アンブリエルです
今日はちょっとマジメな話。
個人的見解もあるので、仮にご自分と意見が違っていても、「こういう考え方もあるかー」と鷹揚にとらえてクダサイ。
つい最近、知人(仮にYさんといたしましょう。)が光の世界へ帰られました。
あっという間のことでした。
Yさんはお店によくくるお客さんで、私と同年代。
元々、フレンドリーな性格の彼女は、出会ってすぐ「アンブリエルッ!」と呼んでくれ、仲良くなったのでした。

まるでドラえもんのように、いつもポケットからおいしそうな食べ物を出してきて。
「これおいしいんだよ~」と人に惜しげなく与えてくれる彼女でした。
オシャレさんでもあった彼女は、いつもかわいい格好をしていて。
「そのストール、かわいいね~」などと、いつも周りの人のファッションを褒めてくれるのでした。
そんな暖かい彼女のキャラとは裏腹に、彼女はかなり大変な人生を送ってきました。
でもそんなツラさを感じさせないほどに、彼女はいつも明るく朗らかで。
とっても強い人でもあったのです。
人が死に臨むときに立ち合わせていただくのは、大いに、しかも大切なことを学ばせてくれるものです。
『生きる』ってことを考えざる得なくなります。真剣に。
今回、改めて自分に問うてみました。
『生きる』って何?って。
人の数だけ答えはあると思います。
年を重ねれば違うことをいっているかもしれません。
今のところ、ワタクシ思うに、生きるとは
『人間を味わいつくす
』ことなんじゃないかと。
言い方かえると、
『私たちは、肉体や限界のある人間だからこそできることを体験したくて生まれてきた』といえます。
だから無難に安全に何もなく暮らすより、山あり谷あり
、感情のジェットコースター
がたくさんあった方が、「生きる」を満喫できて、「成功」といえるのではないでしょうか
。(そういうモノサシがあるかは不明ですけどね。)
笑ったり
愛したり
、苦しんだり
悲しんだり
、、たくさん色んなことを感じて味わっていく。
そこには人と人との関係性が不可欠です。
で、「楽しかったー、悔いナシ!
」といって光の世界へ戻っていく。のが、理想ですかね~。

先日、Yさんの告別式に立ち合わせていただきましたが、葬式もお坊さんもなく、彼女を大切に思っていた人たちがたくさんのお花をもって当日、集いました。
棺はお花であふれんばかり。(ホントにいいすぎでなく)
ワタクシはここに、未来の葬式の形を垣間見た気がしました。
宗教もなく、形式やタブーもなく、自由で愛のこもった儀式でした。
フシギながら、ワタクシはさほど悲しくはなく。
彼女と生前、たくさんの思い出があったわけではないということもあるかもしれませんが。
でも、目を閉じると彼女が上からオモシロそうに見てる気がして。
肉体はないので、前のように触ったり話したりすることはもうできないけれど、確かに彼女のスピリットは不滅の存在として今もいるな~って心から信じられたのです。
むしろ、痛みや苦しみといった制限から解放された彼女が、軽やかに思うままに動けるようになった今、本当に「よかった~」って思えるのです。
死は一切の終わりでなく、魂が次の世界へ移行する自然現象である
私たちは繰り返し、生まれ変わってくる存在である
そんな認識が常識化したら、死や葬式に対する見方は確実に変わってくるハズです。
人の生き方全体もずいぶん変わってくると思います。
そんな日が早く来るとイイナ~と思います。
はやくも今日、夢に彼女が現われてくれました。早っ!
天使のように、私にアドヴァイスしてくれました。本当にありがとう、Yちゃん
人って天に帰っても忙しいんだな~、お役目ってあるんだな~(だからゆっくりできない!?)とも思いました。
(モノぐさアンブリエルは、ここぞとばかりに「帰ったらグータラするんだ~
」と秘かに思ってましたが・・残念
)
天の世界と地の世界が連動して。
それぞれの立ち位置でやるべきことをいたしましょう。
Love, Light and Harmony!