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中川輝光の眼

アトリエから見えてくる情景
paraparaart.com ArtDirector

これでいいのか『九谷焼』

2015-03-29 | 文化を考える

これでいいのか『九谷焼』

ウルトラマンや怪獣の「九谷焼」に、はたして意味や未来があるのだろうか。はやりの「B級グルメ」の伝統工芸版なのか、それにしても、このような貧しい発想には呆れてしまいます。

美術品としての「九谷焼」は、作家たちの創作力が支えています。九谷焼独自の絵付け職人は、個々の技術により繊細な彩色美を創り出しています。作家であれ職人であれ、手業が伴う商品には、それ相応の価値があります。買う側の思いも加わり、伝統産業としての『九谷焼』は発展してきました。

ウルトラマンや怪獣に絵付けをすることの意味がわからない、壺や皿に絵付けをするのと変わらないと答える人がいるとすれば、教えていただきたい。これらをどのような人が、どのような気持ちで買うのか・・・。これらはもはや、子どもの玩具ではありません、ウルトラマンや怪獣の姿をした『焼き物(飾り)』です。これらの制作に関わった「絵付け職人」に、はたして「未来(可能性)」はあるのか・・・。

作家や職人の美意識が高揚している地域にのみ、優れた伝統産業が維持され発展するのです。このような「B級グルメ」のような発想に縋っては、ほんらいの『九谷焼』の美しい姿は早晩消えてしまいます。

 


芥川龍之介 河童の佇まい

2015-03-28 | 文化を考える

芥川龍之介 河童の佇まい

わたしの最も近い書棚(すぐに手にできる場所)に、芥川龍之介全集が置かれています。この全集は、昭和二年に岩波書店から発刊されています。同年七月二四日が、芥川龍之介の命日(自殺)ですから、編集作業は生前から既に進められていたのかも知れません。

 

 久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記」の中では自殺の手段や場所について具体的に書かれ、「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた」とあります。死の前日、芥川は室生犀星を訪ねています。しかし、犀星は留守でした。犀星は、「もし私が外出しなかったら、芥川君の話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また直前に、「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひびきすなはち見ゆる禿の頭」と書き残しています。この「禿の頭」、言うまでもなく「河童」のことです。「人間社会(実社会)」と、芥川が創り出した「架空(河童)の社会)」を行き来しているうちに、次第に見分けがつかないまでに『(追い込まれて)逃避』してしまったのかも知れません。芥川龍之介の「河童」には、どうにもならない苦悩と悲哀が見て取れます。

掲載したのは、小穴隆一のスケッチです。


『表現の自由』と『暴力』

2015-01-19 | 文化を考える

パリでの事件は、『表現の自由』と『暴力』をテーマに世界各国で論議され、いくつかの課題(EU存続・危機など)とともに波及拡大しています。イソップ物語やラ・フォンテーヌの『寓話』、そこに描かれた挿絵を例にするまでもなく、ヨーロッパの人々には、自由・友愛を守り抜く精神と懐疑・批判の精神が合い混ぜの気質が宿っています。様々な垣根を越えて、ヨーロッパが一つにまとまる努力をしてきたのも、そういった『理念(永続できる平和な生活)』の集積だと思います。わたしたちも、こういった『毅然とした姿勢』を見習いたいものです。


曳山交流館「みよっさ」の外壁にアニメーションを投影する

2013-11-22 | 文化を考える

曳山交流館「みよっさ」の外壁にアニメーションを投影する

12月7日(土)17時から20時、曳山交流館「みよっさ」の外壁にアニメーションを投影することになりました。

12月は、どこもかしこもクリスマス気分です。小松駅前からアーケード商店街までの通り(れんが通り)も、イルミネーションで美しく飾られます。わたしたちparaparaart.comも、アニメーション投影で街のイベントに協力することにしました。paraparaart.comの事務所兼古書店「月映書房」から近いこともあり、曳山交流館「みよっさ」の外壁にアニメーションを投影することにしたのです。テレビ画面を大きくしたような、しかも平らで格好の壁面(2013年5月に完成した施設)は、プロジェクターで投影しても映像が歪むことはない。小松の町衆の心意気を形にした施設でもあり、この場所にアニメを投影することは無意味ではない。

周辺にテーブルや椅子を設置するらしい、ありがたいのですが、12月は寒く、座って観る環境にはありません。歩きながら観て楽しめるように、ストリーのあるアニメは場面ごとに短く編集することにしました。できるだけ多くの人に観てもらうことが、わたしたちの喜びです。

わたしたちparaparaart.comは、3DCGアニメーションを制作しています。テレビコマーシャルでもWebコマーシャルでも、まだ実写(タレントを使ったコマーシャル)が主流です。アニメーションを使った方がより効果があると思うのですが、まだ理解が得られていないのが実情です。このような機会に、多くの企業人のみなさんにも理解してもらえたらありがたいのです。

 


