アンブリエルです
昨日は月船さんで、ムーンライトセレモニー(新月瞑想会)でした。
回を重ねること、3回目。。
新月の夜に行われるこの会も、だんだん恒例となってきました。
自分でいうのもナンですが、実にイイ会です。笑
(ちなみにどんな会かは、この過去記事をお読みくだされ。)
なぜなら、この会の空間は「聖域」だから。
‘祈り’に満ちた時空間で、「パワースポット」なんデス。(自慢)
「世界が平和になりますように。そのためにまず、わたしたちの内側を平和にしていく。」ことが自然と行われるよう、事前に会場設定を私たちスタッフがしていきます。
具体的には、数日前から祈り(ポジティブな意図のエネルギー)で場の波動を整えていきます。
他にも、自分自身を整えていく‘禊ぎ’が行われます。
(意図せず起こったように見えるので「え、なんでこのタイミング」て思うんですけど、越えてみると「このタイミングが最適でした、ありがとーございますっ!」てカンジです。
天の采配はいつでもカンペキなのでしたー。笑)
シンクロか、最近、祈りの力を実感することが増えましてー。
やっぱりニンゲンて、実体験すると納得がいくもので。。そんなわけで、身を入れて祈ることがこのところグッと増えました。
で、祈っているうちに、‘祈り’に対する理解が増え、身近に感じられるようにもなり。
以下は辞書などの一般定義ではなく、アンブリエル個人の実体験からの感覚デス。
この‘祈る’力は、別にカリスマ的聖人だけが持っているワケでなく。
モチロン、宗教でもなく。
開発しなければならないような、‘特別’な超能力でもなく。
フツーの私たちがいつでもフツーにでき、かつみんなに平等に与えられた太古からのスペシャルギフトなのだと。
ものすごく日常的な‘祈り’の例として、
ケガした子供に、お母さんが「チチンプイプイ、痛いのイタイの飛んでけ~!」ってヤツ、
コレ、リッパな‘祈り’かと。
そうすると、祈りって全然ムズカしくないと思いませんか?
要するに、愛から出た思いで、人が人を純粋に思いやるときに自然と発されるのが‘祈り’だと思うのですー。
・・と、ここで区別したいのが、‘祈り’と‘要求’の違い。
時にニンゲンですもの、「我が身カワイさ」が先に立ち、「痛い思いしたくない」「傷つきたくない」「私が悪いんじゃない」なんてココロも出ます。
(ワタクシも欲の多いニンゲンなので、ショッチュウそういう心が‘禊’がれ通しですー。でもありがたや~。)
そういうときに出てくる言葉は、大抵、「こうなってほしい」「ああしてほしい」と’要求’になりがち。
欲ゴコロで’祈る’純粋な思いが雲っちゃうんです。
ましてや、「あの人が悪いんだから、あの人が不幸になればいい!」なんて要求し続けていると、全部自分に返ってきちゃいます~。
返ってくると、イタいですよ~、波動も重いですよ~。(コレ、本当です)
まぁ、今は返ってくるのも早いので、「あ、いけないっ!」てすぐわかると思いますが~。
「百害あって一利なし!」デス。
逆に、’祈り’は波動軽いですよ~。高いです~。幸せです~。
きっとやってみれば、「違いのわかるオンナ&オトコ」になれるハズ。笑
「そんなこといわれても、要求出ちゃうしー。。」
「祈るってどうやって」
そんな方はゼヒ、ムーンライトセレモニーにお越しやす。
けっこう、「どんな会かよくわからないけど、なんか来ました」って方もいらっしゃいます。笑
そんな方は、「よいアンテナをお持ちで!」デース。
次回は7/16(木)18:00~
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Love, Light and Harmony!