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中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
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モリスが『理想の書物』としたルネサンスやロマネスク期の彩色手稿本から

2017-09-24 | 文化を考える
  1. わたしが24歳の頃、大英博物館で彩色手稿本を見てから写本を含む『書籍』そのものに関心をもちましたが・・・ウィリアム・モリスの『チョーサー著作集』をここ数日眺めながら・・・モリスのイタリックの筆跡を想い起こす・・・かなり傾斜した筆記文字にヘアーラインが一定のリズムを与えて美しい、まるで音譜を見ているような感覚と似ている・・・『チョーサー著作集』、太めの木版文字とバーン・ジョーンズの線描(木口木版)が際だっている・・・確かに、ページを構成する文字と絵が美しく調和している、モリスがこだわったひとつの構成美が否応なく迫ってくる・・・モリスが『理想の書物』としたルネサンスやロマネスク期の彩色手稿本から遠のいた要因は何か・・・わたしはこのことを考慮するに、モリスの筆跡特徴(ヘアーラインとアップストローク)と無関係ではないと・・・。

『言論の自由』は危機的状況にあるか・・・

2017-06-22 | 文化を考える
  1. 日本における『言論の自由』は、危機的状況にあるか・・・。わたしは立花隆の本の多くを読んできたひとりですが、『言論の自由VS●●●』(2004年4月刊)の前文に日本国憲法第21条(集会・結社・表現の自由・通信の秘密)が載っています、この頃から、なんとなく街を通り抜ける風が変わり始めたようにも想えたものです。読書家を自認しているわたしにとって、立花隆は魅力的な『読書案内人』です、その好奇心の塊のような眼と探究心(読書量)には幾度も驚かされました。2001年頃から、立花隆さんに対する『批判』が気がかりに、2002年宝島社刊『立花隆・嘘八百の研究』には、正直唖然としました、これは個人攻撃そのもの(批判のオンパレード)でした。批判の多くは「重箱の隅を突っつく」の類でしたが、その影響は大きくないはずはありません・・・。わたしは、立花隆さんから多くのことを学びましたので、その姿勢に疑いを向けることはないのですが、このようなこと(個人攻撃)が横行することに一抹の不安を覚えるのです。

レオナルド・ダ・ビンチの『手稿』

2017-02-23 | 文化を考える
  1. レオナルド・ダ・ビンチが『手稿』を遺し、その一部を弟子のメルツィがまとめて『絵画論』として発刊しています。
    この膨大な資料(手稿)は、レオナルドが書籍として刊行することを前提に書いていたものです、そのためか、索引らしきメモや注釈が随所に書かれています。『鏡面文字』と言われる、すぐには読み取れない表記には、その内容によっては破棄される可能性を排除しきれない『恐れ』があったためかもしれません・・・『真理』の多くは『統治勢力』には不都合なことです、昔も今もそれは変わりません・・・ダンテの『神曲』が制約の多い詩篇の形式で書かれたのもそうです、その反面、ラテン語ではなくフイレンチェ地域で使われていた言葉で書かれていたことは、多くの人に読んでほしい気持ちの表れだったかもしれません。・・・レオナルドの『鏡面文字』にしても、読む意欲さえあれば読めるのですから・・・。いつの時代にも、わかる人にはわかる記号というものがあります、先人から学ぶことは多いのです。

レオナルド・ダ・ビンチが予見した情景

2017-02-22 | 文化を考える
  1. わたしは、イタリア・ルネッサンスを基軸にヨーロッパ文化の推移を見ています、謎を解く近道であり、今や習癖になっています。イギリスのEU離脱決定以降、ヨーロッパは次第に厳しい状況(綱渡り)に置かれていく、ひとつの冒険(試み)が失敗に終わる可能性すらあります。
    ルネッサンス期のメディチの盛衰とイメージが重なる、メディチ家がスポンサーとしてルネッサンス社会(試み)を支え、時代変革がそのエネルギーを削いでいく・・・時代の変わり目に翻弄されるのは民衆だけではありません、芸術家もその例外ではありません・・・。ボッティチェリは追われ、レオナルド・ダ・ビンチも去ることになる・・・彼らが目にした光景(権力の推移とその情景)が、酷いものであることは容易に想像できます。
    ヨーロッパだけではありません、アメリカも大きく右傾化しています、日本にしても既にナショナリズムが色濃く反映しています、このように『排他主義』がもたらす情景は・・・。
    レオナルド・ダ・ビンチが予見した情景・・・理念なき『権力』に背を向けた芸儒家・・・孤高の姿に学ぶことは多いのです。

何故『神曲』を題材にする画家が多いのか

2016-11-10 | 文化を考える

八月京都、ダリの版画を観ました。なかでも『神曲(ダンテ)』を題材にした数枚の版画に注視しました。ダリらしい解釈と明瞭な表現に、目が止まったのです。以前から、わたしには『ひっかかり』がありました・・・何故、『神曲』を題材にする画家が多いのか・・・『ボッティチェルリの神曲』『ヴレイクの神曲』『ドレの神曲』について書いてきたこともあり、ダリの版画を観ながら、多少の違和感を抱いたのです。ダンテ自身が何かから追われながら書いた『神曲』ですから、そこから共通点(符号)を見いだせないことはないのですが、それぞれに異質な何かを覚えます。文化史には大きな柱があり、中央に輝くひとつの軸がイタリアルネッサンスです。そして、謎を解く鍵の多くは、ルネッサンスにあるのです。


