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中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
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ギリシャ生まれの美しい声の持主『ナナ・ムスクーリ』

2016-04-26 | 文化を考える

ギリシャ生まれの美しい声の持主『ナナ・ムスクーリ』

 

『ナナ・ムスクーリ』、ギリシャ生まれの美しい声の持主、フランスでシャンソンを歌って知られるようになりました。ここに、フランスの『民謡』をナナ・ムスクーリが歌っているアルバムがあります。長く歌い継がれてきたせいか、洗練されたメロヂィーと繰り返しの多い歌詞、その場の空気が驚くほど澄み渡ります。日本の『民謡』と同様の魅力、その地域の風土と人々の生活や気質が伝わってきます。わたしは、レコードで聴いていますが、CDでもPCでダゥンロードしてぜひ聴いてみてください。


月組 宝塚大劇場公演 Musical 『舞音-MANON-』

2015-11-14 | 文化を考える

本日11月13日は、月組 宝塚大劇場公演 Musical 『舞音-MANON-』 グランドカーニバル 『GOLDEN JAZZ』 (主演:龍 真咲)の初日でした。
【宝塚歌劇公式HP】http://goo.gl/nzdPVF
フランス恋愛文学の最高峰の一つであり、バレエやオペラ作品としても人気の高い、アベ・プレヴォ作「マノン・レスコー」を公演しています。
わたしは、若い頃からよくタカラヅカを観ていましたが、このアベ・プレヴォ作「マノン・レスコー」を何故やらないのかと不思議に想っていました。フランスでは繰り返しミュージカルや舞台で演じられてきた代表的な作品でしたから、なによりもタカラヅカの演目に加えて欲しい、ぴったりの作品と想っていました。その願いが叶って、ほんとうにうれしいのです。


エドガー・アラン・ポーとオディロン・ルドン

2015-10-25 | 文化を考える

ポーの特異な世界観は、文学者だけにとどまらず、多くの画家たちにも影響を及ぼしました。オディロン・ルドンは、『エドガー・アラン・ポーに捧ぐ』の優れた連作を遺しています。日本でも、多くの画家がポーの影響下にあると言っていいのです。これほど、奇異で且つ優れた作家は珍しい。

わたしは、『画家の誕生』(ルドンと文学)を読んでいます。これがかなりの大著(内容のある分厚い本)で、少しづつ読み進めていますが、ルドン作品の想像以上の奥行きの広さに驚ろかされています。

創作について、わたしたちは『想いを巡らすこと』を常としていますが、優れた作家が共通に抱いているそれらがいつも『危うさ』と隣り合わせにあることを、今更ながらに、わたしは『再確認する』のです。


エドガー・アラン・ポーに魅せられて

2015-10-25 | 文化を考える
わたしの若い頃、エドガー・アラン・ポーに魅せられて、この人や周辺の作家たちの本を数多く読みました。
日本でも多くの作家が、何らかの形でポーの影響を受けています。
詩人萩原朔太郎も早くからポーの詩に親しみ、「鶏」「猫の死骸 ―Ulaと呼べる女に」「沼沢地方 ―Ulaと呼べる女」ではポーの詩「大鴉」「ウラリューム」から得たモチーフや技法を生かしています。
芥川龍之介は「詩作の哲理」などポーの創作理論から入り自作への応用を試み、「尾生の信」(大正9年)ではポーの「大鴉」に倣った反復句「またあらじ」を意識的に用いている。
そのペンネームを「エドガー・アラン・ポー」をもじってつけた江戸川乱歩は、ポーの推理作品からの影響が濃い「二銭銅貨」でデビューし、以後ポーの作品から着想を得て作品を発表していき、日本における探偵小説の黎明期を支えた。乱歩は昭和24年に発表した作家論「探偵作家としてのエドガー・アラン・ポー」では、ポーが探偵小説を生み出した要因をその謎と論理を愛好する性格に求め、彼が生み出した探偵像とトリックの構成への具体的な影響が見られます。
エドガー・アラン・ポーの作品には、創作のヒントが数多く隠されています。
 
 

北陸中日新聞の取材記事(本日朝刊)を掲載します

2015-06-19 | 文化を考える

昨日、企画展『19世紀 出版と挿絵文化 展』が始まりました。小松駅前れんが通り古書店『月映書房』(小松駅から歩いて2分)にて、お昼12時から19時頃(夕方)まで開催しております。

北陸中日新聞の取材記事(本日朝刊)を掲載します。

18世紀19世紀の書籍に載せられる挿絵は、ほとんどが版画になります。時代によって、あるいは印刷工房によって、版画技法が違ってきます。さまざまな版画技法についてわたしの説明が不足していました。そのせいか、記事では、そのところが曖昧になっています。

いつも思うことですが、このように新聞で丁寧に扱っていただけることが、ほんとうにうれしいです。取材のあと、しばらくして、わたしの携帯に年齢の確認がありました。わたしは少し年齢を(気づかずに)偽っていたのです、新聞は事実を正確に報道する義務があります、そのことを再確認いたしました。しかしながら・・・誤魔化せるものなら・・・これも気の迷いです。


『19世紀の挿絵画家たちの魅力』を伝える展示を企画しました

2015-06-18 | 文化を考える

数日前、「美術出版社がCCC(TSUTAYA)の支援を受けるそうだよ」と友人から聞いた。私たち美術関係の仕事をしてきた者の多くが、この出版社の恩恵を受けています。それだけに、驚き安堵したのですが、出版社や書店の苦悩は大きい、このような状況が続いています。

