My Life After MIT Sloan

組織と個人のグローバル化から、イノベーション、起業家育成、技術経営まで。

じゃあ中高の英語教育をどう変えるべきか考えてみる

2010-03-28 16:46:22 | 6. 英語論・英語学習

前回の記事「日本の中高の英語教育がマイナスにしかならない件について」は、すごい反響でした。
コメント欄、Twitterともに反響や情報をくれた人は有難う。
ブログってメディアは、みんながコメント書くことで、全体として考えるネタを提供する「集合知」のひとつだと思ってるから、何にせよ参考になります。

さて、私の唯一の反省は、
現場で英語の授業改善を頑張ってる先生方がこれを読んでどう思うか、を余り考えずに書いたこと。

私は「問題がある側も頑張ってるはずなので、出来ないのは何か別の理由があるはずだ」というスタンスだ。
このブログでも、常に問題のある側にも共感し、建設的な問題解決を示していく、というやり方を取っている。
以前の記事でも書いたけど共感がなければ、本当の問題にたどり着かないので、問題は解けない

それが、この記事ではそのスタンスを破って、学校の英語の先生を浅く批判してる部分が多かった。
意識の高い先生方から見れば「そんなの言われなくても分かってるよ!」って感じであっただろう。
そこだけは大変申し訳なかったと思っている。

「日本人が英語が出来ない」理由は、中高の英語教育のためだけではない。
ただし他の部分は解決するのは難しく、中高の英語教育を変えていくのが、一番やりやすく効果的な解だと思っている。

簡単に中高の英語教育以外の他の理由も見てみよう。

1. 日本語は英語と全く文法構造が異なる言語である

しかし、こればかりは言ってもどうしようもないし、韓国などを見るとこれを言い訳には出来ない。
韓国語は日本語と非常に言語構造の似た言語であるが、
彼等の中のエリートと呼ばれる人たちは、日本人ほど英語が出来ない人は余りいない。
これはむしろ、次の2、3の理由によるものだと思う。

2. 日本語とは、大学院の専門教育ですら英語を必要としないような、成熟した優れた言語である

日本語は非常に成熟した言語だ。
大学院の社会学、経済学、物理学、化学などといった専門的な分野ですら、日本語で議論が可能なほど、
専門的な概念すら、日本語が存在する。
結果として、英語が出来なくても、各分野でそこそこのレベルまで勉強することは可能だ。

一方、韓国などでは大学レベルからは英語の教科書で英語で議論するのは一般的らしい。
東南アジア各国も同様。

では日本はどうするか?
「高校からサイエンスを中心として、英語でやればいいのでは」という人がいるが、私は賛成できない。

「ものを深くじっくりと、突き詰めて考える能力」も教育の大切な目的だ。
しかし高校生だと、母国語の日本語でさえ、「深く考える」ことが出来てないだろう

それを考えると、まずは母国語でしっかりものを考える習慣を高校までに付けさせるのは大切だと思う。

同じ理由で、小学生に英語を教えるのは良いが、母国語でモノを考えさせる時間を減らすのには反対である。
(よって英語を増やすために授業の時間数を増やすのは良い)

大学辺りからの専門教育を、もっと英語でやる、という方法はあるかもしれない。
ただし、それまでに日本語で「深くものを考える」習慣が付けられていることが条件だ。
それが出来ていれば、英語でも深くモノを考えることは訓練次第で出来るようになる。

3. 日本では、英語が話せることや留学などが必ずしも立身出世につながらない。
  受験英語を制覇して、いい大学に入る方が、個人レベルでは正しい戦略となっている。

  (モチベーションの問題)

再度、おとなり韓国を見ると、この国は、留学することがサイエンスでもビジネスでも出世の条件になる。
従って、教育熱心な親たちは、子供を留学させるべく、必死に教育する。
留学の条件は、英語圏でも問題なく読め、聞け、話せ、書けることなので(まさにTOEFL)、そういう子供たちが育つ。
結果として留学しなかったとしても、サイエンスやビジネスのエリートが、英語が話せるようになるのはこのためだ。

