気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

臨機応変

2016-03-26 12:30:29 | 日記

職場というのは、本当にいろんな事に気づけるなと思う。
目の前のものが見えていなかった私も少し成長出来て
基本の形と違うものを一瞬で見分けることが出来るようになった。
これも毎日の積み重ねだと思う。

そして今週は、ちょっと違ったミスを繰り返した。
形(入れ物)が同じだから、全部同じだろうと思い込んでやったミス。
これまでは「見本と同じように入れなさい、並べなさい」だった。
それが今週はいつもの所に見本がなくて、全然違う場所に違う見本が置いてあって
それが見えてなかった為に、同じようにやっていたというミスだった。

いろんな場面でいろんな言葉を聞いて、「あー、そういう事か」と納得した。
同時期に入った人と私とで、先輩(同じ人)の言い方が違っている事に気づき
それは何故なのだろうと考えたら、その違いが解った。

彼女(同僚)は「まず自分で考えて動く人」だった。
それを先輩も待っているみたいで、その違いなのかと解った。
私の方は逆で、まず答えを聞いてその通りに動こうとしていたから
彼女(先輩)もいい加減に気づけよと苛立っていたのだと思う。

何気なく話している会話にも、気づきのヒントはちゃんとある。
それに気付けたのは、次の段階へのステップアップなんだなと思った。
だから今週のミスは、見本がいつもとは違った所にあったのかな。
今度は「入れ物」は同じでも、中身は同じだとは限らないというケース。
似ているもので対応したり、入れる場所が人によって違っていたり
それを臨機応変に対応出来るようになること。
それを今、仕事で学んでいる。


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自分から動く

2016-03-26 11:57:11 | 日記

去年の12月頃から職業病で手に違和感を感じ、しびれがずっと続いていたのだけど
先週の3連休を境に、症状が少し悪化してきた。
調べたらどうも腱鞘炎みたいで、じっと安静にしておくのが一番と書いてあったが
休んでいても症状が改善できなくなっていたので困ったなと思った。

友人は無理して体を壊してまで働くことはないのだから辞めた方がいいと言ってくれた。
私も先のことを考えたら手に障害が出来てからでは何もできなくなるので
症状が悪化したら辞めようかなと考えていた。

でも、三連休で何もしなくても悪化したという事は、ここで辞めても同じかなと思えた。
辞めて違う職を求めても、いや、何もしなくてもこの状態が続くというなら
辞めて何かをしたとしても変わらないという事になる。
辞める事で、そこから逃げていたなと思った。
今すべきことは状況を改善させることで、それは働きながらでも出来る。
逆にそれをやっても駄目だったら、次の改善策として辞めるという選択肢もある。
何もせずに放置して辞めようとしていた事が、状況を悪化させた原因だと解った。
自分で調べて理解し、いろいろとやって試して、それでも駄目なら他の方法を探る。
それが経験というもので、これまでの私に足りなかったもの。

炎症だから冷やした方がいいので、毎晩シップして寝てます。
今のところ、少し改善されてます。^^
そして関節が固くならないように、指のグーパー運動を気づいたときにやってます。
要は炎症を和らげて腫れが引いたら筋力を上げる事かなと。。。
それで、なにもやらなかった時よりは、確実にパワーアップします!


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理解

2016-03-12 13:23:57 | 日記

テレビ局で働いている人のドラマを見て、ある場面でふと思った。

セットとかがある部屋は、いろんな人の思いが詰まっているから
そこに留まっている想いというのも多いのだろうな。
そういうのを霊(生死両方で)というのなら、
それこそ「その想い」を理解してあげるのが一番の「想いの消化」になるのかなと。

今まで目に見えない世界は、見えないからこそ得体が知れなくて怖いと思っていたけど
それが自分に何か悪い影響を及ぼしてくると思い込んでいたけど、
そうじゃなくて人の思いがそこにあるだけなのだと感じた。

人の気持ちって目に見えないからこそ、思いやることが大事でそれで感じることも多い。
怖がることなんてなくて、ただ「辛かったね」とか「嬉しかったね」とか
いろんな想いを理解するだけでいいのかもしれないなと思った。
そこに留まっているのは、誰かにそれを解ってもらいたいからなのかもしれない。

それは自分にも言えることで、自分の気持ち(見てなくて思い残しで留まっている心)を
自分で見て理解するだけで、その想いは消化するのだと思った。

結局、見えない世界と自分の心は繋がっているんだな。
そう感じた。
心は普段は見えないでけど、見よう(理解しよう)と思ったら見えてくるものだし。

だから除霊とか必要ないんだ。
取り除く(排除)ではなくて理解して消化すること。
それだけでいいのかなって思った。

これは、いろんな事にいえるね。
いろんな感情が混ざってくると理解も難しくなるけど
それこそ自分が見てない心が混ざってそうなっているのだと思うから
そこを見て理解したら、素直な心が出てくるのかもしれない。

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想像は創造

2016-03-06 12:01:53 | 日記

今朝、気づいて納得したこと。
「想像」は「創造」なのか。。。

直前に昨日の出来事を考えていた。

実家に停めてた私の車を父がのぞいてポツリと言った。
「子供は?」と・・・
私は「え~?何?それは私の車だよ。子供なんていないよ!?」
父は「そう?」と不思議がってた。
子供が乗っているように見えたみたいだった。

そのあと、食事しているときも隣の家の駐車場を見ていて
「あの子は誰ね?娘?」と聞いてきた。
私が見たときは誰もいなくて、また幻を見ているのだろうかと思った。

母の時と同じだ…
幻影が見えてきたのだ。
また、あの時と同じような苦しみをこの先で繰り返すのだろうか?
そんな悲しい未来を想像していたら、突然「想像は創造なんだ」と理解した。

悲しい未来を創り出しているのも私の頭の中で、そこから悲しい現実へと繋がっていく。
たぶん、別の角度から見たら違ったものが見えてくると思う。
だけど過去がそうだったから、また今度もそうなのかなと思ってしまう自分がいた。
過去の辛い経験が創り出す悲しい世界。
辛い経験から逃げたがっているから、そうなる未来が嫌なのか。。。
今度は逃げないでちゃんと考えてみようかな。。。
頭の中で違う未来を想像出来たら、きっと新しい別の未来へと繋がっていくはずだ。
未来図は想像から始まる。

今私が向き合っているテーマと同じだ。
未来に起こる事を想像しながら、どうするかを選択して行動する。
タイムリーに仕事や日常でそれを何度も経験してる。
何も考えずにやっているから、後(未来)で失敗をやらかしては怒られる。
それをやったら、そのあとどうなる?という事を頭で想像しながら
最善の方法を選択しないと、後でとんでもないことが起こるんだ。
何度も形を変えて繰り返しているから、あ~、今の私の壁なんだなーと思った。

目の前のものが「見えてない」という問題は少しずつ解消されてきている。
少し視野が広がって見れているものもある。
そこで、次のステップへと進めということなんだろうなと感じた。
乗り越えるハードルが少し高くなった感じ。
視野が広がったら、今度は少し先の未来も視野に入れて行動する段階ということかな。
私はこれをさぼりまくっていたから、何も考えずに行動しては失敗ばかりしていたんだ。
考えたくない=楽な方へと逃げていたなと思う。

母の幻視と同じように、数字もあの頃と同じ数字を偶然で受け取っていた。
あの頃住んでいた公団の部屋と同じ番号が身近に来て不思議だったけど
あのサイクルがまた巡って来ているのなら
今度はよく考えて行動を起こせというサインでもある。
あの時出来なかった選択を、今度はやればいい。
ちゃんと未来のことも考えて、目の前の選択をしたい。

あの時と同じ悲しみは繰り返さない。
その未来は、自分で創れるということだよね。

 

 

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