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「江戸の武士」  ”武士の一生”   5

-0001年11月30日 00時00分00秒 | ビンちゃん


「武士の一生」

武士の一生といってもさまざまなクラス、生まれた環境や資質によっても人生は

かなり違ったものになった様です。

ここでは町奉行所の<与力>禄高150石の一生について。

八丁堀に250~300坪程度の敷地を貸し与えられ、間取りは6~7DK程、使用人は七

人位。 武家の子供は6~7歳になると勉強は私塾に通い始める。町人は寺子屋。

私塾では四書五経の素読のほか武士としての礼儀作法を学び、男の子なら武術を

学ぶ為、道場にも通った。こうして成長した子供は15才前後で元服する。

垂らしていた前髪を落とし月代を剃り成人の仲間入りをする。

15才で与力見習いとして、奉行所に勤務し始める。

最初は無給の<無足見習>→<見習>になると毎月給金がまらえました。

武家の結婚は親同士が家と家との釣り合いをみながら勝手に話を進めてしまう。

親同士で話がまとまると、双方の家から願いを出し上役の許可をもらって始めて結

婚となった。結婚式当日に顔を合わせる例もあった。

子供を授かって平穏な日々を送っていくのです。

親が死亡して子供が跡を相続するのが<跡目相続>、隠居して相続するのが<家督

(隠居)相続>と云いました。相続で受け継がれたのは家督(家禄)と家名。

親が現役の時はその子供が公職につく事はまれで、親が死ぬか隠居するかして、

やっと引き継ぐ事が出来やっと本務めになって禄高150石となりました。

吟味方等の有力な与力には付け届けもかなりあったが、同心や岡っ引きなでの面倒

をみなければならず、何かと物入りでした。付け届けはいわゆる賄賂の様なもので

すが当時の習慣であり、本人達は悪い事だとは思っていなかったようです。

その後成長した息子に家督を譲って隠居し穏やかな老後生活を送り60才でこの世を

去った。これが禄高150石程度の平均的な江戸の侍の一生です。

多くの武士はけっこう地味な一生を送っていたのです。

                           byビンちゃん


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