しかし、これって「社会に変われ」と言ってる訳で、これを変えるのは中々難しい。
(これがすぐできるなら、起業家の問題だってすぐに解決するわけで)

4. ローマ字とカタカナ表記、和製英語などの問題

ごもっともだが、和製英語を禁止できるとも思わないし、全ての英単語を英語表記したからって問題が解決するとも思えない。

 

さて、こうやって見ていくと中学高校の英語教育と、大学受験のあり方を変えていくほうが、
ずっと問題を解決しやすいのではないか、と思うのだ。
では、どう変えるか。

まず私は今の英語教育の問題点は、
1. 和訳中心教育のため、英語でモノを読み(聞き)、英語で考える習慣がいつまでも身につかない。
   その結果、英語で聞いて話す、ということにものすごい苦労する
2. 全体として、インプットの量が圧倒的に少なくて、語彙も少なく、正しい英語の言い回しなどが感覚的に身について無い。
  結果としてアウトプットが出来ない。
  少ないインプットで、アウトプットを出させようとするから「英語構文」などの弊害が出る。
3. (受験英語でなく)コミュニケーションの道具としての英語をやるモチベーションが沸かない

の3つだと思っている。(発音については前記事コメでも揉めてるので、後で別途記事にしたい)
ここから出てくる解決法はつぎの3つ。

1. 和訳はやめる。「英語で読む・聞く→理解度を確認する」を繰りかえす。小学校の国語と一緒。
  何度も言うように、和訳中心の教育は、英語を速く読み、英語で考えることの妨げにしかならない。
  初歩の英語だけは和訳でも良いのでは、という方もいるが、一度その癖がついてしまうと、なかなか戻すのは大変なのだ。

  学校の先生には、生徒の理解度を確認するのに和訳はいい方法だ、という方もいるだろう。
  しかし、本当に逐語訳レベルで理解度を確認する必要があるだろうか?同時通訳じゃないのだ。
  小学校の国語を考えてみればよいと思うが、他の方法で理解度を確認していたと思うし、
  その理解度で文章を読むには十分なのだ。
  それと同じことが出来ないか、と思うがどうだろう?

2. 和訳をやめるかわりに、リーディング、リスニングなどインプットの量を現在より増やす
  
全ての言語が上達するには(日本語も)、インプットをある閾値以上に増やすしかないが、
  現在の中高の英語はそれに達して無いと私は思う。 

  逆に言うと、インプットが足りて無いのに、アウトプットを出させようとするから
   「英語構文丸暗記」のようなことが起こるのだと思っている。
   暗記の効用は私も認めるが、基本的な文法や言い回しは、丸暗記しなくても自然に思えるほど、
  身につくくらいに、インプットが必要だと思っている。

   賛否両論あると思うが、私は日本語の小学校の国語は非常に優れていると思っていて、
  その一番の理由は、大量に読む、ということだと思っている。
   その結果、日本人は世界で最も本を読む人種に育っている。(確か一人当たりの本の消費量が世界で最大)
  そして、日本語でしっかり考えることが出来るのだ。
  日本人が英語が下手なのは、日本語でしっかり考えることに、日本人が慣れてるから、と言えるからかも知れないのだ。

  だったら、英語も同じような状態に持っていけばよい、と思うのだ。
  せめて、高校を卒業するときには、アメリカの中学の子が考えられるくらいのこと、考えられるようになりたいと思いませんか?
   そうしたらその程度のインプットが必要ってことですよ。
   それからのアウトプット。
   インプットなくしてのアウトプットは無いと思っている。

3. ネイティブによる少人数英会話を取り入れた、今の中高の教育は続けていくべし
  これは、正しい英語発音や表現を覚える、というのもあるが、
  英語を学ぶモチベーションを高めるのに大切だと思うからだ。

  すでにやられてると思うけど、生の英語の教材への活用も、モチベーションを上げるのに役立つよね。
  例えばオリンピックやってたら、浅田真央は世界でどういう報道のされ方されてるのかとか。
  上に書いたように、日本語が優れていて、ほとんどのものが日本語で手に入るので難しいのだが、
  英語でしか手に入らない、面白い情報があることを中学、高校のうちから教えておきたい。

