここから。


そして父も勇気を振り絞ってくれ「風呂さ行ぐが?」と。少し悩んで「うん」。


死ねと思っていたけど、「10年後品川ナンバーのベンツで帰ってくるはんで長生きしてけ」、と約束しました。親父は笑っていたけど。そんな2010年でした。



別人として小説書いてみたいですね(笑)

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