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南の島で幼稚園の先生になろう!

活動から19年。現在も現地の教え子や家族から連絡があり、素敵な人と出会えた青年海外協力隊生活に感謝しかない。

南の島で慣れることと感動することについて考えてみる。

2007年10月18日 | ミクロネシアで思うこと
南の島で生活を始めて、はやくも1年と3ヶ月が過ぎました。
この島に来て当初見るものが新鮮でした。
私の幼稚園は海に面していて、目の前は海が広がり、海にはマントゥ島が浮かびます。
家から幼稚園まで3分の道のりですが、歩いて海が見渡せます。
昔から南の島で生活したかった僕にとっては願ってもない環境。

家からは教会が見え、朝は教会の鐘の音で目を覚まします。

家族が作ってくれるローカル料理の数々。
夜には天気が良ければ、まるで宝石が散りばめているように見える星空。
そして、月の光にやしの木の影が浮かび、川のせせらぎの中で歯磨きをします。

南の島の可愛らしい子どもたち。やさしい家族、楽しい隊員仲間。

日本から来たときはその一つ一つに感動していたけど、今はどうだろう?

感動していたことが当たり前、つまり日常へとなっている。
それって悲しいことでもあるけど、この島の生活に順応して、自分がこの村の人間になってきていることでもある。

慣れること・順応することは成長であると同時に、感動という研ぎ澄まされた感覚が鈍っていくことでもある。

慣れなきゃ活動なんて進まない、でもいつまでも新鮮な気持ちでいることも大切。

後残り少ない生活もこの島でしっかりと根を下ろし、ローカルに根ざしながら、ローカルの視点でみることを大切にしたい。それはここに長く住まなければ、できないことだから。

もちろん1年や2年で分かりきるものでは、ないけれど。

そうしていきながら、いつまでも新鮮な研ぎ澄まされた感覚で感動していきたい。

最後まで感動し続けられる生活を続けていきたい。この島に慣れ親しみながら。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日常のうちに (まいまいこ)
2007-10-18 20:45:17
 すごくわかります。
私も、2年目はそんな風に感じていました。
ポンペイにいること、そこで生活すること、休日になればきれいな海に行き、ビーチはプライベート状態…
ちょっと潜ればきれいな魚たちがいるし、バナナはそこら中にぶら下がっている。
そんな生活。

でも、日本へ帰ってくると、それが非日常の思い出になりますよね。
思い出すたび、2年間の時間の貴重さを感じます。

悔いのないよう、やりたいこと全部やりきってきてくださいね!!!
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Unknown (hiro)
2007-10-18 21:26:31
人間ってわがままというか、いつも目の前にあるものはどんなに貴重で大切なものでも当たり前っておもってしまうことが、すごく悲しい。

今日も月明かりの中、家のハンモックに寝転びながら、こんな月夜を見ることは日本ではないなあ。

やしの木ひとつひとつ、数え切れない★一つ一つをしっかりと心に焼き付けないといけないなあって思いました。

夜になるたびに、この島にきて良かった。初心にかえらないといけないなあって思います。
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Unknown (みのり)
2007-10-18 22:35:26
感動が感動じゃなくなるって寂しいですね。
でも、その分慣れたってコトじゃないですか?
でもやっぱり、大和魂ゎ忘れないで㊦サイ

P.S.
なんか背景新しくなりましたNE
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Unknown (hiro)
2007-10-19 03:12:39
その通りだね。背景変えたけど、寂しいかな>
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