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裁判員制度

2005年04月17日 23時52分43秒 | 
刑事裁判「参加したくない」が7割 裁判員制度で調査

 裁判員制度は2009年までに実施される予定である。
(まで、ってことは来年、再来年に始まってもいいんだろうけれど、
この調子じゃあ、2009年からになるだろうな。)
今は、国民に制度を知ってもらう周知期間と言う位置づけである。

 7割が参加したくないというのは、予想される範囲内か、それとも、多いと見るべきか。
どっちにしても、制度が始まるということは知っているが、
実際、どういうものになるのか、具体的な運用の場面をイメージできないのだろう。

 裁判員制度導入の目的は、国民の司法への理解の増進を図る点にある。
だから、まだ制度が始まっていない現時点において、国民の理解が不足していても仕方ない
ともいえるが…。
参加したくない人がこれだけいるってことは、別にこんな制度なくても問題ない、
と思っている人が多いともいえる。

 そもそも、裁判所を民主化させること、裁判所に民意を反映させていくことはことは
必要なのだろうか。
 「こんなひどいことをした奴は厳罰に処すべし」という民意に、
裁判官も呑み込まれてしまった場合、誰が被告人を公正な目で見るのか。
また、「裁判が長い」ということから、迅速性のみを追求すれば
被告人の防御の機会が減り、事件の真理は見えなくなってしまう。
 
 こう考えると、こんな制度はなくてもいいんじゃないかとも思える。
しかし、今の司法と国民の間にある溝は、もっと埋めなければならないし、
埋められると思う。

 裁判員として、裁判に参加することによって、そこで貫かれている正義を
感じることが出来るだろう。例えば、殺人事件の場合、「人を殺した奴は
みんな死刑だ」という単純な結論はとれない。それぞれの事件で
「事実は小説より奇なり」というように、事情が異なる。
殺人犯と言っても、極悪人とも思える人間もいれば、
やむにやまれず殺してしまったという場合もある。たとえば、
尊属殺違憲判決の事件で、実の父に年少時から性的虐待を受け続け、
子どもまで生まされてしまった女性が、ついに耐えられず、父を殺してしまった
ような場合、こういうときにも重罪に処すべきだと言えるのだろうか。

 こういう様々な事件を通じて、そこで実現される正義だとか、公正だとか、
信義だとか…いまどき流行らないようなものを体感できる機会が与えられる。
そういうものを体感すれば、「何か」社会が変わるんじゃないか。
今の殺伐とした時代が変わる、少なくともきっかけになるのではないかと信じる。

 だから、僕は、ぜひとも参加したいと思う。
ただ、裁判員になったときに、仕事、身分保障はどうなるのかといった
運用面での問題はある。それは今後詰めていく必要がある。

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