みどり福祉ホームに何冊か著書がある
若い大学の先生のTwitter
私は直接会ったことはないのだけれど
(しかも無断転用だけど)
みどり福祉ホーム所長は白髪頭だけど47歳で
社会運動としての障害者福祉の空気をなんとなく吸ってきた最後の世代なのかもしれません
家族会の繰り返されるバザーだとか
活動ホーム建設のための駅前募金だとか(これは話に聞いているだけ)
市庁舎での座り込みだとか
そもそも私が役員の片隅にいる市作連とか活ホ連とかお世話になっている障害者支援センターなんかは
「運動性」を理念に一つに公言しているわけだし
一方
私はアメニティフォーラムに去年行かせてもらったり
日本財団のセミナーでネットの活用法を勉強させてもらったり
全くできていないながらも
社会起業家的なアプローチにシンパシーのようなものを感じているのも隠せないところで
私は戦争が終わって26年たった時横浜の北の方で町工場を営む中流家庭に産まれ
母は専業主婦で末の弟がたまたま重症心身障害児となり
バブルの最後ら辺に5年通った大学を卒業し根拠のない全能感の中20代を過ごし
みどり福祉ホームには20代の前半時給600円のアルバイトから関わらせてもらい
結婚を目の前にボスに土下座し就職試験を受けさせてもらい
他の職場を全く知らず
妻がいて(フルタイムで働いていて)子供が3人いて
私はもう47年生きていて(なんと戦争と私の誕生より私の誕生と今の間の方がずっと長くなったという事実!)
もうすぐ父が死んだ年を超えそうで
仕事なんて
私の自己実現のためにあるのではないと
重々わかっていながら
それでも
仕事や組織は
結局人間がやったり作り上げたりするもので
どうしても心や気分、生まれ育ち、文化みたいのものが滲み出てくる
私はきっとコウモリで
どっちつかず中途半端だけど
経営者と言われることに反発しつつ
定期昇給や賞与の額や、労基や、法改正に小心に反応し
両方の気分を知っているということを強みとして(ネガティブにとらえてなにかいいことでもあるの?)
障害のある方と家族と困り感を抱える方の側に寄り添うということだけは忘れないように
寄り添い続けられる組織や仕組みのために
(究極的には僕たちが仕事で寄り添わなくてもなんとかなる社会を作るべきなんだけどとりあえず)
一緒に働く人たちの生活や生き方や多様性も尊重しつつ(寄り添うために尊重するという順序は曲げず)
行政や世間とも場合によっては仲良く喧嘩しなければならない
なんて
夏休みのない
職場の事務所の中で
考えています
(常勤職員の夏休みはかわりばんこで私の夏休みは6月)
当事者性の話しでいうと
市作連の役員である脳性麻痺当事者の方が言ってたけど
「当事者の力が落ちてるんだよ」
サービスありきの社会になって
家族はサービスを受ける人になってしまい
運動の仕方を全く知らなくなったという話しもよく聞く
私も
色々な会議で当事者を抜きにして
気が合う同業の同世代とばっか会って話し込んでるのかもしれない
私も
子供の一人がもし重度重複障害児だったら
妻に仕事を辞めろっていうか私が辞めるか
やっぱり必死になってつてを使ってもサービスで埋めるだろうな
訓練会には行かないかもなもしかしたら
妻に仕事休んで訓練会行けとはきっと言わないな
とか
答えはないし
次から次に課題は押し寄せて
夏休みもないけど(自分たちで提案してなくしたんだけど)
みなさま
これからもよろしくお願いいたします
若い大学の先生のTwitter
私は直接会ったことはないのだけれど
(しかも無断転用だけど)
最近残念なのは、社会起業家界隈でロビー活動を過大視する一方、先人が創り上げてきた社会運動のコアの部分を無視したり、過小評価する動きが散見されること。対行政・政治家交渉では、時に空気を読まず「あかんもんはあかん!」と断固闘う姿勢がないと、本当の意味で社会は変えられないのに・・・ https://t.co/rTVNxra5xP
