1992年7月23日(木)
大の大人の日本人が通勤電車やバスの中でマンガを見ているのに外国人は驚くそうです。日本人は小中高12年間「国語」を学んでも日本語を十分理解できません。多くの国には「国語」の授業はありません。「母語」は3歳程度で自然に話せるようになります。読み書きも入学前には大体の子供ができるようになっています。使う文字が少ないからです。たとえば英語ではアルファベット26文字と10の数字の36文字だけで、「単語」が1語ずつ区切られています。子供は36文字の組み合わせの「単語」をあちこちで目にして、次第に「話し言葉」と関連付けて自分自身の力で「書き言葉」を理解できるようになります。
日本語の「書き言葉」は、漢字と平仮名と片仮名と数字の4種類の組み合わせです。平仮名と片仮名は50音以外に濁音や促音や發音があります。漢字の総数は5万と言われ、常用漢字だけでも約2000あります。日本の子供は3歳までに「話し言葉」を身につけても、身の回りで見かける「書き言葉」は4種類2000文字の組み合わせの暗号のような文字列です。英語は単語が1語ずつ区切られていますが、日本語はどこまでが1つの単語かはっきりしません。子供たちは「話し言葉」と「書き言葉」を関連付けることができず、「書き言葉」を身につけるのは入学後に勉強するしかありません。これが「国語」の授業です。
まず「国語」の授業で、子供たちは平仮名と片仮名を教え込まれます。子供たちは1年間ほどで2種類の仮名文字の読み書きができるようになりますが、2種類の文字の使い分けで混乱に遭遇します。教師は「もともと日本にあるものは平仮名で、外国から来たものは片仮名で書きます」と子供に分かりやすく説明します。しかし「そにーのでじかめ」、「ガイコクジン」などの表記は間違いです。漢字も子供達には負担です。小学校6年間で約1000の教育漢字を、中学の3年間でさらに約1000の常用漢字を覚えないといけません。日本語は文法がでたらめなので、文法を学べば学ぶほど子供たちは混乱していきます。国語の優等生でなければ活字離れを起こし、マンガに走るのは当然かもしれません。
もしも英語を公用語にしたら日本の教育はどのようになるでしょうか?「国語」の授業は不要になります。制度改革後の数年間は小学校低学年での「英語」の授業が必要でも、10年ほどでそれも不要になるでしょう。学校で「国語」と「英語」に費やしていた膨大な授業時間を自然科学や社会科学に振り向けることが可能になります。日本語のハンディキャップを克服して、世界の学力レベルに追いつくことも可能かもしれません。世界の学力レベルの調査によると、わが東大は先進国50カ国中47位なのです。インターネットを使って世界の情報を収集することも、自分の意見を海外発信することも可能になります。日本語は情緒的で、論理性に欠ける言語で論理的思考には不向きで、コンピューターとの相性は最悪です。日本語入力には「変換」の作業が不可欠です。同音異義語が多すぎて入力速度はさらに遅くなります。英語入力では「変換」が必要ありません。言葉は情報伝達と記録の道具であると同時に、思考と創造の道具です。人間は言葉を使って話しますが、言葉を使って考え、新たな観念を作り出しもします。書くことは考えることであり、アイディアを作り出すことです。日本語入力では「変換」が思考と創造の邪魔をします。非論理的で欠陥だらけの日本語を使い続けると世界との格差はますます拡大するでしょう。
言葉は歴史や文化を内包しています。西洋各国の言語は異文化の衝突の中で時代の変化に応じて改良を積み重ねてきましたが、日本の公用語・「書き言葉」は1000年間借り物の漢字でした。西洋のラテン語がそうであったように、日本の「書き言葉」の漢文は権力や権威の支配の道具でした。それが庶民のものになったのは明治時代の「言文一致」ですから、120年程度の浅い歴史と文化があります。公用語を英語に変えることで失うものもありますが、得られるものの方が比較にならないほど多いでしょう。多少の混乱はあっても10年間程度で改革は定着すると予想されます。
本当は英語より優秀なエスペラントを公用語にするのが理想的ですが、世界覇権語の英語がインターネットを支配していることを考慮すれば、第1段階では英語を公用語にするのが現実的です。
