長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

258.『野鳥観察40周年記念』の年。

2016-08-29 19:23:04 | 野鳥・自然

今年は年頭からブログに野鳥観察に関する内容を多く掲載している。それは何故かと言えば今年が僕が『野鳥観察』を初めてからちょうど40年目の節目の年にあたるからなのだ。一言で40年と言うが、自分でもよくもまあ続けてきたものだと改めて思う。夕べテレビをつけたら「懐かしの昭和の歌謡曲」という番組をたまたまやっていて、その中で演歌の大御所〇島サブローさんが「私は今年、芸道55周年となります」と言っていた。比べるつもりはないが年数だけ見れば迫っているではないか。僕が版画制作を初めて35年なので版画よりも古い付き合いということになる。20才ぐらいから記録を付け始めたフィールドノート(野帳)も現在74冊目となった。100冊までつけられるだろうか。それから、このところ加齢により視力が落ちてきたのを気遣って連れ合いが40周年のお祝いも合わせて口径が大きく明るい双眼鏡をプレゼントしてくれた。

最近はいろんなところで「自分と野鳥との出会い」について文章に書いたり話をしたりしているが、僕が野鳥観察を始めたのは1976年、高校二年の晩秋から冬だった。同級生の野鳥が好きなSとAの二人に連れられて千葉県の新浜というところに初めて水鳥を観察に行った。その頃は昆虫採集に夢中だったので野鳥と言えば両親が作った庭の餌代にやって来るスズメやキジバトぐらいしか知らなかった。忘れもしないあの野鳥観察の初回、東京湾の埋め立て地の一角に位置する水面を真っ黒に埋める冬鳥のスズガモの大群やその年、たまたまこの冬に渡って来ていたトキ科の大形の水鳥、ヘラサギとクロツラヘラサギという珍しい二種を望遠鏡の視野に入れてもらって夢中で観た、そのたとえようもない美しい姿。この夕刻の逆光の水辺に佇む水鳥の輝く姿は今でも脳裏にはっきりと焼き付いている。ビギナーズラックというのだろうか、この感動的な瞬間から「野鳥」という世界に魅せられ、のめり込んでいったのだった。

依頼、江戸川河口や谷津干潟など東京湾岸の干潟に足繁く通うことになる。僕にとってこの千葉県の東京湾岸から「野鳥観察」をスタートしたということがその後の野鳥観、自然観を決定してしまったと言ってもいいと思う。それはその場所が絶えず人間による環境破壊と自然保護の問題が繰り返されている場所だったのである。その僅かな生息地を追われ生息数が減少し絶滅していく姿が僕にとっての「野鳥観」となってしまったのである。このことが良かったのか悪かったのか今の時点ではなんともいえない。

29年前に引っ越してきた工房のある千葉県北東部は印旛沼などの大きな湖沼が広がり周辺の丘陵地はいわゆる平野部の里山環境である。ここでも年間を通して野鳥観察を続けて来た。しかしここも平野部の里山と水辺ということで御多分にもれず開発の波が押し寄せていたのだ。30年近い観察の結果、環境も変化し、かなり多くの種類の野鳥たちの生息数が減少している。ブログでも繰り返し紹介してきたが15年から20年前ぐらいまでは極く普通に観察された種が姿を消しつつある。気が付けば周り中「絶滅危惧種」というありさまである。そして近年、その減少するスピードが加速度を増してきたように感じている。この先、10年後、20年後には人間と野鳥たちを取り巻く環境はいったいどうなっているのだろうか。野鳥たちの未来を想うと、ついネガティブな心境になってしまう。

おめでたいかどうかは別にして、とりあえず40周年を無事迎えることができたのである。これからさらに50周年、60周年を迎えられるように精進努力して行こう。そしてフィールドノートが100冊を超えるまで。僕にとっては、まだまだ「野鳥観察道」の奥は深くて広い世界なのである。画像はトップが新しい双眼鏡を構えた僕。下が向かって左からプレゼントされた大口径の双眼鏡、長く使用した古い双眼鏡、調査に使っているカウンター、74冊となったフィールドノート、野鳥観察を始めた頃に使用していた識別図鑑(今のようにたくさん出ていなかった)。