気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

生きる命

2013-08-29 12:39:38 | 日記

今日、このニュースを見て「命」について考えさせられた。

死ぬか生きるかの一大事 犬が献血して猫の命を助ける
2013年8月28日(水)23:22
「本当に、死ぬか生きるかの一大事だったんです。
 だから、私達が何もしなかったら、ローリーは死んでしまうところだった」
 とその時の切羽詰った状況を振り返っている。

他人、多種の血を混ぜるというのは、いろんな問題も含んでいるから
その是非を考えたら、どうなんだろうかと考え込んでしまう。

でも何もしなかったら、一つの『命』の灯が消えていく事は確実で
命を生かすことを最優先に考えたら「動く」しかない。
人が動いて、初めて「事が動く」。

「ネコの命が生き続ける事を願う人々と犬の気持ち」が最初にあって
その想いで動いたから、1つの大切な命が繋がった。
そんな風に感じた。

やっぱり、なんでも「経験の途中経過、過程」に過ぎないのかな。
それについての善悪を考えるのは、あまり意味がない事なのかもしれない。
その結果で「何を感じたか、何を思ったのか」が大事だから
結局は、なんでも「心」が動かしていくものなんだなと感じた。

その都度の選択を「心に素直に」動いていれば、道は自ずと開けてくる。
そんな風に感じたニュースでした。

 

 

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秋の気配

2013-08-28 11:56:36 | 日記

昨日、まだ日差しは暑いけど風がひんやり感じられ、
秋の風を感じたので、思わずカメラを持って散歩に出かけました。

秋の気配

お気に入りの写真はこちら。。。

ハートの光が海に咲いてます。(笑)

静かで穏やかで心が温かくなるような、そんな幸せな時間が漂っている海辺でした。
秋って好きなんですよね。

昔、英会話の授業で先生に好きなシーズンを聞かれて
みんな「春」だと答えていたので、私は「秋」って答えたんですね。
すると先生(北アメリカ出身の女性)が驚いて「なんで?」と目を丸くしてました。
先生にとっての秋は、冬へと近づく寂しい季節みたいで好きじゃなさそうでした。
私は「実りの秋」だからと答えたけど、解ってはもらえない感じで
育った環境で違うものなんだなと思ったのを覚えてます。

秋って、春も夏も経験して「やっと大人の季節へ」みたいな感じですね。^^
確かに昨日は、秋の風へと変わった感覚がありました。

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2013-08-24 14:29:05 | 日記

日を重ねるごとに、今まで解らなかったものが解る様になってくる。
前に見てずっと気になっていた夢の内容。
あの時は意味が解らず不思議だったのに、それが今日突然、解ったりする。

ちゃんと夢には「自分が知るべき内容」が記録されている。
だからどんな小さな事も、覚えていたら記録しておくべきだと思った。

たかが夢。
されど、侮る事なかれ。

2012. 6. 2. (4/13) の夢 

突然「いびき」が聞こえて
「時間だよ、あごの人」という声が聞こえて目が覚めた。

やっとこの意味が解った。
私が知るタイミングもあったのかもしれないと思った。

 

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オリジナル

2013-08-19 09:59:48 | 日記

私がこれまで繰り返していた事の一つに
「人の才能に惹かれる」というのがあった。
切っ掛けは「その才能を見てみたい」という単純な好奇心だった。

まだ開花していないとてつもない才能をその人が持っていて
その事をその道のスペシャリストが見抜いて褒めている。
それを聞いて、その人が褒めるくらいなら相当凄い才能なんだろうと思い
その才能を見たいが為にその人を応援する。

でも結局は、「私が見たい才能」を見る事は出来なかった。
少しばかりの幸運、何度も訪れる悲運が必ず付いて回った。
なんで?と思うほど、私の願い通りにはならない事だらけだった。
振り返ってみても、男女で2人そう言う人が居た。

才能を見たいが為に、極端にのめり込んだ。
でもある時気付いた。
人の夢に乗っかっているだけの自分に。

自分の夢は自分で叶えないといけないのに、私にはこれといって「なりたい夢」がなかった。
自分には人よりも優れている才能はないし、やりたい事も見つからない。
だから人の夢に乗っかっている方が楽だった。

でも本当にそうなのだろうか。
自分の才能って、そう簡単に見えてくるものではない。
ちゃんとじっくり、その事について考えた事があったか?

今朝その事を考えていたら、なんとなく理解出来た。

私の才能を褒めてくれた人たちが、過去にもちゃんと居たじゃない。
絵画教室で、私が書いてた何気ない絵を「良い」と褒めてくれた先生。
数学の証明問題で紆余曲折した私の答えを「おもしろい」と褒めてくれた先生。
イタリア旅行で撮った写真を、撮り方が上手いと褒めてくれた会社の社長。

どれも「私のオリジナル」だから褒めてくれてた。
みんな持っているんだよ、自分のオリジナルを。
褒めてくれたことを振り返ってみたら、そこに「才能」の片鱗が芽吹いていた。
そこを伸ばしていけば、自分の才能は自ずと開花していくと納得できた。

自分の内側から来る感覚、言霊。
そういったものを、ただ出していけばいいだけ。
それに気付いた。

他人の才能を羨んで欲しがるから埋まらないんだ。
だって他人の才能は、その人の人生の一部だから、それを自分の中に持って来ても
自分の人生ではないのだからピッタリとそこに収まる訳がない。
いつまでも満たされないで、合わない部分から隙間風が吹いている。

でも自分の内側から来るものを大きくしていったら穴は塞がる。
自分の才能を見つけるというのも同じだなと思った。

「私のオリジナル」
そこを見つめて出して表現していけばいい。
それは私にしか出来ない事。

それをみんな平等に手の中に握りしめて生まれて来るのに、なかなか気付けないね。
ついつい他人の才能ばっかり見て羨ましがったりする。
本当は自分の内側から来るモノが一番光輝いてて「本物」だと知っているのに。。。

そうか「メッキが剥がれる」というのは
他人の才能を羨んだり盗もうとする心のベールが剥がれるんだ。
隠している本心が表に表れてくるのか。
だから「本物=本心」だけが生き残っていくのかな。
本物の光の方が、まがい物の光よりも比べものにならない程眩しい。
まがい物の光は見えなくなって存在が消えてしまうのかな。。。

自分のやりたいイメージが少し見えてきた。
自分を表現する事。
前にやってた事で、途中で「形」に拘りやめたモノがある。
でも、あれを褒めてくれた人がいたもの。
あれは私のオリジナルという意味で「本物」だったのかな。
あれを目指していけばいいのだと解った。

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きみがくれた未来

2013-08-16 23:37:06 | 日記

レンタルした「きみがくれた未来」という映画を見た。

「生かされる」というのは「生きている」ことを実感すること。
素直にそう思った。

あるシーンで、一瞬だけど深く感じた部分があった。

何気なく生きているという事は、それだけでもう「奇跡」なんだと思った。
普通に歩いている姿でも、「生きている」からできる事。
生きているから「動いている」のよね。
それだけで十分幸せな事だと解った。
生きていればそれだけでいいんだね。

普段はそこを見なくて、小さな部分にばかり目が行って
いろいろと拘りがちだけど
そんなのは大した問題じゃないんだと思えた。

それがちょっとだけ実感できた映画でした。

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