— 竹端寛 (@takebata) 2018年8月9日
みどり福祉ホーム所長は白髪頭だけど47歳で
社会運動としての障害者福祉の空気をなんとなく吸ってきた最後の世代なのかもしれません
家族会の繰り返されるバザーだとか
活動ホーム建設のための駅前募金だとか(これは話に聞いているだけ)
市庁舎での座り込みだとか
そもそも私が役員の片隅にいる市作連とか活ホ連とかお世話になっている障害者支援センターなんかは
「運動性」を理念に一つに公言しているわけだし
一方
私はアメニティフォーラムに去年行かせてもらったり
日本財団のセミナーでネットの活用法を勉強させてもらったり
全くできていないながらも
社会起業家的なアプローチにシンパシーのようなものを感じているのも隠せないところで
私は戦争が終わって26年たった時横浜の北の方で町工場を営む中流家庭に産まれ
母は専業主婦で末の弟がたまたま重症心身障害児となり
バブルの最後ら辺に5年通った大学を卒業し根拠のない全能感の中20代を過ごし
みどり福祉ホームには20代の前半時給600円のアルバイトから関わらせてもらい
結婚を目の前にボスに土下座し就職試験を受けさせてもらい
他の職場を全く知らず
妻がいて(フルタイムで働いていて)子供が3人いて
私はもう47年生きていて(なんと戦争と私の誕生より私の誕生と今の間の方がずっと長くなったという事実!)
もうすぐ父が死んだ年を超えそうで
仕事なんて
私の自己実現のためにあるのではないと
重々わかっていながら
それでも
仕事や組織は
結局人間がやったり作り上げたりするもので
どうしても心や気分、生まれ育ち、文化みたいのものが滲み出てくる
私はきっとコウモリで
どっちつかず中途半端だけど
経営者と言われることに反発しつつ
定期昇給や賞与の額や、労基や、法改正に小心に反応し
両方の気分を知っているということを強みとして(ネガティブにとらえてなにかいいことでもあるの?)
障害のある方と家族と困り感を抱える方の側に寄り添うということだけは忘れないように
寄り添い続けられる組織や仕組みのために
(究極的には僕たちが仕事で寄り添わなくてもなんとかなる社会を作るべきなんだけどとりあえず)
一緒に働く人たちの生活や生き方や多様性も尊重しつつ(寄り添うために尊重するという順序は曲げず)
行政や世間とも場合によっては仲良く喧嘩しなければならない
なんて
夏休みのない
職場の事務所の中で
考えています
(常勤職員の夏休みはかわりばんこで私の夏休みは6月)
当事者性の話しでいうと
市作連の役員である脳性麻痺当事者の方が言ってたけど
「当事者の力が落ちてるんだよ」
サービスありきの社会になって
家族はサービスを受ける人になってしまい
運動の仕方を全く知らなくなったという話しもよく聞く
私も
色々な会議で当事者を抜きにして
気が合う同業の同世代とばっか会って話し込んでるのかもしれない
私も
子供の一人がもし重度重複障害児だったら
妻に仕事を辞めろっていうか私が辞めるか
やっぱり必死になってつてを使ってもサービスで埋めるだろうな
訓練会には行かないかもなもしかしたら
妻に仕事休んで訓練会行けとはきっと言わないな
とか
答えはないし
次から次に課題は押し寄せて
夏休みもないけど(自分たちで提案してなくしたんだけど)
みなさま
これからもよろしくお願いいたします
自分ではスマートなつもりで実は従順なだけというタイプ
あるいは
自分では賢いつもりで実は小利口なだけというタイプ
私は自分の中の不良少年が枯れてしまわないように時々水をやっているって鶴見俊輔が言ってた
自分がスマートで情熱大陸出ちゃうみたいなのへの
憧れがあるやばい奴だって自覚しつつ
やっぱ地に足つけなさい
って
この間セルプ杜の榎君に
言われたような気がしました