「はじまりは日本舞踊」 

 美作流との出会いが人生をかえました。世界はあざやかに輝き、心は自由に、踊っている時間は本当の自分に戻れる気がします。

身体を分けてよ

2011年02月01日 | 日本舞踊
さてさて集合稽古に来ております。

ここまできたら、私自身の演目にいざ集中。

京鹿子娘道成寺より恋の手習い

でごじゃりまする。
恋を手習う手はずでごじゃります。

いわゆるひとつの

道成寺のクドキと呼ばれる部分。

私位の年齢で踊るのがちょうどよいらしい。

なぜなら

恨みの感情が解るから!

これには納得。


おそろしや~、おそろしや~。

私だって若けりゃ踊りたい。(師匠談)
らしい。

振りは大して難しくはない。複雑でもない。

しかしこれが一番ムズイのである。

身体が全然使えとらん(泣)

ぜ~んぶ塊で動いちまいます。

こりゃ~大いにまずい。

病みあがりとか肩こりとかは関係ない。これは根本的に問題ですぞ。

身体を分解して意識せよ。

細かく細かく意識をつなげよう。



どうしたって最終的には、

人間的な未熟さにたどりついちゃう訳ですが、

泣いても喚いても
だ~れも助けちゃくれませぬ。

先生はただ静かに微笑むだけじゃ。

まだ一回だけだけど、というのが言い訳だけど、

やっぱ古典てのは奥が深い(笑)


若くても

踊れまへん(泣泣)

手も足も出ません感が

久しぶりに襲ってきました。

だるまさんが転んだ(笑)