私の俳句.川柳.動画.日記.絵手紙【皆で470歳】

50から80才代のパソコン大好き仲間のブログ。
私の作品(俳句.川柳.動画.絵手紙).自然観察.徒然日記

孫 ななこ

2009年07月19日 06時29分48秒 | 幸子さん
ななこで~す

今日でななこが生まれて一ヶ月たちました。

いつもこのブログを見てくださっている皆様に

今日は記念の日ですので、大きくなった私を見ても貰いたくて

撮ってもらったの。ちよっと恥ずかしいな~

元気でじっとしていないので写真撮るのがむずかしいって、

では、ちよっと動いているところを、ど~お魅力的でしょ


      ななこ幸子


江戸文化 広重 「東海道五十三次」 15 吉原

2009年07月18日 10時46分10秒 | ビンちゃん
<15> 吉原 【左富士】
     
     松並木のうねうねと続く田んぼ道で富士山が左側に見える珍しい景色で

「左富士」として親しまれた名所であった。手前の松を大きく描きジグザクの道に

そって次第に小さく描き遠近感をだしている。

松原の間から富士がのぞいている。馬に乗った三人子供のうち二人は松の間の

富士山を首を伸す様にして見ている。右の一人は居眠りをしている様子で、ちょっ

とした後姿のしぐさで子供の表情がいきいきと、想像できる。

富士山は赤富士です。

         蒲原まで二里半十二町二十三間(約11km)

                             byビンちゃん

孫 ななこ

2009年07月17日 07時54分58秒 | 幸子さん
 ななこで~す

昨日は、パパ初めて、ななこをお風呂に入れてくれたの

うれしかった~ パパ緊張のしまくりで大汗ななこに落ちてきたの

ななこもドキドキ真剣に、入れてくれているパパみて

好きが、だ~い好きになったわ。

気持ちよくて、湯上がりの白湯も飲まずにねてしまったの

パパ~明日もななこお風呂いれてね~


      ななこ幸子

【私の動画】 セキセイインコの水浴び

2009年07月15日 08時00分15秒 | そめちゃん



アトムは水浴びがだ~い好き

「だって、今日は暑いんだもん!」

セキセイインコはめったに水浴びはしないと言うけれど、我が家のインコ(アトム)は水浴びが好きのようです。

水浴びをしたい時「水浴びがしたい要求」のしぐさは蛇口の下と私の足元を行ったり来たり・・・?です。

鳥かごの中での水浴びはあまりしません。

そして体中が濡れて満足すればさっさとかごに戻ります。


そめちゃんの徒然日記

ガラスの事なら染野ガラス

そめちゃんのブログ


孫 ななこ

2009年07月14日 06時19分49秒 | 幸子さん
ななこで~す

ママたちの大きなベットで寝ていたら、あ~だ、こ~だって

ママとばあーばで遊んでいるの、ねえねから貰ったぬいぐるみで

記念写真、大きさが同じだからだって

わたしのほうが、ず~とスマートだし、可愛いわよ

     ななこ幸子


孫 ななこ

2009年07月13日 10時29分59秒 | 幸子さん
ななこで~す

先日、いとこのお兄ちゃんに、似ているって言われて悲しかった

今日は女の子らしい服を着て撮ってもらったのいかが?

でもわたし、ミルクの、飲みっぷりはいいし、

タオルをかけて寝かされると、あばれて、すぐ取ってしまうの

とても元気な、ななこで~す ふふふふ

       ななこ幸子

区民農園 収穫

2009年07月13日 10時14分05秒 | 幸子さん
畑の野菜がこんなに採れました。

キュウリは二種類、小さいのがスナックきゅうり

なす、ピーマン、ししとう、ラデッシユ、

左の白、きみどり、みどりのは、パプリカです

初物、昨日は盆の入りなので、ご先祖様にお供えしました。

残念なことは、トマトが、まだ青くて収穫出来ませんでした。

    by幸子

江戸文化 歌川広重 {4}

2009年07月12日 11時00分22秒 | ビンちゃん
        葛飾北斎の冨獄三十六景         広重の冨士三十六景

広重に大きな刺激を与えたのは葛飾北斎の「富獄三十六景」と云われています。

広重は北斎より37歳年下で浮世絵、風景画の双壁であり時期も20年重なっている事

もあり何かと比較され、北斎と共に花鳥画を独立した錦絵として定着させた最初の

錦絵師であり、二人は画風も性格も好対照でした。

広重が一遊斉を一幽斉と改名したのは天保2年(1831)35歳の時でその動機は

師豊広の死(文化11年)によるものと云うよりも風景画えの転向によるものと云わ

れています。その年の「東都名所」が風景画家としての地位を確立した。

「東海道五十三次」は広重の出世作で大好評でした。

「東海道~~」を描かれたのは次の様な原因があったと云われている。

天保三年(1832)幕府から広重に、京都で ・八朔御馬献上・の儀式を拝観し、

その様子を描くよう内命。その旅の様子が「東海道~~」の38.藤川宿が御馬献上

の行列を描いたものでこの行列に加わって京都に上がり長い期間滞在し、その間

色々と見聞を広めしかも往復の道中、相当数の写生をし、それを基礎とし自分の

創意工夫を加え不朽の名作とした。自分の生き方の方向を決めた大きな旅であった

のではないかと、現在のところ全行程を同行したかどうかはわかっていない。

広重は「東海道~~」の発表によほど決意を持っていたのか今迄の一遊斉から又々

一立斉と改名した。これは一流一派を立てた事を意味したのです。

広重の作品は「東海道~~」を振り出しに「江戸近郊八景」

      「近江八景」天保5年   「東都名所」天保3~5年

      「木曾街道六拾九次」天保後期に英泉と合作

      「名所江戸百景」安政3年~5年

江戸の風景は広重の人生と密接な関係にあった。それほどまでに江戸が好きだった

広重はやはり江戸っ子であり御家人であったのでしょう。

安政五年(1858)九月六日、当時江戸で流行していた虎烈拉(コレラ)にかかり

死亡、時に62歳でした。遺言に 「寺は浅草岳寺に納むべし葬式は武家風にいたす

べし」 とあり御家人安藤徳太郎の面目が表れている。遺言どおり浅草東岳寺に

ほおむり法名を「奥全院岩松栄信士」          byビンちゃん

江戸文化 広重 「東海道五十三次」 14 原

2009年07月11日 11時15分56秒 | ビンちゃん
<14> 【朝之富士】
   
    空の朝焼けを表すため、画面の上の1文字引きは赤色を使用している。

又、右側の宝永山のある方の富士の斜面にも朝日が赤く照り映えている。

広重のこのシリーズでは雨天は黒、晴天は藍色と天候によって上部の一文字引きの

色を変えている。この色の変化にも目をとめて見て下さい。

図の人物は煙草をふかしながら後を振り向く母と冨士を見ている娘と挟み箱を天秤

棒で担いでいる供の者との三名と、野原に降り立っている二匹のつがいの鶴。

広重は冨士の大きさを表すために頂上を画面枠から突き出させている。

また右の愛鷹山の凸凹を描く事によって富士の美しい線が強調されている。

           吉原まで三里二十二間(約12km)

原宿は東海道中、最小の宿場。約680年前に建立された臨斉宗伯隠派大本山の

松陰寺がある。名僧白隠が住職になってから有名になった。

                             byビンちゃん