ブログのタイトルを変更してみました
検索にかかりやすくなるようタイトルを工夫をしているというブログを読んで
真似してみました。
さて、最近行ってきた講演会とシンポジウムの紹介
一つは生活支援香取が紹介していた
日浦さんの講演会
前日にチラシを見つけ(ホーム内に貼ってあったのにそれまで気付かなかった)
香取さんにどうしても聞かせたくて一緒に行ってきました
養護学校から、作業所、社会福祉法人訪問の家「朋」、横浜療育医療センターにつながる
日浦さんと一人一人の利用者の話しに
恥ずかしながらずっと泣きっぱなしでした
私は若い職員だったころ当時の所長の石橋に勧められ
「朋」に1週間、体験に行かせてもらいました。それも2回。
そのころの思いを思い出しました。
日浦さんが利用者や家族のライフステージに沿って、
現在横浜療育医療センターの会長をされているという事実に納得しました。
だとすれば、作業所で奮闘したり、「朋」を作ったりしたころの日浦さんの仕事は
もしかしたら今は私がするのかもしれない。
日浦さんのようなやり方はできないかもしれないけれど
自分なりなやり方で引き受けなければならないだろうと思いました。
私は「朋」を今まで「日浦さんのところ」と呼んだりしていましたが
それは私の思い違いでした。
当たり前だけど「朋」は、「通ってきている利用者の方の場所」なのです。
新人職員に聞かせたいと思った講演会でしたが
実は今の私にとって必要な講演会でした。
もっと多くの方が聞くべき話しだと思います。
もう一つ。
昨日、横浜ラポールで開かれた
横浜重心グループ連絡会 ぱざぱネットの拡大学習会シンポジウム
「重症心身障がい者のグループホームでの暮らしを実現させるために
~生き方が選択できてこその人生~」
私が福祉の仕事に関わり始めたころからの友人
三浦茂雄君が社会福祉法人キャマラード共同生活支援部部長!として
講演をするというので応援に行かなければと思い参加させていただきました。
三浦君は髪形と服装がホストっぽいこと以外特に問題なく誠実に講演をこなし
勤務しているケアホーム「スマイルホーム」の魅力を存分にアピールしていました。
私はシンポジウムの最後である家族が発言された
「障害を持った彼(発言者の息子さん)が親亡き後も
自分の家で暮らすという選択肢はないのでしょうか」
という言葉に衝撃を受けました。
親亡き後の施設入所に代わる選択肢としてグループホーム、ケアホームを考え、
そしてその実現性の困難さばかりを見て
本来の本当の選択を忘れていた私を恥じました。
福祉にまみれて当たり前を忘れているのかもしれないという危機感を感じました。
重症心身障害者のケアホームは現在本当に限られた社会福祉法人にしか
運営ができないのが現状です。
ニーズは増え続け、全てのニーズにこたえるにはケアホームの増設、雇用の問題など
課題が山積みです。
グループホーム全体に話しを移せば、その形態特有の問題として、
虐待や、職員育成の難しさ、給与基準の低さなど
運営に携わる者の思いだけで克服できない問題が数多くあるのが現実です。
どんなに重い障害を持っていても、すべての人がその人生の中で
生き方を選択できるようになるために
一法人や、それぞれの親や、三浦君のような一人一人だけが頑張るだけでなく
社会全体が支えるようになるために
みどり福祉ホームと私がなにをすべきだろうと考えます。
行政に実状を訴えるということ。
みどり福祉ホームがグループホーム・ケアホームの運営の可能性について
考え始めるということ。
気楽に行ったシンポジウムで重い宿題をいただきました。
原点につながる話をもう2つ
みどり福祉ホームで活動している訓練会 さくらんぼ会が
40周年を迎えられます。
おめでとうございます。
記念誌ができて私も一言だけ寄せさせてもらっています。
私の地域活動ホーム職員としての原点を書かせてもらいました。
もう一つは土曜日の余暇(ヨガ)活動で再開した知的障害の青年。
彼とは私が若いころ勉強しに行っていた自主訓練会で会っていました。
すっかり体つきががっちりして、でもちっとも変っていないところもあって。
その場所は私の重症心身障害者の身体を触る際の原点となる場所です。
素敵な先輩が生意気な私をやさしく迎えてくれました。
今でも、利用者の身体を触るとき、新しいスタッフに利用者の体を触ることを教えるときは
そのころの経験を思い出します。
原点は変えることはできません。
原点に立ち返ることは誰でもできます。
私は周りの人々から素晴らしい原点を与えていただいたと思います。
若い職員に立ち返ることができるような原点を与えることが
私の仕事なのかもしれません。