気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

第四チャクラ

2024-09-11 11:27:46 | 日記
先週、周波数と身体の関係性が気になってネットで調べていたら「音叉セミナー」というものがあることを知りました。
身体のそれぞれのチャクラをペンデュラムで当てて反応を見て、その後音叉の振動数で調整するというヒーリングで、それで開いているとか閉じているとか解るらしい。
興味があったので、まずは自分の身体のどこが1番弱いのかな?とか知りたくて受けてみました。
自分の感覚で見てみたいなと思ったのです。
受ける前に第一(ルートチャクラ)と第四(ハートチャクラ)と第五(喉のチャクラ)が弱いかなーという自覚はありました。
結果は第四チャクラが1番開くのが遅かったそうです。
優しい人だけど愛情を出し惜しみしていると言われました😅
やっぱりかー、循環させるには胸の中に溜め込んだものを出さなきゃなーと思い、これまで溜め込んできた思いを吐き出しました。
介護で兄に協力してもらえなかった事、両親の介護で私の人生を生ききれなかったこと、でもそれは自分の考え方次第で自分の思い違いに問題があったと気づいた事。
色々と話してスッキリしました。
逆に1番反応が早かったのはお腹のチャクラでした。
すぐに反応して驚かれて、何かされているんですか?と聞かれたので、体に良い食事を心がけるようになりましたと話しました。
身体的にはあまり大きな変化はなかったのですが、ホテルに戻ってから温泉に入ってまったりしていたら凄く眠くなり、その日は早々と寝てしまいました。

そしてその夜に、亡くなった家族の夢をみました。
兄と父と3人で実家に住んでいた感覚。
兄がどこかで働くことになって(復帰?)スーツ姿でいた。
塩を持ってくるように言われて私は台所の壺から塩を掴んで、まずは自分に塩を振り、兄と父にも同じように振っていた。
よく見ると塩ではなくて、木を焼いたものだった。

そして父が職場まで兄を自転車に乗せて送っていたが、その自転車が私の持ってた古い自転車で凄く負荷が掛かってペダルが重かった。
それを年老いた父が漕ぐのは大変だから、新しい自転車(電動自転車とかもいいかな?)を買おうと思っていた。
年老いた父に負担を掛けないで私が車で送ってもよかったのに、私は運転に自信がなかったような感覚だった。
それで父にそんな思いをさせて凄く申し訳ないような感覚があった。

父と兄が自転車で向かっている姿を見ていた。
別の方向から電車?みたいなものが近づいて進路を塞がれそうになり、父が怒って運転手と揉み合いになった。
すると兄が父を後ろから押さえ込んで、運転手も同じように誰かが後ろから押さえ込んで、喧嘩を終わらせていた。

起きてこの夢をじっくりと考えた。
案外、良いお知らせに思えてきた。
塩を振っている行動は「黄泉の世界から兄と父が戻ってきた」と取れるなと。
兄が職場復帰していて、父が自転車で職場へ送ってくれている。
兄はまだ自転車を漕げないけど、そこは父が漕げる。
父は短気で直ぐに喧嘩になるけど、兄がそれを後ろから抑えることが出来る。
2人でセットでお互いをホロー出来て、動き始めたような。
塩だと思ったのは木の焼きカスで、気を焼いた(短気のクセ)を払っている。
気は焼くものではなくて上手に生かして使うもの。
それを私と兄と父が家系の繋がりで学んでいるなと思った。

私の中に「私の判断が原因で相手が・・・という申し訳なさ」で胸が押し潰れるような悲しみがあり、そこを昨日はじっくり見た。
父も私が一緒に実家に住むことができなくて、仕方なく病院へと送られて最後は介護施設で亡くなった。
その場面が心から消えることはなかった。
父をあんな姿にしてしまったのは私の判断が原因で、一緒に住んであげれば良かったという後悔。
でもそれをしたら、きっと私の心が耐えられなかっただろう。
そして父の徘徊が無くなるわけでもないと思う。
父の問題は父が見て行くことでしか解消できないし、私も私を見て行くしかない。
だから自分の悲しみの心の奥を見ようと思った。
するとある事に気づいた。
原因は私ではなかった。
父の短気が原因だった。
父が実家でまだ元気で介護施設に通っていた頃。
時々お世話になっていた介護施設で父がショートステイをした日。
勘違いもあったのだろうが父が短気でカッとして他の客に手を挙げたらしい。
それで介護施設から「出入り禁止」となった。
そこからどんどん父の世界が小さくなった。
徘徊も酷くなり近くの病院から道路を塞いでいるので何とかしてくれとケアマネージャーに言われ、明日から私が一緒に父と住むか病院へ行くか、どっちかに決めてくれと言われた。
急に言われても私は働いていたし、一緒は無理だということで病院へ行った。
私にももっと心を開いて話し合うという解決法もあったが、でも父の問題の直接の原因は私ではなかった事を理解できた。
それに気づいたら、心がスッとした。
いつも出てくる「私が原因で相手が・・・」という思いこみが消えた。
心の重荷が剥がれたようなスッキリ感があった。

それを夢で兄と父が教えてくれているような気がした。
心を自由にして、これからやりたいことをやれば良い。
それで自転車のペダルの負荷も軽くなって行くからと、言ってくれてるね😊 

結局は皆、自分で自分の波動を上げて行くことしか出来ないんだ。
自分で作ったこれまでのたくさんの思い込みの縛りを、一つずつ剥がしていく。
そうやって純化させて波動が上がって行く。
その縛りを学ぶために、鏡としての相手がいる。

第四チャクラ、少し風通しが良くなりました😆

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