くらいしか今の私には思いつかないのであるが、基本的には
今の英語教育の何が問題か→それを解決するにはどうすればよいか、で考えていきたい。
提案募集中。

さて、もうひとつ影響が大きいと思われる、大学受験のあり方については考え中。

大学受験をTOEFL的にするのは一案だが、結局「英語しか出来ない」人が受かることを恐れて、
良い大学からこの方式を辞退していくことになりかねないのは問題。
日本では今のところ、「英語が出来る人」と「モノを深くじっくり考えることが出来る、大学が欲しいエリート」が重ならないのだ。
ヨーロッパなどと違って。

あるいは、大学受験から英語をなくす、というのも極論だがひとつありえる。
これで中高の英語が、受験英語から開放されるから。

以上。
考えるための参考になれば幸い。

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42 Comments

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Unknown (another node)
2010-03-28 17:46:07
今の問題
とにかく英語ができない、しゃべれない(6年間はなんだったのか)。

解決方法
①英語を必修科目から選択科目にする。
②日本人教師は文法教育に徹する。
③文法以外の部分(リーディング、リスニング、スピーキング、ライティング)はパソコンを全面的に使用する。選択科目なので、それにかかる予算は大幅に削減できる。

期待される結果
やる気のある生徒だけテストを受けるため、平均点が上がる。そして、そうした「集中教育」を受けた人間が増えることで、日本の対外発言力が高まる。
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幾つかの英語教育 (QQQ)
2010-03-28 18:16:36
「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」という本を読んでるとき、エリートというか、この国を将来背負ってたつべきグループと一般大衆と区別して英語教育を考えないと駄目じゃないかといったことが書いてあったような気がします。外国政府(あるいは会社)との交渉で日本に有利に物事を進めるだけのコミュニケーション能力を要求される立場にたつべき優秀な人材には英語教育に限らず現在の日本の教育は不都合にできているように思います。
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Unknown (韓国ラーメン)
2010-03-28 18:30:08
日本語ってすばらしいんですね。ためになりました、ありがとうございます。ただ、日本語やってても「深く考えさせる教育」というあらたな問題も付きまとって世の中問題ばかりです。ま、それも楽しいのかな。それにしても受験といい英語といいそこまで韓国人をその気にさせるものってなんなんでしょう。今じゃ旦那さんおいてお母様と小さいときからフィリピンに住んじゃいますもんね?そういったパッションがサムスン、LGや現代のビジネスにも現れるのかな。「辛」も時々食べるとおいしいし(これは関係ないか。。。)
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日本の英語教育 (johjohjoh)
2010-03-28 19:07:53
日本における英語学習の方法を変えるには、大学受験を変える必要があるとわたしも思います。いまの大学受験では英語を読むことと聞くことがかなり重視されています。これでは自分でいいたいことを英語でいえませんよね。
また、日本では日本語だけで生活できるから英語を学ぶモチベーションが低いのはごもっともだと思います。それだけ、日本語はすごい言語だということなんでしょうね。

おもしろかったのでポチしておきましたよ!
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英語試験 (S)
2010-03-28 19:33:17
> 大学受験をTOEFL的にするのは一案だが、結局「英語しか出来ない」人が受かることを恐れて、
> 良い大学からこの方式を辞退していくことになりかねないのは問題。

それは、英語1科目受験にするという意味ですか?
良い大学では、そんなところは少ないでしょう。
英語の試験は英語の能力を見て、他の科目の試験で
他の能力を見ればいいと思います。
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ごもっともですが。 (高校教師)
2010-03-28 19:57:00
初めてコメントします。高校で英語教師をしているものです。
ビジネスネタについては全く疎いので、こちらのブログを読みながら「へー」「ほー」と勉強させていただいています。

日本の英語教育についてのご意見、ごもっともです。私自身、英語教師としての使命と責任は感じていますし、英語教育に対する批判については、それを担う一員として胸を痛めながらも真摯に受け止めています。多くの現場の英語教師は、現状の課題や問題点を認識し、改善のために様々な実践を行っています。(そうでない方ももちろんいますが。)

