
今回の建築家・佐藤功一に関しては米山先生の研究のご専門でもあり、
論文『佐藤功一の「建築-都市」観とその影響に関する史的研究』から
(私は論文の目次部分だけ入手してます。)
小結の一部を資料にも載せてくださり、とっても得した気分でした。
参考までに2000年10月16日大隈講堂で行われたシンポジウムでの
先生の発表を紹介しておきます。理解に役立つと思います。
click ★早稲田大学大隈記念大講堂
★DVD東京遺産第2巻にも大隈講堂が大学の象徴だけでなく
界隈の象徴であることを強く意識した建築物だと紹介されています。
★本日の講座を受けてのまとめ
佐藤功一が晩年に公共建築を多くつくり、都市への視線を向けていたことは少し学習していたが、それより以前に住宅へのまなざしがあったとは知らなかった。重視していたにもかかわらず住宅作品が残っていないらしい。基本的な考え方は住宅は住み手のものということ、最近まで現存していた反町邸(昭和2)は内からの住み良さを大事にした佐藤功一の本来的な「住宅観」を率直に示すものであり、様式から脱して採光や通風などの機能性を重視し、耐震耐火構造を実践している。外観は確かに積み木のような四角い箱だ。資料によると内部の照明器具が素敵だ。
重要例として注目すべきは津田英学塾(昭和7年)である。その平面プラン図をみて気づくべきことは廊下の配置である。コの字型であるがシンメトリーな配置ではない。南側部分の自然採光を考えて廊下を寄せている。寄せ廊下(米山先生語彙)手法。学校建築ではあるが住宅的に捉えている。栃木県庁舎(昭和13)においては便利な日の字型の動線より採光を重視したロの字型+寄せ廊下プランを採用している。
佐藤は多趣味な人であり、なかでも古陶器に興味を示し、帝国大学で同期だった田辺淳吉らと古陶器の鑑賞会を催していた。焼き物好きが建築の素材感にも見受けられ、レンガやタイル、テラコッタなどで、ある部分をまとめて使用し明快なコントラストをつけたりしている。
カタチとしては幾何学的な多角形を好む個人的な趣味があり、信用を第一とする銀行建築には重厚なイメージを醸しだす列柱を並べるが、佐藤は様式的な円柱ではなく、大胆な八角形などの多角形を採用した。また渡辺仁設計の第一生命館(昭和13)のような正方形やもしくは長方形列柱だと様式を初めからあからさまに否定することになりそれは問題でありるため避けたのではないか。もしも古典主義者(といってよいのか)の長野宇平治がこれら列柱をみたら怒ったかもしれないというのは、それだけ、個性的な特質があるということだろう。日清生命館(昭和7)のように最上層だけに古風な様式的香りを残す(この表現ステキな米山流)のはさりげない装飾的効果をねらっている。壁と一体化した骨格は様式のモダン化。
佐藤作品、全体のなかで際だっているのは角地を塔にすること、現在銀座東芝ビルが建つところにはマツダビル(昭和9)があり、やはり角地に塔を頂き、戦前の数寄屋橋の美観を形成していた。バットレスなゴシックの外観は日比谷公会堂に通ずるものがある。
特異事例として挙げられるのは後期の東京瓦斯株式会社の一連の建築(昭和11・12)。オランダのデ・ステイルのような面構成の完全なモダニズムの最新スタイル。施主の意向もあっただろうが、同じガスビルということで、安井武雄(帝国大学建築学科卒、同期は内藤多仲→ということは佐藤より年下。)の設計した大阪ガスビルディングを(昭和8)意識したのではなかろうか。確かにあちらの評判が高ければ当然気になるだろう。 設計にも力が入るというもの。これらモダンな建物の素材は何だろうか。資料はもともとモノクロ写真だけに、残念ながらつかめない。
★日比谷公会堂、大隈講堂、都市への視線へとつづく。
論文『佐藤功一の「建築-都市」観とその影響に関する史的研究』から
(私は論文の目次部分だけ入手してます。)
小結の一部を資料にも載せてくださり、とっても得した気分でした。
参考までに2000年10月16日大隈講堂で行われたシンポジウムでの
先生の発表を紹介しておきます。理解に役立つと思います。


界隈の象徴であることを強く意識した建築物だと紹介されています。
★本日の講座を受けてのまとめ
佐藤功一が晩年に公共建築を多くつくり、都市への視線を向けていたことは少し学習していたが、それより以前に住宅へのまなざしがあったとは知らなかった。重視していたにもかかわらず住宅作品が残っていないらしい。基本的な考え方は住宅は住み手のものということ、最近まで現存していた反町邸(昭和2)は内からの住み良さを大事にした佐藤功一の本来的な「住宅観」を率直に示すものであり、様式から脱して採光や通風などの機能性を重視し、耐震耐火構造を実践している。外観は確かに積み木のような四角い箱だ。資料によると内部の照明器具が素敵だ。
重要例として注目すべきは津田英学塾(昭和7年)である。その平面プラン図をみて気づくべきことは廊下の配置である。コの字型であるがシンメトリーな配置ではない。南側部分の自然採光を考えて廊下を寄せている。寄せ廊下(米山先生語彙)手法。学校建築ではあるが住宅的に捉えている。栃木県庁舎(昭和13)においては便利な日の字型の動線より採光を重視したロの字型+寄せ廊下プランを採用している。
佐藤は多趣味な人であり、なかでも古陶器に興味を示し、帝国大学で同期だった田辺淳吉らと古陶器の鑑賞会を催していた。焼き物好きが建築の素材感にも見受けられ、レンガやタイル、テラコッタなどで、ある部分をまとめて使用し明快なコントラストをつけたりしている。
カタチとしては幾何学的な多角形を好む個人的な趣味があり、信用を第一とする銀行建築には重厚なイメージを醸しだす列柱を並べるが、佐藤は様式的な円柱ではなく、大胆な八角形などの多角形を採用した。また渡辺仁設計の第一生命館(昭和13)のような正方形やもしくは長方形列柱だと様式を初めからあからさまに否定することになりそれは問題でありるため避けたのではないか。もしも古典主義者(といってよいのか)の長野宇平治がこれら列柱をみたら怒ったかもしれないというのは、それだけ、個性的な特質があるということだろう。日清生命館(昭和7)のように最上層だけに古風な様式的香りを残す(この表現ステキな米山流)のはさりげない装飾的効果をねらっている。壁と一体化した骨格は様式のモダン化。
佐藤作品、全体のなかで際だっているのは角地を塔にすること、現在銀座東芝ビルが建つところにはマツダビル(昭和9)があり、やはり角地に塔を頂き、戦前の数寄屋橋の美観を形成していた。バットレスなゴシックの外観は日比谷公会堂に通ずるものがある。
特異事例として挙げられるのは後期の東京瓦斯株式会社の一連の建築(昭和11・12)。オランダのデ・ステイルのような面構成の完全なモダニズムの最新スタイル。施主の意向もあっただろうが、同じガスビルということで、安井武雄(帝国大学建築学科卒、同期は内藤多仲→ということは佐藤より年下。)の設計した大阪ガスビルディングを(昭和8)意識したのではなかろうか。確かにあちらの評判が高ければ当然気になるだろう。 設計にも力が入るというもの。これらモダンな建物の素材は何だろうか。資料はもともとモノクロ写真だけに、残念ながらつかめない。
★日比谷公会堂、大隈講堂、都市への視線へとつづく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます