気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

純粋な音

2023-11-04 13:34:09 | 日記
私が考えてる「自分軸」を解り易く説明できる「例え」があった。
音符です。
ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド
それぞれの音は皆違います。
それが私たち、個人だとします。
個人に優劣はなく、違う個性が存在しているだけ。
だけど単独の音が別の音に出会うとハーモニーが生まれます。
単音では表現出来なかった、別の音が生まれます。
でも単音の音がズレていると、ハーモニーもズレます。
1番最初にやるのは、それぞれの音をズレのない純粋な音にする事です。
音を調律する。
例えばドの音がミの音と共感してミの近くに行きたいと思った。
ドは半音上がったようなズレた音になります。
自分の場所からミの方向へ少し移動したからです。
もっと近くに行きたいとレを通り越してミの隣に行ったとします。
ドの音はかなりズレた音となってしまいました。
ドはドの位置に居てこそ、純粋な音を奏でられるのです。
その位置でミと和合するから綺麗な音のハーモニーが響くのです。
自分の位置のど真ん中に居る。
何事にも左右されないブレない自分の中心軸。
それが自分軸みたいなものかなーと思いました。
その境地に達する為に、人生でいろんなドラマを設定してくる。
誰かに恋したり、誰かを嫌ったり、誰かを羨んだり、誰かを軽蔑したり。。。
皆「誰か」の方に寄っていくから生まれてくる感情なんですよね。
誰かに嫌われたらとか、誰かの目線で自分を見てしまいがちになる。
でも自分の中心に居て「誰か」を見たら、別の見え方も生まれてくる。
皆、素敵な個性を持っているし、自分にもそれがある。
ドレミファソラシド。みんなそれぞれが主役で、みんな居て素晴らしい(笑)
その音たちが奏でるハーモニーは、きっと素晴らしいものだと思える。
誰かに焦点を当てるのではなくて、ブレない自分に焦点を当てて相手を見る。
そんな感じが「自分軸」なのではないかなーと今は感じてます。

ドとミは共感性があるけど、ドとレはどうかなー?って思ったとします。
でもドとレともう一つ違う音が集まったら、ハーモニーを奏でられるかもしれません。
そういう可能性みたいなものが音にはあると思います。
人間も同じだと思うのです。
そのハーモニーを創るために最初にやるのが、自分の純粋な音を創りあげる事。

一昨日見た夢が、そんな感じの内容でした。
なんか「のだめカンタービレ」みたいな夢だったのです。
私がのだめで、千秋先輩みたいな彼が知らない女性とコラボをやっていたのです。
どうもソンルイみたいな感覚(笑)
私は1人自分の部屋でその事を考えながら悶々としていました😅
でも彼は私の心の中で繋がっている。
それは感じられたのです。
私の中に安らぎを感じているような感覚。
でも私の部屋には私しか居ない。
私は1人で自分を深く見つめていました。

そんな私が気になったのかコラボした相手の女性が私を指導してくれる事になりました。
個人授業みたいな、レッスンみたいな感じ。
私はピアニストでした。
でもまだ自分のスタイルというか音を確立出来ていなかったのです。
そこで目が覚めました。
まるで「のだめ」じゃん!?そう思いました。笑
そうか、彼は指揮者だったのかー!
指揮者はそれぞれの個性の音を導き出しながら、一つの作品を創り出すような役目かな?
それぞれの音が創りだすハーモニー。
私は自分の純粋な音をまだ出せていなかったんだ。
だからのだめが苦手だった「自分の音楽と向き合う」という作業を、夢の中でやろうとしていた。
という事は、ソンルイとシュトレーゼマンは似ている?
そういえば2人とも「自由」がなくて、逃げ回っていたな。。。笑
そういう意味では、昔の私とも似ている。
夢は面白いね(笑)

話が逸れましたが、夢で理解したのは「自分の純粋な音を創り出して貫く」みたいな感覚でした。


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