大の大人の日本人が通勤電車やバスの中でマンガを見ているのに外国人は驚くそうです。日本人は小中高12年間「国語」を学んでも日本語を十分理解できません。多くの国には「国語」の授業はありません。「母語」は3歳程度で自然に話せるようになります。読み書きも入学前には大体の子供ができるようになっています。使う文字が少ないからです。たとえば英語ではアルファベット26文字と10の数字の36文字だけで、「単語」が1語ずつ区切られています。子供は36文字の組み合わせの「単語」をあちこちで目にして、次第に「話し言葉」と関連付けて自分自身の力で「書き言葉」を理解できるようになります。
日本語の「書き言葉」は、漢字と平仮名と片仮名と数字の4種類の組み合わせです。平仮名と片仮名は50音以外に濁音や促音や發音があります。漢字の総数は5万と言われ、常用漢字だけでも約2000あります。日本の子供は3歳までに「話し言葉」を身につけても、身の回りで見かける「書き言葉」は4種類2000文字の組み合わせの暗号のような文字列です。英語は単語が1語ずつ区切られていますが、日本語はどこまでが1つの単語かはっきりしません。子供たちは「話し言葉」と「書き言葉」を関連付けることができず、「書き言葉」を身につけるのは入学後に勉強するしかありません。これが「国語」の授業です。
まず「国語」の授業で、子供たちは平仮名と片仮名を教え込まれます。子供たちは1年間ほどで2種類の仮名文字の読み書きができるようになりますが、2種類の文字の使い分けで混乱に遭遇します。教師は「もともと日本にあるものは平仮名で、外国から来たものは片仮名で書きます」と子供に分かりやすく説明します。しかし「そにーのでじかめ」、「ガイコクジン」などの表記は間違いです。漢字も子供達には負担です。小学校6年間で約1000の教育漢字を、中学の3年間でさらに約1000の常用漢字を覚えないといけません。日本語は文法がでたらめなので、文法を学べば学ぶほど子供たちは混乱していきます。国語の優等生でなければ活字離れを起こし、マンガに走るのは当然かもしれません。
もしも英語を公用語にしたら日本の教育はどのようになるでしょうか?「国語」の授業は不要になります。制度改革後の数年間は小学校低学年での「英語」の授業が必要でも、10年ほどでそれも不要になるでしょう。学校で「国語」と「英語」に費やしていた膨大な授業時間を自然科学や社会科学に振り向けることが可能になります。日本語のハンディキャップを克服して、世界の学力レベルに追いつくことも可能かもしれません。世界の学力レベルの調査によると、わが東大は先進国50カ国中47位なのです。インターネットを使って世界の情報を収集することも、自分の意見を海外発信することも可能になります。日本語は情緒的で、論理性に欠ける言語で論理的思考には不向きで、コンピューターとの相性は最悪です。日本語入力には「変換」の作業が不可欠です。同音異義語が多すぎて入力速度はさらに遅くなります。英語入力では「変換」が必要ありません。言葉は情報伝達と記録の道具であると同時に、思考と創造の道具です。人間は言葉を使って話しますが、言葉を使って考え、新たな観念を作り出しもします。書くことは考えることであり、アイディアを作り出すことです。日本語入力では「変換」が思考と創造の邪魔をします。非論理的で欠陥だらけの日本語を使い続けると世界との格差はますます拡大するでしょう。
言葉は歴史や文化を内包しています。西洋各国の言語は異文化の衝突の中で時代の変化に応じて改良を積み重ねてきましたが、日本の公用語・「書き言葉」は1000年間借り物の漢字でした。西洋のラテン語がそうであったように、日本の「書き言葉」の漢文は権力や権威の支配の道具でした。それが庶民のものになったのは明治時代の「言文一致」ですから、120年程度の浅い歴史と文化があります。公用語を英語に変えることで失うものもありますが、得られるものの方が比較にならないほど多いでしょう。多少の混乱はあっても10年間程度で改革は定着すると予想されます。
本当は英語より優秀なエスペラントを公用語にするのが理想的ですが、世界覇権語の英語がインターネットを支配していることを考慮すれば、第1段階では英語を公用語にするのが現実的です。