誰しも夢でもいいからもう一度会いたいと思う人ってると思います。
人間ある程度年齢を重ねてくるとそれなりに出会いと別れは経験するものです。
そこで僕が今もう一度会いたい人って誰がいるだろうって考えてみました。
先ずは亡くなった父ですね。

僕は父の死に目に会えませんでした。風邪を拗らせて肺炎になった父に朝会社に行く時に父親に入院先が決まったら仕事早退きして病院に行くからね と言ったのが最後の言葉になってしまったんです。
父親が亡くなってから、母親は何度か父の夢をみたそうです。でも僕の夢の中には殆ど出てきた事はないですね。
父親らしい姿が現れてもドラマで言うところのチョイ役みたいな感じでストーリーには全く関係ない感じでしたね。
でも一度電車に乗っていて眠りこけて危うく乗り越しそうになった時に父の声がして僕の名前を呼んだんです。
それでハッと目が覚めて何とか乗り越さなくて良かった方がありました。
親父が亡くなってから今までの僕の生き様はどうなのか父に聞いてみたいです。
2人目は僕がストラトフォードの語学学校に通っていた時の校長先生です。

彼女はとても頭のいい人で常に生徒のことを考えてどうしたら皆んなが快適に留学生活を送れるかに気を使ってくれていました。
でも僕は最後にチャンとお礼とサヨナラをいう事が出来なかったんです。
ストラトフォードのからロンドンに移る時は休暇を取っていて会えなかったし、ロンドンから日本に帰る時も学校にやったけど不在だっんです。
僕が帰国してからは毎年クリスマスカードは学校宛に送っていました。でも僕が帰国して数年したらリタイヤされたんです。
その後の消息は不明になってしまいました。
当時彼女には少し離れたところに高齢のお母様が住んでられました。彼女曰く母がいるうちはストラトフォードの近くに住んで将来はアフリカに行きたいと言っられました。と言うのも以前に彼女はアフリカに仕事か何かで住んでいた事があってそんな関係で又行きたいと思っていたみたいです。
今元気なら83歳になられています。
ハローと言って拙い英語でその後の歩みと改めてお礼と当時迷惑かけた事のお詫びもしたいです。
最後は16歳になった時の僕自身ですね。

僕は第1志望の地元では有数の進学校に何とか入学する事ができました。
その高校に入るまでは勉強は絶好調で模擬試験でも何処からでもかかってらっしゃいと言う感じだったんです。
当時の僕はその高校に入りさえすればそこそこの大学には入れるものだと思っていたんです。
ところが人生そんなに甘くはなかったです。
僕は見事に燃え尽き症候群になってしまいました。て言うかガス欠状態だったんです。
得意だった数学の最初の授業、一応予習もして行ったんです。でも先生が言っていることがチンプンカンプンで全くと言って良いほど頭に入ってこなくなりました。
自分にとって自信のあった教科が分からなくなった事がもの凄くショックで他の教科も軒並点数が取れなくなってしまったんです。
そして僕は進学校の落ちこぼれとなりました。
その当時の僕は既に崩れ去った自分をどう立て直して良いかが分からずただ流れに身を任せるようになってしまいました。
でも人生って悪いことばかりはないんです、
そこで僕は一生の友人と出会ったんです。それまで田舎の中学にいた僕は勉強は出来たけどそれ程親しい友達っていませんでした。
高校に入って同じクラスになったのが縁で僕はそいつと仲良くなったんです。でも何がきっかけで仲良くなったかは思い出せません。でもそいつは町の中学の生徒会長でとにかく人気あったんです。そう言う奴と僕が仲良くなったら色んな連中が僕達の周りに集まって来て友達の輪が広がって行ったんです。
それで僕の高校生活は楽しいものになりました。勉強はダメでも友達が出来た!
これでプラマイチャラやん!そう思って何とか3年間過ごしました。
だからもし僕がその時の僕に会えるとしたら兎に角基本に立ち返って焦らずじっくりやったら良いよ!難しい問題ばっかり解こうとせず点の取れる問題を取りこぼさず拾っていくようにしろよ!って言いたいですね。
In My Life のブログ書いてたらフッと思い出してしまいました。
夢でも良いから会いたいです。
そんな今の気持ちをよく表している曲をアップします。
曲は河島英五さんがジュリーの為に作った曲でいくつかの場面です!