日本の英語教育は変えなければいけない、というのは大前提として、あえて書きます。

日本は公教育が発達した国です。学習指導要領や検定教科書により、一人の教員が複数教科を教えざるを得ない僻地でも、(理論的には)都会と同じ教育が受けられます。しかし英語学習には強烈なモチベーションが必要なのが事実。一生地方で暮らす田舎の商店のおじさんに、アメリカのMBAに行くような優秀なビジネスマンと同じような英語へのモチベーションを求めても仕方ないでしょう。人生の目的が違うのですから。現在、定時制の高校で英語を教える身としては、平仮名と片仮名を間違える子たちに、普通校の大学受験をするような子と同レベルの英語を目指させることにも限界を感じます。公教育に万能な英語教育を求めるよりも、私立校や大学で英語エリートを養成した方がよっぽど手っ取り早いボトムアップになるのではないでしょうか。(他国のTOEFL平均スコアが高いのは、教育格差が大きいからでは?)

むしろLilacさんには、英語エリート養成のためのビジネスモデルを考えてもらう方が面白い気がします。私としては、日本にこれだけ英会話学校とか、英語教材があふれており、それなりにモチベーションを持った人たちが英語を勉強しているはずなのに、TOEFLの平均点が低い、ということの方が不思議です。もちろん学校教育が原因の大部分を占めますが、英語ビジネスについてはイノベーションの可能性がありそうですが、いかがでしょう?長文失礼しました。
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Unknown (Axl)
2010-03-28 20:00:03
いつも楽しく拝見しております。

議論のベースを提示し、自ら叩かれ台になるという役回りは結構きつい時もあるかと存じますが、コメント欄でのやりとり含め大変勉強になります。有難うございます。これからも末永く継続を希望します!!がんばってください。

一点よくわからないのが、韓国や中国の高卒時の英語のレベルと、日本の高卒時の英語のレベルに大きな違いが本当にあるのでしょうか?
あるとすればやはり日本の中高の英語教育を変える必要があると思いますし、遜色ないのであれば問題はそれ以降(大学以降)にあると考えます。

どなたかが書かれていましたが、中高におけるNetでの英語授業時間を考えると英語の基礎力をつけるための文法とリーディングの時間以外に、口語的なIn-Outを濃密に実施できる時間は時間制約上、なかなかとりにくいかもしれません。
また、いくら中高での座学を改善しても限界があると思います。何故ならばIn-Outの頻度を高速に回すためには、中高の1対多という授業形態だと限界があると考えるためです。

私の定性的な感覚で申し訳ないのですが、中高のカリキュラムを大胆に変更するのはちょっとリスクがあることも否めないため、時間に余裕のある大学の4年間での英語の使い方・触れ方を改革する方が現実的なのでは・・と思いました。入試時点ではなく、授業の単位取得条件にTOEFLをXX点以上必要 とか、少人数制のカリキュラムにするとか。
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Unknown (mkz)
2010-03-28 20:26:51
はじめまして!最近よく拝見しています。
私は日本人が英語ができないと思われることについて次の2点があるのではないかと思います。

1.日本語の音声体系の問題点
日本語は1拍に1音という間延びした音声体系に加え母音・子音の種類自体が少ないため、日本人の英語発音はリズムにのっておらず、微妙な音の違いが区別できず外国人が聞き取りにくいということがある。
その点、韓国語や中国語の音声は日本語と全く異なり多様な母音・子音があり、1拍に数種の音が詰まっていたりするので、日本人よりは耳・舌が鍛えられているのでは。(独自仮説。もちろん彼ら独特の癖はあります。)

2.日本人の受動的態度(リーダーシップ性の欠如)
日本人は質問されたことに対しては、よく客観的に考えるよう訓練されているが、自分から提議する力が弱いため、こいつなんか話せないやつだなあと思われる。
余談ですが、この受動的態度を「村上春樹の主人公的態度」と呼びたいと思っています。
韓国人・中国人は、儒教(朱子学)的な思考方式から来ているようですが、上の立場から議論をリードすることに長けています。日本では家庭でも学校でもリーダシップ教育が全くないので、実はこの点が、英語での発言力の弱さとして表れていると思います。

