さ て、みなさん

最近のニュースをピックアップ!そして、若干のコメントを。

女性・女系天皇

2006年01月31日 14時21分49秒 | 政治

皇室典範に関する有識者会議報告書

 私は、女性天皇および女系天皇を認めることに賛成である。 

 1月27日付産経新聞の「正論」に西部邁氏が寄稿されている。西部氏も女性・女系天皇が認められるべきだとしており、産経新聞の主張とは毛色の違う。この人の著書を読んだことはなく、真正の保守思想とか言われているところはよくわからないが、基本的に私の考えと合致する。

 産経新聞のHPには掲載されていないので、いくつか引用させてもらうと、

 『天皇制において連続性を要求されるのは「天皇の血統」なのか「皇室の家系」なのか。両者が合致するのが理想ではあるが、それに不都合が生じているというのなら、優先的に考慮さるべきは後者の家系のほうである』

 『現在、天皇は文化的な元首であり、政治的元首は総理大臣である、という輿論が定着しつつあるようにみえる。それでよいというのなら、(慣習ではなく)伝統を保守するとの見地に立って、女帝・女系の可能性を天皇制において容認すべきだ。いずれにせよ必要なのは、天皇制への文化論的解釈であって、それを生物学的に論じることではない』

 これらの考えに加え、やや長くなるが、私が「女性天皇および女系天皇」を認める理由を述べる。

 明治憲法では、その第一条において、 「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定されている。ここでいう万世一系というのはいうまでもなく、男系の血筋が維持されてきたことを意味するだろう。

 しかし、日本国憲法およびその下位の法律を見ても、「万世一系」という言葉は存在しない。もはや天皇は現人神でもなんでもなく、生身の人間なのである。つまり、日本国憲法が制定された時点で、「万世一系」というのは断ち切られたと見るべきである。そういう認識の中で、今の「天皇制」は維持されているのである。

 そうであれば、父親が天皇の血を引くかどうかは問題ではない。全く天皇の血筋ではない、全くの部外者が天皇となることは容認しないが、母親か父親に天皇の血を引く者であれば、それで構わないと思われる。

 であるから、有識者会議の「長子優先」という結論を支持する。「天皇制を安定的に維持する」ということを最大の目的とするのなら、この結論は妥当である。

 これに対し、これまで2000数百年続いてきた伝統をたった10ヶ月足らず、実質数十時間の審議で変えてしまうのはあまりに拙速ではないか、旧皇族を復活させるなど他にも男系を維持する方策を模索してみてもいいのではないか。また、「女性天皇」と「女系天皇」の違いを国民が未だ十分に認識できていないのに、これで国民的合意が得られるのか、という批判もよく耳にする。

 男系を維持させる方策としては、①旧皇族を復活させる、②側室制度を天皇家にだけ認める、ということだろう。

 まず、①について。旧皇族とっても今や普通に民間人として暮らしているのであり、今さら皇族に引っ張ってくることは現実的に可能なのか。それができたとしても、今の皇族にここ何十年女の子ばかりしか生まれて来ないように、いずれ旧皇族の男系の血筋も絶えてしまうという事態も十分に考えられる。 

 次に、②について。これまでは側室という制度が機能していたからここまで男系が続いてきたのだが、現代においてこれは容易に認めることはできないだろう。それを認めたところで、そこに入る女性が現れるのか、いたとしてもその女性に対し国民からどういう目を向けられるか、そもそも天皇、皇太子らがそれを望むとも思えない。 

 このように今のまま、男系を維持することは現実的に困難なのである。それなのに男系にこだわろうとするのは、自分の血を皇統につなげられる女性天皇の婿に対する男性の嫉妬とも思えてくる。また、これ以外の方策としては、もはや遺伝子操作等で男系を残すというタブーを打ち破ることしかないのではないだろうか。

 たしかに、今すぐに結論を出す必要はないかもしれない。小泉首相は今国会において皇室典範の改正を成し遂げたいようだが、必ずしも今国会での成立にこだわらなくてもいいように思える。あと2,3年、国民を巻き込んだ議論をしても良いだろう。

 しかし、この問題は、あと10年、20年議論したところで、統一的見解を示すということはおそらく無理であろう。ひょっとしたらその議論の過程で、ますます溝が深まるかもしれない。それならば、ここで一定の方向を示すことが必要であろう。

 最後に付け加えておくが、私はフェミニストでもないし、天皇制廃止を目指す左翼勢力でもない。天皇陛下あるいは天皇家に対し、敬意を払わないというわけではない。実際、皇族の方とお会いすることになれば(そんな機会は訪れないだろうが)、特別な感情を抱くだろう。そして、今後も天皇制が維持されることを切に願っている。

