今年は自民党結党50周年で、これを機になにやら憲法改正の動きがある。
僕ははっきりいって、このまま憲法改正が進むことに反対だ。
強い危機感を持っている。いわゆる「護憲」の立場になるのだろう…
しかし、僕は決して左翼ではない。社民党や共産党の主張など、耳障りの良い
ことを叫んでいるだけで、「寝ぼけたことばっかり言うなー!」と腹が立ってくる。
では、なぜ改憲に反対かというと、たとえば自衛隊の存在を明記したとしても、
そりゃ見た目にわかりやすくなる。けれども、それは表面的なことであって
集団的自衛権や、自衛の範囲、武力行使など、一義的に明記することはできないだろう。
その場合は、やはり解釈によらざるを得ない。今のままで、憲法を改正しても、
また新たな解釈の問題が出でくる。そうした場合に、「やっぱり、前の憲法に
戻しましょう」なんてことはできない。普通の法律ではなく、「憲法」なんだから。
一体何のために、憲法は改正手続きを厳格に要求しているのか。それは、憲法が人権の
最後の砦だからである。「憲法なんかで人権が守れるのか?」という疑問も呈されるだろうが、
戦前の悲惨な状態から、今の状態に至った根本には、憲法があるのである。アメリカからの
押し付けだとか寝ぼけたことをいうもんではない。
もちろん、時代が大きく変わっていることは感じる。時代と共に、国のかたちが変わるように
憲法も変えていかなければならない。憲法は国のかたちをあらわすものだから。
でも、今のままで、国会議員主導で、憲法が変えられてしまって良いのか。私たち一人一人が
「今の憲法のままで、何が問題なのか」を考え、これからの、「日本」という国のかたちを
考えなければいけない。
僕ははっきりいって、このまま憲法改正が進むことに反対だ。
強い危機感を持っている。いわゆる「護憲」の立場になるのだろう…
しかし、僕は決して左翼ではない。社民党や共産党の主張など、耳障りの良い
ことを叫んでいるだけで、「寝ぼけたことばっかり言うなー!」と腹が立ってくる。
では、なぜ改憲に反対かというと、たとえば自衛隊の存在を明記したとしても、
そりゃ見た目にわかりやすくなる。けれども、それは表面的なことであって
集団的自衛権や、自衛の範囲、武力行使など、一義的に明記することはできないだろう。
その場合は、やはり解釈によらざるを得ない。今のままで、憲法を改正しても、
また新たな解釈の問題が出でくる。そうした場合に、「やっぱり、前の憲法に
戻しましょう」なんてことはできない。普通の法律ではなく、「憲法」なんだから。
一体何のために、憲法は改正手続きを厳格に要求しているのか。それは、憲法が人権の
最後の砦だからである。「憲法なんかで人権が守れるのか?」という疑問も呈されるだろうが、
戦前の悲惨な状態から、今の状態に至った根本には、憲法があるのである。アメリカからの
押し付けだとか寝ぼけたことをいうもんではない。
もちろん、時代が大きく変わっていることは感じる。時代と共に、国のかたちが変わるように
憲法も変えていかなければならない。憲法は国のかたちをあらわすものだから。
でも、今のままで、国会議員主導で、憲法が変えられてしまって良いのか。私たち一人一人が
「今の憲法のままで、何が問題なのか」を考え、これからの、「日本」という国のかたちを
考えなければいけない。