ショッキングなタイトルにびっくりしました?
ちょっと驚かせてみたかっただけです(笑)
タイトルの理由はコレ、
ブログのタイトル「マクロビひなたぼっこ日記」から「マクロビ」をはずしました。
ここ2年くらいブログを書く手がなかなか進みませんでした。
だったらいっそブログをやめる事も考えましたが、私にはまだ表現したい「何か」があるのです。
「何か」というのは、マクロビオティックの哲学を伝えていきたいという思いであり、また、食では解決出来ない心の問題をマクロビオティック的判断を手放す事で昇華出来ないかという思いであり。
そんな相反する「何か」が、自分の心の確信部分では統合出来そうな気がしてるのだけど、実際にはまだ混乱していて、そんな状態をうまく言葉で表現出来ない。
この2年はその曖昧な感覚を必死に捉えようともがいていたような気がします。
私は今、食事法としてのマクロビに飽きてしまったというか、限界を感じています。
自由になるための手段としてのマクロビが、逆に自分を縛りつけている。
あれはダメ、これは体によくない。
そうやって食べ物を裁いている自分がいる。
マクロビオティックは本来、何を食べてもいいはずのです。
それが頭ではわかっているのに、潜在意識のどこかで「あぁ、今日も体によくないとわかっててお砂糖食べちゃったよ…」と裁く私がいるのです。
ならばいっそ完全に食べなければいいものを、なぜか意識的に選んで食べては自己嫌悪の日々。
自由になるはずが、なんだかどんどん罪悪感にはまっていってる…?
そして罪悪感を誤魔化すために、思考を麻痺させる砂糖の強い陰性が必要になる悪循環。
罪悪感に比例するかのように過食で体重も膨らむ(泣)
私、何やってるんだろう。
辛いくらいならマクロビをやめる、という選択もありますが、私はマクロビの無双原理の陰陽哲学を愛している。
愛ゆえの苦しみだなんてまるで恋愛のような(笑)
私は今まで教室などで習ってきた「マクロビ」に対する違和感を感じ始めていて、でも「自分の方が正しい」と既存の考えを捨てる勇気が持てなかった。
自分の理論が合ってる合ってないは別問題として、そうか、私は自分の感覚を信じられなかったから苦しかったのだね。
とりあえず、既存のマクロビから解放される第一歩として、ブログタイトルから「マクロビ」をはずしてみたわけです。
でも不思議、たったそれだけですっごく楽になったのです。
私はマクロビやめません。
陰陽、こんな面白いツールはなかなか見つからないです。
そして何を食べようと「マクロビやってます」と胸を張れます。
私は私の信じる道を進むのさ。
最後に誤解のないようにひとこと。
私が正しいという確証はどこにもないし、仮に今正しいとして、それは何年か後には正しくなくなっているかもしれない。
さらに、既存のマクロビが間違ってるというわけでもないです。
それぞれの食べ物が3次元的肉体にもたらす影響は、既存のマクロビ理論でいいと思います。
(明らかに偏っているのもあるけど、それとて必要としてる人がいる)
陽性の代表ゴボウの中にあるアクという陰性さや、米飴の中の「煮詰める」という製造工程がもつ陽性さが何を意味するのか。
それは桜沢先生が提唱する「宇宙の秩序、7つの原則」のひとつ「表が大きければ裏も大きい」という事を意味するのだけど、その辺りまで突っ込んで考えてると私はワクワクして退屈しないのです(笑)
私はね、宇宙の秩序が知りたい、というか体感したいのですな。
ちょっと驚かせてみたかっただけです(笑)
タイトルの理由はコレ、
ブログのタイトル「マクロビひなたぼっこ日記」から「マクロビ」をはずしました。
ここ2年くらいブログを書く手がなかなか進みませんでした。
だったらいっそブログをやめる事も考えましたが、私にはまだ表現したい「何か」があるのです。
「何か」というのは、マクロビオティックの哲学を伝えていきたいという思いであり、また、食では解決出来ない心の問題をマクロビオティック的判断を手放す事で昇華出来ないかという思いであり。
そんな相反する「何か」が、自分の心の確信部分では統合出来そうな気がしてるのだけど、実際にはまだ混乱していて、そんな状態をうまく言葉で表現出来ない。
この2年はその曖昧な感覚を必死に捉えようともがいていたような気がします。
私は今、食事法としてのマクロビに飽きてしまったというか、限界を感じています。
自由になるための手段としてのマクロビが、逆に自分を縛りつけている。
あれはダメ、これは体によくない。
そうやって食べ物を裁いている自分がいる。
マクロビオティックは本来、何を食べてもいいはずのです。
それが頭ではわかっているのに、潜在意識のどこかで「あぁ、今日も体によくないとわかっててお砂糖食べちゃったよ…」と裁く私がいるのです。
ならばいっそ完全に食べなければいいものを、なぜか意識的に選んで食べては自己嫌悪の日々。
自由になるはずが、なんだかどんどん罪悪感にはまっていってる…?