 私は、有識者会議がいうように、あくまで「天皇制を安定的に維持する」ためには何が必要か、という現実的な観点から、「長子優先」という結論を支持するということである。


ホリエモン逮捕

2006年01月23日 17時29分54秒 | 社会

ライブドアの堀江社長ら4人逮捕…証取法違反容疑 (読売新聞) - goo ニュース

 彼は拘置所の部屋の中で、何を考えているのだろうか。「いい夢見させてもらった」という心境だろうか。人生、誰でも山あり谷ありではあるが、彼ほどの落差を経験できる人はなかなかいないだろう。

 今、新聞やテレビはこの問題で持ち切りある。その中で、「ホリエモン考」として、堀江貴文という人の行動や思考をどう評価するか、様々な論者が見解を述べている。

 例えば産経新聞の社説。昨年のニッポン放送およびフジテレビの騒動のときも、産経新聞は「メディアの公共性」云々と言って、堀江氏の行動に疑問を投げかけてきた。そういう立場からすると、今回の問題は「これはしたり」と言わんばかり、自分たちの主張を正当化させようとしている。

 もちろんそういう考え方もあっていいし、良いとも悪いともいえない。ただ、これは産経新聞に限ったことではないけれど、堀江氏の数々のエキセントリックな発言、例えば、「人の心も金で買える」「新聞とかテレビを殺していく」「法律で禁止されていなければ何をしてもいい」という発言をそのまま鵜呑みというのか、文字通り受け取って、それは良くない、間違った考え方だ、とする論調はどうかと思う。

 私は堀江氏をかばう気持ちは毛頭ない。今回の問題も「身に覚えはない」では済まされず、客観的に見て法律に違反しているなら、しかるべき裁きを受けなければならない。

 しかし、それと堀江氏の発言の評価は別である。ある本の一節に、「極端な主張は、往々にして、真理の一面を誇張した形で突いているが、真理そのものではない」とある。これは、堀江氏の発言にも当てはまると思う。おそらく、堀江氏も心の底から「金さえあればなんでもできる」と思っているのではないだろう。

 例えば、「新聞とかテレビを殺していく」という発言も、以前にも考えたことであるが、インターネットが普及しメディアが多様化する中で、既存のマスメディアは今後、どのように存在価値を主張していくのか、という問題提起であるし、また、「法律で禁止されていなければ何をしてもいい」というのは、たしかにそうで、決められたルールの範囲内の行動について、倫理的に問題があるとかどうとかいうのはおかしい。今回の問題は決められたルールの範囲を意図的に超えていたか、確信犯的に範囲内の行動であると思っていたことが、客観的にルールに違反していたということである。倫理的にどうこう言っていては経済活動は成り立たないのではないか。

 と、これが私の「ホリエモン考」である。


米産牛肉、再禁輸

2006年01月21日 23時08分08秒 | 社会

BSE危険部位混入 牛肉輸入停止 米、信頼回復に腐心 (産経新聞) - goo ニュース
米国産牛肉、再び禁輸に 成田の検疫で危険部位発見 (朝日新聞) - goo ニュース

 成田空港の検疫で発見されたアメリカ産牛肉のニュース映像を見ると、「私が脊柱です」と言わんばかり、一目瞭然で、脊柱があることがわかる。輸出業者が条件、基準をよく把握していなかったと言われているが、あれをみると素人でもわかりそうなもんだが…アメリカと日本の危機意識の差がよく表れている。

 輸入が再開されたとはいえ、スーパーなどの肉コーナーをみても、アメリカ産はなかったようだが、販売店も消費者の反応をみながら、という感じなんだろうか。関西のある焼肉店では、アメリカ産牛肉のメニューが登場し、実際食べている人がニュースでも取り上げられていたが、その人たちは今、どんな気持ちなんだろう、と考えてしまう。ある程度、リスクは覚悟していたのだろうけど。

 こんなゴタゴタが続けば、ますます日本の消費者の不信は募る一方である。それにしても、アメリカの消費者はこういう問題をどう考えているのだろうか。肉が主食のようなアメリカ人は、日本人以上に敏感に反応しなければならないはずなのに、アメリカの消費者の反応はあまり伝わってこない。

 科学的に言えば(専門家ではないが)、日本の基準の方が安全性が高いといえるのに、なぜアメリカは素直に、日本向けの肉だけでなく、自国の検査システム全体を見直さないのだろうか。何百万、何千万頭の牛をすべて厳格にチェックするなんてことは、手間もコストもかかり過ぎるということなんだろうけど、やはり、アメリカはもっと謙虚になって、安全性を高める体制を取らなければならない。日本みたいな小国の意見など聞きたくないのかもしれないが、自国民の将来のためにと思って。


ライブドア・ショック

2006年01月18日 19時35分46秒 | 社会

東証、全銘柄の売買停止 ライブドア事件で売り殺到 (朝日新聞) - goo ニュース
ライブドア黒字14億円偽装か 粉飾決算の疑い (産経新聞) - goo ニュース