『美しい本』が私たちの生活を潤し、それが豊かさの象徴でもあった時代、視覚や触覚(手触り)を愉しませてくれた『大切なモノ』が失われていくのを実感します。

趣味で始めた古書店『月映書房』ですが、「一石を投じてみようかな」と思い立ち、『19世紀の挿絵画家たちの魅力』を伝える展示を企画しました。フランスやイギリスの出版業界変革の時代を知って欲しい。『美しい本』を造りたい、そういった情熱が伝わってくる時代を知らせたい。有能な挿絵画家たちの活躍の場が、この時代にはありました。ギュスターヴ・ドレは、自身の工房を持っていましたし、グランヴィルは絵を中軸にした本を自ら企画し(物語に挿絵を描くのではなくその逆)出版しています。優れた挿絵画家が次々と現れたのもこの時代でした。本の装幀だけを専門にする職人も多く、『美し...い本』があふれていた時代と言っていいのかも知れません。

私の投じた小さな石(意志)が、どれほどの波紋を描くか・・・たいしたこといかも知れませんが・・・。ウイリアム・ブレイクの銅版画やギュスターヴ・ドレの木口木版を詳細に見るとわかるのですが、挿絵画家の立ち位置(理念の拠り所)の明確さに驚き、その観察眼や優れた描写力などに敬意を覚えるのです。これら自立していた作家たちの仕事を見て欲しい、そう思うのです。


企画展『19世紀(フランス・イギリス)出版と挿絵文化』のポスターを制作

2015-06-11 | 文化を考える

企画展『19世紀(フランス・イギリス)出版と挿絵文化』のポスターを制作しました(ポスター制作ークリエータ中川崇民)。日程・場所も、決定いたしました。


日程は、6月18日(木)から6月28日(日)です。場所は、少々狭いですが小松駅前れんが通りの古書店『月映書房』、なんと言っても準備がしやすい(時間がかからない)。お昼(12時)から19時頃までと、わたしたちの都合に合わせた設定にしています。ですから、気楽に訪問願えたらと・・・近くに来たついででいいですよ。


古い新聞(1902年4月発行・パリ)ガヴァルニの「特集記事」

2015-04-27 | 文化を考える

ポール・ガヴァルニ:PAUL GAVARNI(1804年1月13日~1866年11月23日)の挿絵が多く掲載されている古い新聞です。ポール・ガヴァルニはペンネームで、本名はギョーム=シュルピス・シュヴァリエ。「ラ・モード」誌で挿絵を描き始めたのですが、この雑誌からバルザックにジョルジュ・サンドなど著名な作家もデビューしています。発表の場を「シャリヴァリ」誌に移し、しばらくして、自らが監修する雑誌を創刊することになるのです。知的でエスプリにあふれたガヴァルニの挿絵は、パリ市民にも愛されました。言うまでもなくこの「おしゃれな画風」は、わたし好みです。この新聞の名称は「社交界の人々の新聞」と言います。

ここに掲載した古い新聞(1902年4月発行・パリ)は、ガヴァルニが亡くなってずいぶん後の「特集記事」になります。日経新聞と大きさを比較するとわかりますが、ずいぶん大きい紙面になります。わたしたちは、世界の歴史や文化と無縁に生きてきたわけではありません、もう少し視野を広めることも大切かも知れませんね。


映画『ブリキの太鼓』の原作者ギュンター・グラスが亡くなった

2015-04-14 | 文化を考える

ギュンター・グラスが亡くなった。

絵と文が入り交じったメモを見たのが、わたしがこの作家を知った最初でした。映画『ブリキの太鼓』の原作者、ノーベル文学賞作家としても知られますが、ギュンター・グラスの魅力は『時代を見つめる眼』、行動する知識人としての存在感です。「フクシマ原発事故」にも、明確な言及をしています。わたしたちは、明確な理念を持った知識人(時代の誤りに警鐘を鳴らしてきた大切な人)を、また一人失った。世界は、更に混迷を深めていく。


『最後の晩餐』には多くの習作(スケッチ)が遺されています

2015-04-07 | 文化を考える

わたしは、24歳の頃に『最後の晩餐』を見ました。室内は暗く、画面はぼんやりしていて、あまり良くは見えなかったのですが、完璧なまでの画面構成と荘厳な舞台(演劇空間)を見ているような異質な感覚に圧倒されたことを覚えています。それから数十年後に、クリーニングされた『最後の晩餐』を見ました。その鮮やかな色彩に驚きながら、以前見たのと別な「異質な感覚」に圧倒されたのです。


この『最後の晩餐』には、多くの習作(スケッチ)が遺されています。そのせいか、このような話までが、まことしやかに伝えられています。
「 ユダのモデルにふさわしい人物」が地下牢にいますよと言われたレオナルドは、
すぐさまその地下牢に向かった。その人物の姿や表情に納得したレオナルドはすぐさまスケッチを始めた。しばらくして、「レオナルドさん、お忘れですか、わたしですよ・・・」と低く響き渡る声で、そう言った。 思わず手を止めて、 やつれ果てた囚人を見つめるレオナルド・・・。数年前、イエスのモデルをした修道士、その人ではないか。加えて、その囚人が、サヴォナローラだという「あまりにできすぎた逸話」が伝えられています。おそら「つくりばなし」でしょうが、哲学的な意味合いの含まれた(ありそうな)話だからか、当時も今もそのように囁かれています。

このサヴォナローラに翻弄され、大きな犠牲を払った芸術家がたくさんいます。正義感の強いボッティチェリもその一人です、再起できないまでに打ちのめされたと言っていいのです。宗教指導者には二面性があります、現在も「負の遺産」は続いていると言っていいのです。