ジークレイプリントの美しさに印刷技術の進歩を再確認する

2013-11-19 | 文化を考える

ジークレイプリントの美しさに印刷技術の進歩を再確認する

最近のことですが、京都の寺院を訪れて気づくことがあります。寺院内部の襖絵や屏風絵が、精巧な印刷に変わってきています。京都には、重文や国宝クラスの作品も多く、手で触れられる場所に日常置かれているのはどうかなといった心配をしていましたが、これほど精巧な印刷ならばと納得いたしました。これらの襖絵や屏風絵を、美術品として宝物館や博物館に収めるのであれば、優秀な現存作家に新たな絵を描いてもらうことも選択肢になるのでは、というのがわたしの考えでした。実際そのようにしたところもありましたが、このような「限りなく実物に近い印刷」可能であれば、寺院内部の雰囲気を変えることなく、当時の襖絵や屏風絵を「美術品」として保管できます。わたしが言うこの「精巧な印刷技術」が、ジークレイプリントです。

そのジークレイプリントで印刷された作品が、月映書房に並んでいます。アメリカで印刷されたものですが、細部に至るまで精細に再現されています。レオナルドダビンチやボッシュなどルネサンス作品にこの印刷が有効かも知れないと思っていましたが、昨日入ってきたルドンの作品を見たときに、その認識を遙かに超える美しさに唖然としました。ジークレイプリントは、色彩や描画材料を再現するに最も適した印刷技法です。


国内の書店数は この15年間で8000店以上も減った?

2013-11-11 | 文化を考える

国内の書店数は この15年間で8000店以上も減った?

神戸市の老舗書店「海文堂書店」が閉店し、ファンが別れを惜しんだ。日本著者販促センターの調査によると、2013年5月時点での国内の書店数は1万4241店。1999年には2万2296店だったから、この15年間で8000店以上も減ったことになる。

リアル書店低迷の原因として「ネット書店の台頭」を指摘する声は多い。最大手のアマゾンは、2012年の日本国内の売上だけで7300億円超だ(米アマゾン本社の年間報告書より)。仮に4割が書籍・雑誌の売上だとしても2190億円にも上り、上位数社分を占める。ネット書店の方が利用者にとってメリットが多い限り、書店不況の原因は自らの改善努力不足によるものと言っていいだろう。

もうひとつの根深い問題が、リアル書店や出版業界自体が長年抱えている構造的な「流通制度」である。書籍・雑誌は「出版社→取次会社(卸業者)→書店」のルートを経て読者の手元に届く。取次会社が店舗規模や過去のデータ、地域特性などを考慮し、どの書店にどの本をどれくらい「配本」するかを決めるのだ。

国内の書店数が、この15年間で8000店以上も減ったらしい。「8000店以上」という数値に実感が伴わないまでも周辺の小さな本屋さんが減ってきていることは、実感として理解できます。わたしたちが古書店をネットで運営し始めて3年目(リアル店舗としては4ヶ月あまり)になります。街の書店・古書店にとって、言うまでもないことですが、アマゾンやbookoffの存在は脅威に違いないのです。しかしながら、わたしの眼には、活字文化をとりまく状況変化の大きさが要因として映ります。伝達文化の推移(流れ)は急速にデジタル化され、時空間を超え、漂いながら、その落ち着く先が未だ見えてこない、これがすべての要因に思えます。指先に触れる感触の希薄さ、微妙な情緒を感じ取れなくなった時代に、書物ほんらいの行き先も定まらない。このように嘆いていても仕方がない、あらゆる文化を遺すことが難しいとすれば、その選択肢をできるだけ間違えないようにする、それ以外にないのです。


「日展」 篆刻の審査事情「会派別入選数厳守の指示」

2013-11-02 | 文化を考える

「日展」 篆刻の審査事情「会派別入選数厳守の指示」

国内最大の公募美術展「日展」で、入選作品の数を事前に有力会派に割り振っていた疑いが出ている問題で、日展は、今年度は大臣賞などの選考を自粛することを決めた。

 この問題は、2009年度の日展で「篆刻」の入選作品の数を審査が行われる前に有力会派に割り振っていたと、当時の審査員が指摘しているもの。当時の篆刻の審査員は、入選作が発表される前に有力会派の幹部に手紙を送り、「顧問より、昨年度の会派別入選数厳守の指示が伝達され、これに従った決定となった」などと説明していた。これについて日展は先月31日の記者会見で「大変驚いている」とした上で、外部の有識者を含めた調査委員会を設置して調査を始めた。また、「指示をした」と指摘された顧問は先月31日、騒動を起こしたことへの責任を取り、日展を退会する意向を示した。

