ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

「数の暴挙」という筋違いの批判について

2007年05月14日 | 国政事情考察
 今日、参議院において、自民・公明の与党の賛成多数によって、懸案であった「国民投票法案」が成立しました。今まで憲法改正についての法律がなかったことこそ不自然であって、遅きに失した感は否めませんが、今回の同法の成立を評価します。
 ただし、今回の法案成立は憲法改正への「手段」であって、「目的」ではないのですから、与党には今後とも気を抜かずにしっかりと憲法改正への下地を、民主党と協議して叩き上げて欲しいです。

 さて、今回の同法の成立に対して、野党などからは「数による暴力」「数の暴挙」という批判が出ています。最近、このフレーズをよく聞くのですが、彼らの間では流行っているのでしょうか。

 なるほど、確かに数による成立であったことは確かです。しかし、それが民主主義国家における基本ルールである以上、上記のような批判は不謹慎です。しかも、国政を担う政治家がこういった発言を行うことなど、本来ならば言語道断であり、断じて許されてはならないことだと思います。

 日本のような間接民主制を採用している民主主義国家では、国民の選挙によって選ばれた人物が国政に送り込まれ、国民の意思を反映するのが大原則です。そして内閣を形成する政党は、国民の多数から支持を得、信託されているから政権政党たり得るのです。野党は、与党を批判し、監視し、時には同じ歩調を採り、政治を動かしていくのが役目です。しかしながら、与党と違うのは、与党という政権担当政党よりも、国民に支持されていない、というところです。もちろん、野党も同じく、国民から選び出された政治家によって形成されます。こんなことは、常識です。

 ここで、このような「常識」に敢えて言及したのは、野党がこのことをよく理解できていないような気がしたからです。「数の横暴だ」と批判したいなら、自分たちも与党に負けないような魅力ある政策を打ち出し、選挙で勝負し、政権を取ればいいじゃないですか。

 野党だからできる批判ですよ、こんなのは。仮にこんなこと言っている野党だって、政権を担い、自民が反対する中、何らかの法案を強行採決しても、決して自分たちのやったことを「数の暴力」なんて言わないでしょう。そういえば、社会党が野党第一党で、憲法改正を阻止できるぐらいの議席数を有していたときは、こんな批判、していませんでしたよね。

 民主主義国家である以上、意見の対立があり、見解が割れることは当然出てきます。そこで多数決の原理が作用するのです。そして、多数決の原理が採用される根拠は、その多数は国民の多くから信託を受けていることにあるのです。「数の暴挙だ」などと、民主主義の根底を覆すような批判をしている暇があるのなら、自分たちがどうやったら国民から多くの支持を受けることができるのかを考えてはどうでしょうか。

 自分たちの意見が通らなかったからと言って、その逆恨みをするのは、見ていて見苦しいですし、そういった人の見識も、有権者は疑ってしまいますよ?

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