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。…」

 まさに、この平家物語の一節があてはまる光景である。いつの時代もこういうことが世の常であるが、ホリエモンは何でも「想定の範囲内」であるとして、こういう思考を一蹴してきたように思える。が、さすがに粉飾とまで言われると、どうしようもないだろう。随分、アコギなことをやってきたようだ。監査とかはどうなってたんだろう。

 それ見たことか!と言わんばかりに、亀井氏らが反撃を試みているが、それはそれで醜いことだ。「我が息子です!」と選挙応援であれだけ持ち上げていた偉大なるイエスマン、武部幹事長も、「いや、自民党としては公認も推薦もしてないんで…」と、すっかり見切りをつけている。

 ライブドアが今後、どうなるかはわからないが、こういうことがまかり通っていたとなると、日本の証券取引の信用が大きく揺らぐことになる。東証にはこういう場合に対応するためにシステムの早急な改善が求められる。


オジャマモンとホリエモン

2006年01月17日 23時01分56秒 | 政治

「非姉歯」拡大なら底なし 国交省、木村の169件重点調査 (産経新聞) - goo ニュース
安倍長官秘書に相談 問題発覚でヒューザー社長 (共同通信) - goo ニュース

 なぜ、このタイミングでライブドアに強制捜査が行われるのだろうか。たまたま、と言えばそれまでだが、証人喚問の前日というタイミングに、国会および行政と検察庁のズブズブの関係が見え隠れする。

 マスメディアの役割、使命はこういう関係を明らかにし、権力と戦うことにある。「時代の寵児」ともてはやされてきたホリエモンの凋落していく(かもしれない)様子をみるのも愉快なことかもしれない。しかし、マスメディアには、今何が大事なのかを自覚して、裏には何があるのか、ということにまで迫って、それを明らかにする責務がある。

 さて、オジャマモン。「あなた、何しに来たの?」とどこかの議員も言っていたが、本当にそういう印象だ。人間誰でも自分の身が恋しいわけで保身にはしっても構わないが、もう、ここまで来たら、洗いざらい白状して、関係する議員や行政職員らを道連れにして地獄に行ってやる、ぐらいの男気?を見せてほしかった。証言のたびに、補佐人の弁護士といちいち相談する姿も見苦しい限りである。

 民主党議員は次期首相候補、安倍官房長官との関係まで言及した。傍聴された住民の方も言っていたが、自民党と民主党の戦いの構図も見え隠れしている。それはそれで構わないが、この前の証人喚問ともっとリンクさせて、証拠テープや資料を用意して、証言せざるを得ない状況に追い込まなければならない。でないと、こんなことを繰り返しても進展がないように思える。

 もっと追及の上手い、元検察庁職員の議員とかいないのかねぇ。国会と検察庁、仲良いのだからいくらでもリクルートできるでしょ…


靖国再考

2006年01月15日 19時38分51秒 | 

自民総裁選、今後の選挙に勝てるかが大きな要素=小泉首相 (ロイター) - goo ニュース

 先日見た「男たちの大和」のような戦争映画あるいはドラマを見ると、やはりどうしても靖国神社のことを考えてしまう。

 個人的には靖国神社に参拝したいと思う。小泉首相は、靖国参拝は「心の問題」であるとし、先の戦争でなくなった人たちに、尊い命の犠牲の上にこれまでの日本の発展があることへの感謝と、あの悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いを捧げる。このことに私は何の異存もない。こういうことに少しの理解も示さない隣国の意見など聞く必要はないのである。

 こう考えると靖国問題は外交問題ではない。では、内政の問題であるとして、どう考えなければならないか。小泉首相の言動から察するに、外交的にのみならず、内政的にも、「心の問題」であるとして、とやかく言われたくないと考えているように思われるが、それでいいのだろうか。

 それは違う。小泉首相は自分の信念を「参拝」という形で対外的に表出しているのであり、もはや「心の問題」にとどまらない。「心の問題」というなら、たとえば東条英機を崇拝しているとしても、心の内部にとどめている限り、それは全くの自由である。小泉首相が東条英機を崇拝しているとは思わないが。

 問題なのは、小泉首相がどういう信念を持っているか、ということではない。小泉首相が内閣総理大臣という地位にあって、「靖国神社」という一宗教施設に過ぎないところに参拝することが憲法上許されるのか、ということである。

 結論から言うと、以前から考えている通り、内閣総理大臣が靖国神社に参拝することは憲法20条3項に違反し、許されない。目的効果基準に照らしても、総理大臣の主観がどうであれ、参拝行為を客観的、外形的に評価すれば、宗教的意義を有するものと言わざるをえない。靖国神社が他の宗教団体とは異なるという印象を国民に与え、それは靖国神社および神道への援助、助長である。よって、国と宗教の過度のかかわりあいが認められる。