アルベール・スキラのキーマンとしての能力を高く評価したい

2016-10-09 | 文化を考える

ブラッサイが遺した書籍・写真・メモから、この時代の雰囲気が詳細に読み取れます。わたしは、卓越した企画力と編集能力をアルベール・スキラに覚えたのも、これらの資料が発端でした。パリという街(異端の文化人が集まっていた街)が果たした役割も大きいのですが、ピカソの隣に住居を構え、銅版画・石版画などの道具を揃え(工房を設置)、画家だけでなく詩人を含めた文化人たちの交流の場を積極的に提供してきた、アルベール・スキラのキーマンとしての能力を高く評価したい。


1933年発刊のシュルレアリスムの芸術誌「ミノトール」

2016-10-09 | 文化を考える
若いアルベール・スキラには、編集者としての野心がありました。芸術雑誌『ミノトール(MINOTAURE)』の編纂にかける彼の情熱やこだわりは細部にわたり、尋常ではありませんでした。芸術雑誌「ミノトール」は、1933年5月25日に発刊され39年までに13冊が刊行されました。この13冊の美しい美術雑誌「ミノトール」は、手に入れることの難しさや著名画家の版画が挿入されていることもあり、現在は『幻の美術雑誌』と言われています。アルベール・スキラは、既にオヴィディウスの『変身譯』やマラルメの詩集、ロートレアモンの『マルドロールの歌』を刊行していて、ピカソやマチス、ダリなどと共同作業(挿絵)をしています。創刊号の表紙は、同時期にミノトールを主題に多くの作品を残したピカソに依嘱されていますし、ダリやマグリットなどシュルレアリストたちも次第に表現活動をこの雑誌に求め、実質的にシュルレアリスムの雑誌として機能し始めます。36年の第9号でテリアードが同誌を離れてからは、A・ブルトン、M・デュシャン、P・エリュアールが共同編集人として雑誌の刊行を続けることになります。

若いアルベール・スキラと50歳のピカソの情熱が結実した美しい本

2016-10-09 | 文化を考える

 アルベール・スキラが、最初に企画・編集した本「ピカソが描いた銅版画30点を収めたオヴィッドのメタモルフォーシス」は、美術書の歴史において特別な本になりました。若いアルベール・スキラと50歳のピカソの情熱が結実した美しい本でした。その一年後の1932年には、アンリ・マティスのオリジナル銅版画29点を収録したマラルメの「poesies」を出しています。さらに1933年に、「芸術誌ミノトール」が発行され、シュールレアリストの雑誌が誕生した。ブルトンとエリュアールは、ピカソ、マティス、ブラック、ドゥラン、ローランス、ブランクーシ等の作品だけでなく、ラカンの初期の著作、黒人芸術に関するミシェル・レリスの考察、そしてマン・レイとブラッサイの写真も出版した。アルベール・スキラが果たした役割は大きく、世界の芸術の「意識変革」を加速させたといってもいいぐらいです。


「アルベール・スキラ」といっても知らない人が多いと思います

2016-10-09 | 文化を考える

「アルベール・スキラ」といっても、知らない人が多いと思います。

わたしたち(画家やデザイナー)が若い頃、本屋さんの書棚には「美術書」が少なく(日本の出版事情のせいか)、洋書(画集や雑誌)から学ぶことが普通でした。美大図書館に加えて、古書店に足を運ぶ回数も次第に増えていったことを、懐かしく思い出します。

その洋書(画集)の中にスキラ社のロゴ(SKIRA)がついた本があり、わたしはすぐに魅了されました。シルヴァン書房(京都)で、友人の長谷川さん(画家)に「このシリーズいいよ」と、それが1934年創刊スキラ社の「Les Trésors de laPeinture francaise」でした。アルベール・スキラが起業した出版社には、「芸術を美術館から図書館へ」というスローガンがありました。写真、複製、インク、特製の紙、印刷、製本に至るまで細やかな配慮が施され、すべてにクオリティの高さが追求されていました。しかも、ここから出版される美術書はフルカラー(当時は少ない)でした。

河出書房から出版された普及版の画集(正方形に近い)は、スキラ社の画集をモデルにしていると言われます。1973年に亡くなってから、すべての版権が大手出版社(アメリカ)に移り、日本でも美術関係の本が充実するにつれ、次第に忘れられていくことになります。


イギリスの『EU離脱判断』に驚いた理由

2016-06-29 | 文化を考える

フランスには、ラ・フォンテーヌの寓話があります。ドイツには、グリム童話があります。ヨーロッパには、イソップはじめ民話や童話が数多くあります。人生の知恵を、それとなく子どもたちに伝えるお話は多いのです。それらの民話や寓話には、ちょっと怖い場面が隠されていることも少なくありません。現実は、想うほどには『甘くない』ことを、それとなく教えています。わたしは、ヨーロッパに生きる子どもたちに、もうひとつの『バイブル(物語)』として伝えてきたのではないか、そう想うのです。
わたしは、イギリスの『EU離脱判断』に驚いた理由、この『甘い判断』に驚いたのは、そういった理由があります。少なくとも、挿絵画家J.J.グランヴィルと同じレベルの眼があれば、見間違うことはなかった。