※追記
和訳をなくすことは賛成ですが、日本語でしっかり考える能力ができてから英語というのは(石原都知事とか日本の偉い英語の先生方もそうおっしゃってますが)、それってほんとうかな?といつも思います。別に同時進行でやればよいのでは。学生はそれ位の吸収力はあるのではないでしょうか。
いずれにせよ、日本では教育の専門家ではない識者と言われる先生方が、勝手な推測によって英語教育を議論しているだけなので、困るんですよね...
長くなってしまい失礼しました。
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Unknown (N)
2010-03-28 20:28:54
去年あたりに話題になっていた、「英語の授業を英語で行う」っていうのは結構いい効果を生み出すんじゃないか、と勝手に期待しています。その時間内は英語で頭を使うでしょうから。

それから、時事ネタってどうなんでしょうか。私が10代だったころは、英語の教科書に時事ネタがあまりなかったような気がするのですが、時事ネタの英文記事などに触れる機会は、今の高校生はあるのかなぁ。教える側としては、すぐに新しさが失われてしまう時事ネタは使いたくないでしょうし、文科省もコントロールしにくくてやらせないのでしょうが。

無茶を書かせてもらうと、例えば、2週間から1か月ぐらいどこか外国でボランティアをする、みたいなものが高校生に義務化されたりするといいのかなぁ、と漠然と思っています。(もちろん費用とか安全とかうんぬんで、実現はほぼ不可能でしょうが。)

というのは、「下手でもなんでも、英語でコミュニケーションしないと前に進まない」というシチュエーションを経験する機会を持つことはできないか?ということをよく考えるからです。
ようは、日本語が通じないという状況を経験したことがないと、「下手でも話す」決心がつかないでしょうし、ガラパゴス化とか文化の多様性とかそういったものに対しても、その後の人生の中で実感が持てないんじゃないかと思うんですよね。
(でもこれは学校レベルではなくて個人レベルでやるべきこと(留学とか)なのかも・・・)

3番で挙げていらっしゃる「ネイティブによる少人数英会話」は今の高校では一般的なんですか?こんなのが今はあるんですね。知らなかった。

韓国中国と、日本との差は、英語力ももちろんですが、海外へ出て行く人数とか、そのchallengingなメンタリティみたいな部分で大きな差がありますね。なんなんでしょうね。日本にはそれなりのサイズの洗練されたdomestic marketがあったからなんでしょうかね。
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日本語を捨てよう (豪州落人)
2010-03-28 21:00:16
日本の英語教育を考えるとき、小手先の技術だけではなく、より広い洞察が必要だと僕は考えています。つまり、母語、母国語、国語、そして話し言葉と書き言葉、さらにはインターネットとの相性なども。

1つの提案ですが、日本語を捨てたらどうでしょう?そうすれば、学校教育から国語と英語の授業をなくすることが可能です。

.....................................

日本人は中高6年間英語を学んでも英語を話せないし、小中高12年間国語を学んでも日本語を十分理解できません。豪州の学校では英語の授業がありません。母語の英語は習わなくても理解できるのに、日本語は母語なのに言語学者さえも理解困難な欠陥言語です。非論理的でコンピューターとの相性は最悪で、今後世界から取り残されかねません。思い切って英語を公用語にすれば、学校で英語と日本語の授業は不要になります。言葉は情報伝達と記録の道具であると同時に、思考と創造の道具です。公用語が論理的な言語に変われば日本人の知的レベルも向上します。(エスペラントは英語より優秀な言語ですが、当面は世界覇権語の英語を公用語にするのが現実的です)

参考 ;http://blog.goo.ne.jp/reym1234/e/17f6c9a670cd6fd08ba875736c49327d

http://blog.goo.ne.jp/reym1234/e/e6ce2d5af9824a509bfbf0853ef2eda3
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