「篆刻部門だけではない」、少なくとも美術系の大学を出ている者にとっては、周知の事実です。絵画・彫塑・工芸など、すべてに師弟関係(コネ)が存在しています。特選(大臣賞など)の選考にも特定会派による「たらいまわし」が常識になっています。わたしもそうでしたが、大学在学中(画学生)の悩身の多くは、「師弟関係を離脱して将来を明確に描けるか」でした。とはいうものの、自立しないで優れた絵は描けないのも事実です。25人の同期生(油専攻)の多くは、日展には同調しなかった。ふりかえると、それぞれの道で「困難を極める」ことになりましたが・・・。こういうのを「画壇」と言うのですが、こういった組織による「しめつけ」が、美術界だけでなく、音楽や文学の世界にも見られます。日本特有の文化構造かもしれないと思っていましたが、個人意識の強いヨーロッパにも散見されたのには、少なからず驚きでした、困ったことです。言うまでもないことですが、こういった環境では若い人の感性が育たないのです。

 


能島芳史さんの講演を聴く

2013-10-20 | 文化を考える

能島芳史さんの講演を聴く

11月17日(日)まで、石川県立美術館(金沢)で能島芳史さんの展覧会が開催されています。能島芳史さんは、金沢美大の油絵専攻の同期です。卒業と同時に、二人とも地元の美術教師になるのですが、これも同じく1年あまりで辞めています。しばらくして、能島芳史さんはベルギーへ、わたしはイタリアへ、これから以降は歩む道はかなり違うのですが、そのことを知ったのは数年前のことです。画家になりたくて美大に入ったのですから、卒業以降の相応の苦労は覚悟しているのですが、やはり困難を極めることもふりかえれば数多くあるものです。

能島芳史さんの展覧会会期中の講演が1時30分から同館内であり、わたしは彼の作品のイメージを想起しながら聴いていました。彼がそれとなくこちらを見るたびに、わたしはうなずいていたのです(聴いてる人がうなずいてくれると話しやすいのです)。ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch(1450?~1516)の絵に魅せられ、その本質に限りなく近づこうとした、彼の執念が伝わってくる、能弁な講演でした。幻想的で悪魔的イメージにみちた、ヒエロニムス・ボス(特異な画風で知られる)が能島芳史さんと一体化している、そういった錯覚すら覚える講演内容でした。ステージから降りた彼と握手をしたのですが、しばし放心状態か・・・能島芳史さん、ほんとうに御苦労様でした。


ミケランジェロの素描(デッサン)がこれほど美しいとは

2013-10-03 | 文化を考える
わたしも最初に見たときには驚きました。
ミケランジェロの素描(デッサン)がこれほど美しいとは、精細な印刷で三巻に収められたその量にも素直に驚いたのです。
即購入したいのですが、高価(3巻で285000円)でもあり、若いわたしにはとうてい用意できない金額でした。それに、「300部限定」というのも気になっていたのです。
このときは、購入を見送ることにしました。
 
しばらくして、講談社から普及版が出ました。
四巻で、内容は見劣りするものではありませんでしたが、全巻揃えることはかなりの負担でした。しかしながら、この本から学んだことは多く、わたしには「描画に対する眼」を得たような心持ちでした。言うまでもなく、ミケランジェロの素描がこれほど身近に見られるのは、画集を介する以外になく、その微細な線の動きは情感さえも感じさせてくれます。
 
わたしは後に、「特装版三巻揃」も手に入れることになります。
古書市場になかなか出てこなかった、こういった本は一度逃してしまうと二度と手に入らないとよく言われます。ためらった本でもあり、懐かしくもあり、複雑な気持ちで「手にした」ものです。
 
70年代、80年代は、新刊市場にも古書市場にも美しい画集や美術書が多く並んでいました。本好きのわたしにとって、この頃が一番楽しい時期でした。
あのように「美しい本」が、これからも出版されるだろうか・・・。

「テトラスクロール」が売れた

2013-09-10 | 文化を考える

「テトラスクロール」、アメリカ・マサチューセッツ州出身のバックミンスター・フラーが書いた不思議な本のタイトルです。魅力あふれる幾何学的謎を解く鍵、そのキーワードは「三角形」です、わたしがコメントを書くとすればこのように書いたかもしれない。わたしの古書店「月映書房」、書棚の奥の方に目立たぬように並べてあったこの本、売れることはないだろうと思っていた本、昨日売れたのです。定価2800円のこの本は、古書市場では5000円前後、うちの店では2200円でした(定価を超えて値をつけるのは難しいものです)。こういった本の価値は、金額ではありませんが、「お客さんいい買い物をしましたね」と言いたい。

わたしは、数学が好きです。幾何学には、パズルを解く時のような快感すら覚えます。バックミンスター・フラーには、数学者という一面だけでなく、思想家・構造家・建築家など様々な顔を持っています。ダイマクション三輪自動車、ジオデシックドームや立体トラスといった時代を先駆ける構造提案も数多く、「宇宙船地球号」の概念は日本でも広く知られています。「デザインサイエンス革命」を提唱し、予想しうる地球規模の課題解決に一石を投じました。このような地球的な視点を持った数学者の本には、一風変わった魅力があるものです。

このような優れた本は、できるだけ多くの人に読んでいただきたい。