先日、「本県内陸部を中心に甚大な被害をもたらした羽越水害から50年の節目を迎え、4人が犠牲になった米沢市芳泉町の最上川に架かる松川新大橋で3日、慰霊祭が行われた。」と、TVニュースに流れた。その話題については、前回4日のブログに掲載しています。
羽越水害については。国土交通省の関係機関や、山形・新潟両県のホームページ、各自治体のでもいろいろと取り上げられています。
最初の2枚の写真と記事は、国土交通省山形河川国道事務所の特集記事のほんの一部分です。
その後に、ウィキペディア記事を詳細に亘って掲載してます。
忘れない、水害への備え ~ 羽越水害から50年 ~
URL → http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/uetsu50/
羽越水害とは・・・
降り続く激しい雨 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和42年(1967年)8月28日未明、東西に延びる前線は東北地方南部から北陸地方能登半島の北を通り、日本海中部に停滞していた低気圧に達して、いわゆる梅雨末期の気圧配置となり、低気圧が東に進むにつれ、前線は北上し、その活動が活発になりました。このため、28日早朝から降り出した山形県中南部の雨は、前線の動きにつれ、28日夕刻から29日未明にかけて激しさを増し、飯豊・朝日山系を中心とする西置賜地方では未曾有(みぞう)の集中豪雨となりました。
堤防を越える濁流(白鷹町鮎貝) |
氾濫の爪跡(川西町上小松) |
家を失った住民(大江町左沢) |
羽越水害による被害 ※[山形県内のみの集計です。]
死者 | 8人 |
負傷者 | 137人 |
流出家屋 | 192戸 |
床上浸水 | 4,120戸 |
床下浸水 | 10,149戸 |
農地などの浸水 | 14,147ha(東京ディズニーランド&東京ディズニーシー約82コ分) 農地などの洪水180ha |
山形県河川国道事務所の特集記事の中から、一部写真を借用しています。詳細については、上のURLをクリック!。
ところで今回は、羽越水害の全体像を、ウィキペディア記事から抜粋し、掲載することにしました。山形県人としては、どうしても県内の事だけに関心が向けられがちだが、新潟県側の方がさらに大きな被害(水害犠牲者などの人的被害においては約10倍)を受けていたことに、今回気付かされた。
私も60年以上生きて来て、50年前の水害を上回るような被害の経験がない。3年前南陽市で大きな水害があり、赤湯の市街地が浸水した様子や、ぶどう農園のがけ崩れなどが全国ニュースに流れたが、50年前の比ではない。
今年7月九州北部豪雨が発生し甚大な被害をもたらした。50年前の羽越水害も、正にあのような被害だった様な気がする。
※ 参考までに、3年前の水害の記事の抜粋を以下に掲載しました。タイトルをクリックすると全文をご覧いただけます。
大雨の被害の跡~南陽市赤湯・宮内・漆山~ 2014-07-19 15:33:07 | ニュース
今日から3連休、朝から昼過ぎまで雨が降り続いていたが、ようやく2時過ぎに太陽が顔を出した。去る7月8日~10日にかけて、台風8号の影響で山形県南部に大雨が降り、洪水や土砂崩れなど大きな被害をもたらした。特に、南陽市・長井市・白鷹町が酷かった。織機川(おりはたがわ)の氾濫で、長井赤湯間をバス代行をしていたフラワー長井線も、予定より2日前倒しで、明日20日から通常運転に戻るらしい。 ※ 地図はやまがたニュースオンラインから借用
きのう18日の午前中、約2時間半のドライブをした。赤湯の浸水した市街地には、まだあちこちに土嚢が積んであった。消毒の白い粉が至る所に撒かれていた。
米沢から最初に、国道13号線経由で鳥上げ坂⇒引き返して、赤湯市街地⇒吉野橋(通行止め)河岸の土砂えぐり取られていた⇒迂回してハイジアパーク方面⇒川樋へ向かう峠(白竜湖の絶景ポイント)⇒引き返して市民体育館⇒赤湯自動車学校⇒宮内市街⇒(旧道)⇒漆山の夕鶴の里資料館⇒織機川上流300m(全面通行止め)道路に流木や土砂の残骸有⇒引き返して(県道3号線)川西町下田橋経由⇒米沢。
↓ 羽越水害関連の集中豪雨被害のあった流域(現在の地図)
新潟県北部の下越地方と山形県南部の置賜地方
ウィキペディア記事 羽越豪雨 (羽越水害) 記事の一部を抜粋しているので、全部を見るにはURLをクリック!