 昨年10月、大阪高裁判決の傍論の中で、裁判官が「靖国参拝は違憲」と述べたが、これに対して、「これは傍論なんだから無視すればいい」「国側は上告もできず、反論の機会も奪われ不公平だ」云々の意見が出た。たしかに、傍論には法的拘束力はない。だが、公務員その他は、憲法99条で憲法尊重擁護の義務が規定されている。

 裁判があろうがなかろうが、憲法と自分の行動をあわせ考え、その関係におけるハードルをどうクリアするのか。つまり、小泉首相は自分の行動が、なぜ政教分離には反しないといえるのかを明らかにしなければならない。イラクに自衛隊を派遣する際には憲法前文を持ち出し、その正当性を主張したが、都合のいいときだけ、自分の言いように解釈して憲法を持ち出すことが許されるのだろうか。

 「心の問題」であるというのなら、靖国神社でなくとも、静かに御霊に手を合わせる、それで十分ではないか。であるから、A級戦犯を分祀するとか、形だけの国立追悼施設を作るなんてことは考えなくてよいのである。靖国神社は今のまま存続し、それに政治が関わらなければ済む話である。

 ※ちなみに、今朝のサンデープロジェクトに民主党の前原代表が出演していた。迫力がないとか、統率力がないとか言われているが、今朝の田原氏とのやりとりをみていると、しっかり自分の立場を明らかにしていて聞いていて心地よいものも感じた。この人の下で、一致団結とまでは言わなくても、政権を現実的に担える集団であると国民にアピールできれば、自民党なんて簡単に打破できるのではないかと、思えた。

 その発言の中で、靖国には参拝しないと述べていた。他に興味深かった点、集団的自衛権を含む憲法改正の問題、女系天皇は認めても良いとの述べていたが、その皇位継承の問題、この2つはまた後日、考えをまとめたい。


男たちの大和

2006年01月13日 23時27分51秒 | 映画

男たちの大和/YAMATO男たちの大和/YAMATO

〈評価〉 ★★★★★

 涙なしには見られない、素晴らしい作品だった。

 このような戦争を二度と繰り返してはならないという思いと同時に、いざというときには国のため、家族にために戦わなければならないという思いも強くした。

 幾多の尊い命によって守られた日本、その60年後の今の姿は、彼らが思い描いていた国であろうか。先人たちが、自分の命をかけてまで守る甲斐があったと、自分の犠牲に意味はあったと、あの世で思ってくれているだろうか。今を生きる若者として考えざるを得ない。

 また、夢や希望、やりたい仕事を追い求めることがすべてなんだろうか。最高のことなんだろうか。そんなことも考えさせられた。

 先人たちに静かに合掌し、この思いを胸に刻んで生きていくと誓う。


謹賀新年

2006年01月03日 20時00分08秒 | たわごと

 あけましておめでとうございます投稿は途切れがちで、このブログもいつまで続けるのか不明ですが、またボチボチ、大きなニュースを中心に野次馬的なコメントを発信して行こうと思います。

 特にネタがないので、年末年始の話題を少々。

 ■まず、紅白歌合戦について。「大晦日の夜は紅白で!」という子供の頃から植えつけられた潜在意識があって、今年も見てしまった。そんなに真剣には見なかったけど。

 感想としては、相変わらず、「紅が勝つか、白が勝つか」ということにこだわった演出だった。毎年思うことだが、「紅が勝とうが、白が勝とうが、そんなことはどうでもいい!」。出場歌手の皆さんも本音ではそう思っているでしょう。

 大晦日ぐらい競争社会の意識から抜けさせてくれ。どっちが勝つかよりも、もっとエンターテインメントとして充実したものを提供してほしい。

 ■次に、箱根駅伝について。毎年楽しみなわけではなく、「正月早々大変やな~」と思いながら見ている。それと、例年以上に他の正月バラエティ番組がひどすぎて見るに耐えない。それならテレビを消して本でも読めばいいんだけど、それもなんか寂しいし。

 そんな中で箱根駅伝。特に復路を見ていた人は何かしら心を揺り動かされただろう。順天堂大学、8区走者難波裕樹選手。脱水症状になり、ふらふらになりながらも、必死でタスキを次につなごうとする姿に自然と胸が熱くなった。人生の中で、誰かのために、何かのために、自分の命をかけられるということは何ものにも代えがたい財産だ。

 ただ、今回は大事には至らず済んだが、彼はかなり危険な状態だったことは確かで、ここまで命の危険を冒してしまうことを素直に認めていいのだろうか、とも思う。こういう状態になったら、なんらかの早急な処置を取れるような体制、ルールも少し考えてみるべきだろう。水を差すようで悪いが、「感動をありがとう!」だけでは済む話ではない。

 以上、正月雑感でした。