気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

トラウマと愛情

2015-07-22 21:27:49 | 日記

テレビで犬の感動話を見た。
虐待されていた犬が、優しい人に育てられて
人の心を癒すセラピードッグになった話。

心を動かされたのは、飼い主が根気強い愛情で犬と一緒にトラウマを克服するシーンだった。
杖を見ると虐待された記憶が蘇えり、思わず逃げ出してしまう犬。
杖を持った人間(虐待の記憶)が怖くて、セラピードッグの訓練には向かなかった。

それで飼い主は犬と一緒に寝るときに、毎晩杖を添えて寝ることにした。
根気強い暖かな愛情で「杖は怖くないよ」という優しい記憶に上書きしていったように見えた。

恐怖を克服できたら、この犬ほど強くて心の痛みが解かる犬はいないだろうなと思った。
まさにたくさんの心を癒すことが出来る犬となって生涯を終えた。
トラウマを克服できたのは、それを上回る愛情を受けたからなのかもしれない。

そして思った。
虐待を受けるのはとても辛くて耐え難い事だけど、もしかしたら
その人(動物とか)が乗り越えられる強い心を持っているからこそ、
そういう事を受け入れて生まれてくるのだろうかとも思えた。
でも一人では辛過ぎて乗り越えることが難しい。
だから、傍らに暖かい愛情で見守ってくれる存在が必要で、
その愛情で傷が癒えて欠けた部分が強さに変わるのかな。
過去に痛みを経験したからこそ、同じ痛みが解り一緒に寄り添える。

傷はない方が良いって思っていたけど
ないと痛みは、感覚として解らない。
でも傷で心が荒れてしまえば、刃ともなる。
その強さは、力となって相手や自分を倒してしまう。

愛情だけが、そこから変化出来るのか。
だから自分ひとりではないんだ。
それが「繋がり」という事なのかな。

そういう事を考えさせられる番組だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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目覚まし時計

2015-07-11 12:28:37 | 日記

今朝、目が覚めて時計を見たら「9時30分頃」になってた。
目覚まし時計をセットしていたのに鳴らなかったよ?
あれ?用があったのに、寝坊した?

トイレから戻る時にリビングのデジタル時計の数字が目に入った。
まだ「6時半頃?」だった。
(・・?;) え?

ベッド脇のアナログ目覚まし時計の裏を見たら、電池が半分飛び出していて
それで昨夜の9時半頃から時計の針が停まったままだった。

寝坊したのではなくて、時計の方が昨夜で停まっていた。

そうか、そうか!
私が寝坊したわけではなかったんだな。(^。^;) ホッ

外れてた電池をちゃんとはめ込んで、アナログの針を進めてセットし
また時が動き始めた。

アナログって片方チャンネルで、デジタルは両方のチャンネルだよね。
多分、戻った時は「私自身の時」なんだと思う。
やっと「自分の道をちゃんと歩かなきゃっ」て思えたから。^^

 

 

 


 

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人との関わり

2015-07-03 23:01:23 | 日記

昨日ハウステンボスへ車で行く途中、兄宅へお土産を届けに寄った。
義姉も一緒に行きたいと言うので、二人乗りで兄宅の狭くて急なコの字状の坂を登ったら
重さで車が後ろに下がり脱輪しそうになった。
運転席からは左側が見えないので怖くて、どうしても右寄りにハンドルを切っしまう。
その結果、右の車輪が崖スレスレの状態だった。
姉の「まだ、まだ、ハンドルを切ってはダメ」というアドバイスを聞きながら
右に切りたいのをギリギリまで我慢して、なんとか回避できた。

去年来た時は起きなかったトラブルだったので不思議だった。
去年よりは運転技術は、少しだけど上達しているハズなのに?
どこが違うのだろう?と考えていたら「重さ」だと解った。
軽で馬力がないのに冷房もかけていた。
おまけにサイドブレーキをかけていなかった。
右側の崖に落ないかが気になって、サイドブレーキの存在も忘れていた。
姉の「坂道発進…」と言葉で初めて気付いた。

一人では何も問題が起きなかったのに、二人だと重さで危険な状態になるんだ。
でも姉の経験上のアドバイスで回避も出来た。

一人では何も問題が起きない。
二人だと重さで下がることもあるけど、力を合わせて障害を乗り越える事も出来る。
人間関係、すべてのことに当てはまるなーと思った。
それが解った時、この危ない経験も生きてきた。
「何も起こらない」よりは学べたのかもしれない。

 

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失敗は成功の元

2015-07-01 11:10:35 | 日記

週末の遠出ドライブで、行きと帰りのどちらも道を間違えて大幅に時間を費やした。
原因は「勘違い」だった。

行きたいコースのインター近くで一度休憩しようと思って、
その名前をナビで検索したらいつもの山越えとは逆のコースが出てきた。
雨も凄く降ってていつもの山越えはカーブが多くて怖いから
今日はこっちの街側コースで行ってみようかなとそのまま走った。

途中、何度か伊万里方面に出る道を通り越し、あれ?と思った。
よく見ると武雄北方に行くみたいで不安になり
もしかして34号線をずっと行くの?と思った。
前にナビで検索した時も、全然違う道を示したような記憶があった。
もしかして似たような名前があって、そっちに向かってる?

途中、名前ではなくて地図の地点でナビのコースを修正して
凄く遠回りしてなんとか北波多ICの西九州自動車道に乗れた。
ここまで来るのに、いつもよりも1時間以上かかってしまった。
このインターはまだ開通ホヤホヤの無料道路なのでナビには載っていない。
だからナビが示す時間も道も違うものが出てくる。
前回通った自分の少ない経験で得た頭の中の地図が頼りだった。

でも遠回りしたけど、以前友達に連れて行って貰った店や道を思い出したり
知らない道で「ずっと行ってみたかった場所」を見つけたり
「ここに繋がっていたのか!」といろんな発見があって、それも楽しかった。

そして帰りもここで勘違いがあった。
前回は出来てなかった延長道路が完成していたので
降りる場所が一つ先の南波多谷口ICに変わってた。
「北波多ICを通り過ぎたな」という記憶はあった。
でも降りる場所を確認していなくて、前回の北波多ICと似ていたので
てっきり同じだと思い込んで右折したら、逆方向を行っていることに後で気づいた。
また山越えしてやっと伊万里にたどり着いた。

通った地名を後で地図で確認して、初めて自分が逆を通っていたのが解った。
北波多ICと南波多谷口ICは出口の位置が上下逆だった。_| ̄|○

似ていたから同じだろうと思い込むクセ。
事前に自分で確認していれば勘違いは起きなかったかもしれない。
でも失敗したから遠回りで時間が掛かり、その事が強く印象に残る。
次は同じ間違いをしないようにしようと思うのも事実で
失敗したからこそ自分のクセもよく見えてきた。
何も起きない事が、果たして自分の為になるのだろうか?
何も起きないというのは、自分のクセも知らないまま過ぎるという事でもある。
そう思うと、失敗も成功の元なのかもしれないと思える。

経験に勝る「先生」はないのかもしれない。
先生って「先に生まれる」と書くね。
先に生まれた経験(過去)が、自分の道を示す未来への新しい扉となるのかなと実感した。

過去の経験が今を作っていて、今の経験が未来を作る。
だから今やっていることが例え報われないとしても、未来で必ず報われるという事なのかな。

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