ひとり井戸端会議

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「派遣切り」という表現は不適切

2009年01月23日 | 社会保障関係
「派遣切り」使わないで 派遣協会が報道機関に要望(朝日新聞) - goo ニュース

 人材派遣会社でつくる社団法人「日本人材派遣協会」(東京)は20日、「派遣切り」という言葉を使わないように要請する文書を各報道機関に送った。「契約の中途解除を指すはずなのに、契約終了後に更新しないことも含めて使われている。『切る』という言葉自体のイメージもよくない」としている。
 厚生労働省は「派遣切りという言葉について定めたことはない」と話している。
 派遣協会は「派遣切り」について、「派遣元と派遣先の間での契約の中途解除」のことだと主張。契約が終わった後に更新しないのは派遣労働者の「雇い止め」であって「派遣切り」ではないとし、「報道で多く使われている用語は正確さを欠く」と訴えている。
 協会企画広報課は「最近の報道ぶりのせいで、派遣労働者から『誇りを持って働いているのに、派遣だというだけで同情される』という声が寄せられている」と話している。同協会は、業界全体の約1割とされる819社で構成される。



 もっともなことだと思う。このように言うと情緒でしか物事を判断できない人たちに批判されるだろうが、「派遣切り」という言葉の中に、企業に対しての憎悪、敵対心があることは否定できず、それにもかかわらずこの言葉を使い続けるということは、それはマスコミ等が国民を一定の方向にアジテーションしているということになる。感情論では非生産的な水かけ論になり、企業・労働者双方にとってもよい結果にはならないはずだ。



 現在、労働者派遣に対する規制が争点になっているが、派遣の規制については反対だ。そもそも、アメリカのリーマンブラザーズの破綻に端を発する急速な世界経済悪化という事態になるまでは、派遣労働者もきちんと賃金の支払いを受け、生活ができていたではないか。ということは、派遣そのものが悪いのではなく、派遣労働者に対するセーフティネットの不備こそが問題なのではないか。

 確かに、派遣というものは景気の良し悪しに左右される雇用形態であるということは否定できない。そして正社員よりも不安定な地位に置かれていることも認めざるをえない。しかしながら、多種多様な働き方があってもいいし、自分のスタイルに合わせてお金を稼げる派遣という雇用形態は、働く側にとってもそれなりのメリットがあろう。したがって一概に、「派遣切り」=悪、と決め付けるのは行き過ぎではないか。



 今我々の生きている世界はグローバリゼーションが進展し、否応なくその中で生きていかなければならない。江戸時代のように日本だけが鎖国をするわけにはいかない。グローバルな環境において企業に求められることは、同業の他国そして自国の企業と国際競争をしていくにあたり、いかにして勝ち残っていくか、そのためにはどうすればいいのかを考えることだ。製造業でいえば、いかに安くそれでいて良質なモノを提供できるかということだ。それができなければ企業そのものの存続が危ぶまれる。企業自体が競争に敗れて潰れるとなれば、派遣労働者も結局は路頭に迷うことになる。

 そこで派遣労働者の存在は、企業にとって大きい。正社員よりも安い賃金で働いてもらえ、それによってコンスタントに良質かつ安価な商品を製造できるからだ。派遣労働者の雇用契約中途解約に同情し、企業を批判してしている人たちも、実は今まで派遣による恩恵を受けていた(現在も受けている)のだ。このことを忘れてはならない。



 そして、派遣労働者も誰から強制されることなく派遣という立場を選んでいることも忘れるべきではない。職を失った彼らに向かって、あなた方の先見性が足りないことの結果だとは毛頭言うつもりはないが、派遣という地位を選んだのはあくまでも自分自身であり、なかには派遣労働者という身分を自ら積極的に選択した人もいるということを認識しておきたい。

 とはいっても、この現状を看過していいわけがない。労働者にとって失業とは所得の喪失を意味し、所得の喪失とは生きていく上で死活問題である。しかも、就労意欲のある人たちを無為に放置しておくことは、経済発展上も好ましくないはずだ。利用可能な労働力を利用しないということは、国民にとってもまた損失なのである。麻生氏は2兆円もの税金を定額給付金と称し、各家庭に分配するという。しかし2兆円はそうした使い方ではなく、雇用保険財政の立て直し、失業者の生活の安定を図りつつ求職活動を支えるための資金として活用すべきではないか。

 派遣労働者とは正社員とは異なり、景況に応じて雇用関係に変動が生じやすい。そうした派遣という立場の特殊性を考慮に入れつつ、安心して派遣労働に従事できるような社会保障体制を整備することのほうが、派遣労働をいかに禁止ないしは規制するかといった議論よりも重要なはずだ。



 話が逸れたが、派遣切りという表現は、記事にもあるように派遣というだけで哀れみをもってみられ、派遣労働者という立場を不当に貶めている。派遣であっても自分の職業に誇りをもって仕事をしている人もいるはずだ。よって、派遣という雇用形態の正確な理解を妨げるおそれのある「派遣切り」という表現は不適切であり、報道各社に使用しないよう求めた日本人材派遣協会を支持したい。

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2 コメント

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Unknown (何某)
2009-01-29 10:35:06
私も実情把握すら歪ませる可能性があることには懸念を覚えます。「派遣」といっても製造ラインで働く単純労働者と高度の専門知識を持った本来のプロフェッショナルの「派遣」の方もいっしゃるわけで。

「派遣切り」としてしまうと「失業者問題」という一般的見方や製造業で働く派遣社員さんの特殊的見方、それに連なる派遣法改正の背景や労働環境の問題、セーフティネットの問題すら後景に押し去られヒタスラに経営者の雇用調整問題、横暴と映る可能性があるように思います。
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何某さん (管理人)
2009-01-30 00:07:08
コメントありがとうございます。

そうなんですよね。一口に派遣と言っても、現在話題の製造業等の派遣もあれば、ご指摘のような派遣もある。これらを故意にかどうかは別として、ごっちゃにして論じることは、派遣労働者のためにならないことはもとより、日本経済にもマイナスだと思います。

>ヒタスラに経営者の雇用調整問題、横暴と映る可能性があるように思います

これがある意味狙いなのではないかと思います。
どうも雨宮カリン等のネオレフトがこの運動の先頭に立っているように思われ、彼らの基本スタンスは共産主義のように、労働者は搾取される存在、企業は搾取する存在というような、ステレオタイプの闘争史観でこの問題を把握しているように思えます。
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