アンブリエルです
2015年年末、ミナサマいかがお過ごしですか?
ワタクシは昨日で仕事納め、今日からお休みに入りました~。
初日の今日は、久々にノ~ンビリ過ごしちゃいました。
このグ~タラ感、たまらなくイイですね。笑
サテ、今日は久々「やりたくないことをやらない決心」part.4ざんす。
(part.1はコチラ)
少し長くなりましたので、お時間あるときにゆっくりお読みクダサイ。
このテーマは8月下旬からスタートしたので、カレコレ4か月たちました。
11月~12月にかけ、高波動エナジーの波に乗ってか、手放しやら氣づきやら、内的成長というのでしょうか、日々目覚ましく変容してたように思います。
そういう方、結構多かったのでは?
ちなみに11月のアンブリエルは→神様ドリル
12月→ロープウェイから世界を見てる
そしてつい先日、またまた金鉱を掘り当てました!
本当はやりたくないのに、ずーっとやってたこと。
「やりたいことだけやる人生」創造に、一番のガンになっていたであろうモノ。
それは「家族の意向に沿おうとする自分」です。
またの名を「いい子ちゃんになろうと必死に頑張る自分」。苦笑
2000年にオーラソーマと出会い、「これぞ我がライフワーク!」と直感、スピリチュアル畑に入りました。
その辺から家族とのズレが表面化してきたんです。
思えば小さいころから「変わった子」でした。
考え方とか物の見方とか。
「なんで?」「どうして?」を連発する子でした。
その質問に納得できるよう大人は答えてくれず、次第に問うこと自体を止め、世界を閉じてしまいました。
わかってもらいたいんだけど、それを表現するにはまだ幼くて。
いう前から「どうせわかってくれないし」と決めつけて。
自分のことをあるがまま「OK」ていってくれる空気感がなくて。
理解されないのが孤独で寂しくて。
閉塞感をいつも感じてたように思います。
それは大人になってからも「表現下手」としてずーっと引きずってましたね。
(そんなワタクシがティーチャーなんて職業を選ぶワケですから、人生笑えます。)
昔、よく同じ夢を見てました。
誰かに追われていて、必死に逃げている私。
助けを呼ぼうとしても声が出ない、で起きる。
家族は私に「フツー」を望みます。
大学卒業して正社員で企業に就職して、人並みに結婚して子供を産んで。。
まぁ、いわゆる日本の親御さんが望むような「フツー」です。
でもそこにワタクシの幸せはなかったのです。
ワタシらしさをつき進もうとすればするほど、家族から遠ざかってしまう。。
結構早くからそのズレには氣づいてたのですが、
そんな自分が申し訳なくて。
「我が道」と「家族の意向」をずっと両立させようと頑張ってきました。
比較的、ワタクシは人の意向をあまり氣にしない、マイペースな人間なのですが、この件に関してはすごく根深い負い目がありました。
なぜならこんな理由があったからです。
以前、ある過去生を思い出しました。
ヨーロッパっぽい国で、私は今と同じ家族と一緒に家族してました。
当時、私はそこそこ裕福な家庭に生まれ育ち、何一つ不自由なく暮らせてました。
家族が大事にしていたのは、家名や体裁を保つこと。
それは当時の社会では、ほとんどの人たちが同じようでした。
なので家族みんなは、なんの疑問を持たず満足しているようでした。
しかし私には、その暮らしはなんだか上辺を取り繕っただけのように見え、中身のない生活に何の喜びも見いだせず、クサクサしてたのです。
そんなとき、ある教えを知るのです。
それは当時、「異端」とされる秘教でした。
私は「これこそ私が人生に求めていた答え」とワクワクし、夢中で学ぶようになりました。
ある時、私は秘教をとある所へ送り届ける特命をいただきました。
異端の教えは当時の権力層からかなりニラまれており、その教えを守ることは文字通り「命がけ」でした。
それでも私は自分が役に立つことがうれしくて、嬉々としてその特命を引き受けます。
当然、家族にも内緒で旅立ったのですが、どこからか旅に出たことがバレ、家族に大迷惑をかけてしまったのです。
家族が一番大切にしていた、家名を汚してしまったのです。
旅の途中でそのことを知り、
家族を不幸にしてまでも守らなければならない教えって何なんだろう・・、
自分が良しとしてきた生き方が果たして正しかったのだろうか、、悩むんですね~。
・・とまぁ、こんな背景が影響してか、
オーラソーマが我が人生と決めてからも、
自分のやりたい思いを貫くことに迷いがかなりあったのと、
「家族を喜ばせたい」という葛藤が何年もの間、十字架のように重くのしかかっていたのでした。
以来、何回も家族とのズレを解決しようと、
都度、自分の思いを理解してもらおうと言葉にするのですが。。
これが通じない!
彼らにしてみれば、私の考え方は宇宙語のように理解不能なのです。
というのも、
彼らにとっては未来は過去の延長であって、
「無限の可能性広がる未来」は想像もつかない世界なのです。
「好きなことをして生きる」ことは
「甘い」考えで
「できっこない」のです。
私はなんとか「そうじゃない、できるんだよ」って
立ちはだかっている高い壁を叩くのですが、
「わかってくれないだろう」と思いつつの言葉に、説得力はありません。
かくして「表現下手」の思い込みが重ね塗り~
肝心の自分が上記したように自分にOK出してないので、
やる氣も行動力も中途半端でそれが如実に自己不信と経済不安定を引き起こし好きなことで自立できない自分を作りだすのでした。笑
それが歯がゆくて情けなくてねー。
私が証明できないモノですから、
向こうも「それ見たことか」
早く「フツー」に戻りなさい、と。
・・そんなこんなでここ数年、ワタクシ、家族とかなり「闘って」おりました。苦笑
ですが、先日NHKの朝ドラであさちゃんが、お姑さんに「仕事も家事も両立したいアンタはワガママだ!」っていわれてるのを見て、ハッとしました。(見てない方、話が見えなくてスミマセン~。笑)
「何かを選択すれば、何かを諦めなくてはならない。
それを両方欲しがるのはワガママだ」というのです。
その言葉がわが身に沁みました~。
もう、とっくに昔から選んでいたのです。
家族の意向じゃなくて、自分の行きたい道を。
なかなか思い切りつかず、ずーっとズーっと私が先延ばしにしてたんです。
で、今日の朝、トートツに
「もう、家族の意向に沿おうとする自分」を手放そう!て出てきたのです。
ココロは晴れやかでした。
やっと「自分」になれたような、
あるがままの自分にやっとやっとOKが出せました。
過去生含めた長~い過去の清算がやっと終わって、
なが~いトンネルの、やっと出口に出てきた
そんなカンジです。
(いや~、ホント長くて大変デシタ。。)
たぶんね、家族の望み通りとはいかないけれど、
違った形でも私が幸せな姿であれば、彼らは安心するのだと思います。
なんだかんだいいながらも、実質的に私を支えてきてくれたのは、ほかならぬ家族でしたから。
ホント、感謝です。
きっと、生まれる前にそう約束してきたのだと思います。
(なんてことをいっても怒られそうなので言いませんが。笑)
どちらがいい悪いではなく、単に「違う」ってだけなんです。
一方的にどちらかに寄せるのではなく、互いに違いを認め合うのが大事なのだと思います。
ということで、晴れ晴れ軽やかさんで来年を迎えられます。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
また金鉱、掘り当てたらシェアしま~す。
Love, Light and Harmony!