The Blessing of Gold~金の祝福

世の中のよいモノ・コト・人をボーダレスにアンブリエル視点で発信していく、AmbrielMワールド♪

手放しの7つ+1のレベルpart.11番外編

2015-06-28 | 手放しの7つ+1レベル

アンブリエルです

 

手放し話、番外編~。

 

前回予告したように、今日は手放しボトルB91時に併用していたアークエンジェロイ話を。

 

アークエンジェロイって、比較的最近の製品なので、情報もあまりなく。

なので、体験して自分なりの感想を持つというのが一番、手っとり早い方法かと。

 

今回の体験から、「アークエンジェロイって?」に対する答えをワタクシがいうなら、

「自分のお役目(使命)を見つけたい人、お役目に生きたい!て心から望む人にはすごくいいよ」です。

 

今回使用したのは、AA98サンダルフォンとAA99ザキエル。

  

ワタクシにとってAA98とAA99は、一種似たテーマを持っていて。

題して、「依存と自立」デス。

 

それが今回のタイミングで、両方を続けて使った理由なのだろうと思います。

 

数年前から、「個を越える」というのがテーマでして。

(ちなみに、「個を越えられない」時、ある種の「依存している」状態を引き起こしてるなー、とワタクシは思います。

 

というのも、ワタクシがやりたいことはどうやらこの「個を越えた」先にあることだからです。

(こういう方、スピリチュアル的な世界維新を迎えている今の地球上に、多いと思いますが。。)

 

でも、「個を越える」ことはなんだか「自己犠牲する」ように思え、イタイ、ツライ、貧乏クジ・・はイヤだなー、とずっとお役目に対して腰が引けてる部分がありました。

 

お役目に対して、「喜んで!」が低かったんですね。

(この辺、前回の「ヒガみコンジョー」とリンクする所があるかと。本心はやりたいくせに、我が先だって、素直に「ハイッ」と言えないの巻~。

 

ニンゲンで在る以上、「認められたい」「求められたい」と家族や友人、社会の評価を求める個人の我や欲があるわけで。

それがバネになり、成功する人もいるので、一概に「いらない」モノではないとは思いますが。

 

でも、ワタクシのバヤイ、それがあると本当に自分がやりたい「お役目」のカベになるってことがこのサンダルフォンを使うことで明確に見えてきたのです。

 

ワタクシが今生でやりたいこと、

それは、「愛と光にあふれた新しい世界をこの地球上に創ることであって、

 

それには百年千年単位で見なければいけない、

よって自分の代で花咲くこと=結果や成果、評価、報酬を求める ということを自ら求めるのはNGなのです。

 

どうやら、今生ではひたすら「種をまく人になる」ってことを決めてきたようで。。

それを最近、とても自覚してきましてー。

(わかった時は、ガーン、、一生ビンボーとはいかないまでも、豪遊人生とは無縁かも・・なんて思わず三次元的な欲ゴコロが出てきてガックシ来ましたが。笑

 

確かに、三次元的「物質的な成功」にフォーカスすると、その生き方は「犠牲的」というか、「貧乏クジ」というか。。

(だから自分は吉田松陰さんにココロ惹かれるのかー、、なんて合点がいきましたが。苦笑

 

でも、さっきもいったように、自分で「決めて」きてるんですよね~。

それをやりたくて、わざわざ生まれてきている。

 

てことは、目先的な「物質的成功」より、その先にあるモノの方がワタクシにとっては「価値がある」、ということなのでしょう。

 

・・とはいってもね、今ここにいるのは「タダのニンゲン」アンブリエルであります。

フツーに「認められたい」欲求はあるし、仙人じゃないですもん、カスミじゃ生きていけナイし、生活するにはお金も必要だしー。。

 

そういう三次元的執着にずっと囚われて、グルグル葛藤が続いてここ数年、お役目にハラがくくれなかったのかー、と自分理解にもなりました。

で、そういうことが明確になってきたということは、「もう卒業ヨ!」超えられる時期なのだーと、思いこむことにしました。(だってホントだもーん

 

そして、サンダルフォンを使い続けていたら、喜びから「個を越える」答えがやっと!出てきたのです。

 

きっかけは、先日、イギリスのグラストンベリーから帰ってきたヨガ仲間の、結婚間近の幸せIさんがくれたお土産のカード。

それぞれに「smile」とか「hug」とかメッセージの入ったカードを、一人一人引いたんです。

 

私は聖フランチェスコの祈りでした。

(その瞬間、はやしワタクシは清貧の、結婚よりお役目優先人生かなんてちょっとよぎりましたがー。。イヤイヤ、違う!言霊コトダマ!笑

 

とても有名なものらしく、マザーテレサもお好きだったとか。

ネット検索したものを、転記しますと。。

 

主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。

憎しみのある所に、愛を置かせてください。

侮辱のある所に、許しを置かせてください。

分裂のある所に、和合を置かせてください。

誤りのある所に、真実を置かせてください。

疑いのある所に、信仰を置かせてください。

絶望のある所に、希望を置かせてください。

闇のある所に、あなたの光を置かせてください。

悲しみのある所に、喜びを置かせてください。

主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。

なぜならば、与えることで人は受け取り、己を忘れることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。

フランシスコの平和の祈り - Wikipediaより)

 

・・と、まさに「個を越えてる」祈りなのです。

目線が軽く「個」を越えているんですよね。

(オーラソーマ風にいうと、エルモリアの「汝の意志」デス。)

 

そして、上記したワタクシが今生でやりたいこと、「愛と光にあふれた新しい世界をこの地球上に創る」は、言葉を変えるとこういうことダワ!とわかったのです。

 

「本当に、コレがやりたいんだ、ワタシ」を自覚して、お役目を納得した瞬間でありました。

 

「祈り」の中に答えがありましたー!

 

・・けどね、それをやり抜くには三次元的「自立」も必要で。

と、そこには、このごろ培ってきた、イロイロな視点が総合的につながって。。

 

またもや長くなってきたので、この先は次回で。

「依存と自立」についてはガッツリ、次回でね~。

 

Love, Light and Harmony!