URL → https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E8%B6%8A%E8%B1%AA%E9%9B%A8
羽越豪雨(うえつごうう)とは、1967年(昭和42年)8月26日から8月29日にかけて発生した集中豪雨である。羽越水害とも呼ばれる。
「羽越」という名称が付けられた通り、主に山形県と新潟県下越地方を中心に被害が発生。死者104名を出す大きな被害をもたらし、激甚災害に指定されたが気象庁では「顕著な災害」として扱っていない。この災害を契機に荒川、胎内川、最上川などの治水計画が見直されるきっかけとなった
気象概況[編集]
8月26日頃の気圧配置は、日本海から東西に延びる前線が東北地方の南部から石川県能登半島北部に停滞していた。すなわち集中豪雨をひき起こしやすい梅雨末期の状況であったが、ここに南から暖かく湿った空気が前線に流れ込み、結果として前線を刺激して豪雨を降らせることになった。
特に山形県南部から新潟県北部にかけての地域、飯豊山系を中心に記録的な豪雨が降り注ぎ、この地域を水源とする最上川、三面川(みおもてがわ)、荒川、胎内川、加治川に過去最悪の水害をもたらすことになった。
被害[編集]
この豪雨による被害は、新潟県・山形県において当時戦後最悪となる被害であった。しかし、被害の全容については報告されているものに多少のばらつきが見られている。気象庁は自治省消防庁が発表した消防白書に基づく被害内容を採用している。この消防白書の報告では気象庁が命名を行う「顕著な災害」の基準、全壊家屋1,000棟以上、浸水家屋10,000棟以上の基準に達していない。このために「顕著な災害」の基準からは外れているが、新潟県や山形県の公表では何れの基準も超えている。
- 消防白書発表:死者83名、行方不明者55名、住宅全壊449棟、住宅半壊408棟。
- 新潟県発表:死者96名、行方不明者38名、住宅全壊1,080棟、住宅半壊2,067棟、床上浸水16,422棟、床下浸水45,066棟。
- NHK資料:死者146名、全半壊2,594戸、床上・床下浸水69,424戸。
この他各報告により被害状況が食い違っているのが現状である。ここでは新潟県と山形県の最新情報を合算した形での被害状況を掲載する。
新潟県[編集]
被害の大部分は新潟県下越地方である村上市、新発田市、岩船郡、北蒲原郡などに集中した。また前年の1966年(昭和41年)7月17日にも集中豪雨(下越水害)があって被害が復旧しきれていない段階で再度集中豪雨が降り注いだことにより、被害がさらに拡大した。
特に被害が甚大だったのは荒川流域である。この地域では岩船郡関川村で降水量が30時間で約700ミリという猛烈な豪雨となった。このため村内を流れる荒川とその支流である大石川が氾濫(はんらん)して堤防が各地で決壊。町内は泥水と上流から流れてきた岩石によって埋め尽くされた。これにより関川村内だけで死者34名、家屋の全半壊371棟となり、被害総額は177億円と当時の村予算(約3億円)の60倍となる莫大なものであった。また荒川に建設された荒川水力電気の岩船発電所も、豪雨による浸水で発電設備などが損傷する被害を受けた。ただし取水口である岩船ダム自体には重大な影響はなかった。
胎内川流域では上流の新潟県企業局・胎内第一ダムで一日総降水量が645ミリ、同胎内第一発電所で542ミリを記録。北蒲原郡中条町と黒川村(いずれも現在の胎内市)では胎内川中流部の赤川と下流部の熱田坂で堤防が決壊、家屋の浸水が2,170戸、農地などの浸水が2,330ヘクタールに及んだ。また三面川流域では上流部で二日間に391.5ミリの豪雨を記録、下流の村上市では浸水被害は拡大。加治川流域では東北電力・加治川ダムで一日に496ミリを記録したのを始め各所で300ミリ以上の豪雨を記録。これにより前年の集中豪雨で決壊した新発田市西名柄地区と加治川村(現在の新発田市)向中条で堤防が再度決壊し、支流の姫田川や坂井川も決壊して新発田市は二年連続で大きな被害を受けた。笹神村では休暇中であった地元選出の参議院議員佐藤芳男が地滑りに巻き込まれて死去している。阿賀野川水系では福島潟が増水して周辺の地域に浸水被害を出し、佐渡では国府川が決壊して浸水被害を与えた。
下越地方では主要な河川である阿賀野川、加治川、胎内川、荒川、三面川の全てが氾濫し周辺の地域は浸水したが、その範囲は三面川南岸から阿賀野川北岸の低地一帯の大半を巻き込み、この地域はさながら新たな湖が誕生したかの様態であった。このため主要な交通機関である国道7号、国道49号、国道113号や国鉄羽越本線、米坂線が浸水やがけ崩れによって寸断され、米坂線は復旧まで89日間を費やすなど地域の交通インフラが大きなダメージを受けた。新潟県の被害総額は現在の貨幣価値に換算すれば約3,338億円という極めて莫大な損害額であった。
山形県[編集]
山形県では特に県南部の置賜(おきたま)地域に被害が集中した。県内の被害は死者8人、負傷者137人、家屋損壊167戸、床上浸水10,818戸、床下浸水11,016戸、農地浸水面積13,180ヘクタールであり、被害総額は推定で226億3,800万円であった。これは現在の貨幣価値に換算するとおよそ661億1,000万円という莫大な損害である。
特に被害が大きかった西置賜郡小国町では荒川やその支流である横川が氾濫し町内に浸水被害をもたらしたほか、山間部ではがけ崩れや土石流などの土砂災害が多発した。このため町内の越戸地区では集落の18世帯全てが復旧を諦めて集団離村するなどの影響が出た。また当時東芝電興が所有していた赤芝発電所が濁流によって浸水し発電設備が損傷する被害を受け、小国町の主要産業である東芝電興小国製造所(現在はコバレントマテリアル所有)の操業にも影響を与えた。小国町での被災総額は約78億円と、村予算の20年分が一夜にして吹き飛んだ計算となる。
また最上川水系では置賜白川や置賜野川、寒河江川などが氾濫。これらが合流した最上川も白鷹町で堤防を洪水が越流し、米沢市、長井市などの置賜地方だけではなく寒河江市などの村山地方でも浸水被害が発生した。特に置賜地方では土石流や流倒木が下流に押し寄せて橋梁の流失などが相次ぎ、被害を拡大させた。
前回掲載の記事 羽越水害から50年(1); 米沢で初の慰霊祭
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