そして罪悪感を誤魔化すために、思考を麻痺させる砂糖の強い陰性が必要になる悪循環。
罪悪感に比例するかのように過食で体重も膨らむ(泣)
私、何やってるんだろう。
辛いくらいならマクロビをやめる、という選択もありますが、私はマクロビの無双原理の陰陽哲学を愛している。
愛ゆえの苦しみだなんてまるで恋愛のような(笑)
私は今まで教室などで習ってきた「マクロビ」に対する違和感を感じ始めていて、でも「自分の方が正しい」と既存の考えを捨てる勇気が持てなかった。
自分の理論が合ってる合ってないは別問題として、そうか、私は自分の感覚を信じられなかったから苦しかったのだね。
とりあえず、既存のマクロビから解放される第一歩として、ブログタイトルから「マクロビ」をはずしてみたわけです。
でも不思議、たったそれだけですっごく楽になったのです。
私はマクロビやめません。
陰陽、こんな面白いツールはなかなか見つからないです。
そして何を食べようと「マクロビやってます」と胸を張れます。
私は私の信じる道を進むのさ。
最後に誤解のないようにひとこと。
私が正しいという確証はどこにもないし、仮に今正しいとして、それは何年か後には正しくなくなっているかもしれない。
さらに、既存のマクロビが間違ってるというわけでもないです。
それぞれの食べ物が3次元的肉体にもたらす影響は、既存のマクロビ理論でいいと思います。
(明らかに偏っているのもあるけど、それとて必要としてる人がいる)
陽性の代表ゴボウの中にあるアクという陰性さや、米飴の中の「煮詰める」という製造工程がもつ陽性さが何を意味するのか。
それは桜沢先生が提唱する「宇宙の秩序、7つの原則」のひとつ「表が大きければ裏も大きい」という事を意味するのだけど、その辺りまで突っ込んで考えてると私はワクワクして退屈しないのです(笑)
私はね、宇宙の秩序が知りたい、というか体感したいのですな。
傍から見てると、可愛ゆらしいのよね。
それだけ、純粋なのねぇ。
大ばばさまの知り合いに、
平井先生っておっしゃる、
お水とか微生物の研究をなさってる方がいらして、
ある時、
「人間は、何でできていると思うか。」
と、周囲の方に質問されたそうです。
みな、それぞれ、
骨とか、筋肉とか、臓器の名前をを挙げたらば、
「じゃあ、それは、何でできているか。」
と、尋ねられて、
「細胞です。」
と、誰かが答えたら、
「その細胞を生かしてるのは、何だと思うか。」
…答えは、“微生物”。
人間の細胞を、遥かに超える数の微生物が、
人の細胞を支えている、と。
例えば、歯だけを考えたら、
糖分は、人のためにならないかもしれない。
アトピーにも、良くない。
でも、微生物が生きるためには、
糖分は、必要不可欠よね?
おばばもね、未だに悩みながら生きてます。
でも、誰も可愛いって、言ってくれないのぉ。
私も時々、息苦しさを感じることが時々あります。
普通に市販の惣菜を食べられたら、もっとラクのに・・
何も考えずに外食できたら、もしかして幸せなんじゃないのかなぁ・・
なんて。
なので、行ったりきたりしながら、でもやっぱり、陰陽の原理は素晴らしいのだろうから(そこまで深く追求できてませんが)、すべて放棄するわけじゃなく。。
もっと自然に、もっと自由に、もっと楽しみたいと思います。
これからも日記、楽しみにしてますね♪
微生物に生かされてる私たちの体。
私は、誰も彼もが厳格な玄米菜食をする必要はないと思ってます。
マクロビオティックは健康と幸せの手助けはしてくれるけど、マクロビさえしてれば幸せになれるわけじゃないから。
その辺を語弊なく説明するのが難しくて、ブログに書けずにいる私です…。
この息苦しさから抜け出したくて、一時期、市販のお惣菜食べたり、何も考えずに外食したりしてみました、私(笑)
最初のうちは元気なのだけど、しばらく続けてると体も慢性的にだるくなってきました。その頃精神的に落ちてたのも繋がってるのだろうけど。
そしてひょんなきっかけ(夏バテ…)で1ヶ月くらい前から小食&食を正したら、なんかすっごく体が気持ちいいのです。
マクロビオティックをやる目的のひとつは、この「体が心地いい状態」を体に教えてあげる事なんだと思います。
私たち現代人は環境汚染や食の乱れ、ストレスに晒されて感覚が麻痺してしまって、体の声の聴き方を忘れてしまっているのです。
自分の体の声を聴けるようになったら、自分の心地よいバランスの範囲内で食を楽しんでいいと思います。
私も今、葛藤と戦っています。
元々、ゆるゆるマクロビアンですが、
マクロの思想が大好きで、曲がりなりにも、
実践しています。
でも、時として、自分を拘束している自分に疑問を
感じていて、こんなんでいいのかな?!って思ってます。
ブログの発信もおろそかになってきているので、
余計にね・・・
なので、今は開き直って!?自然体でいます。
基本、マクロの思想で生きていますが、
やっぱり、社会で生きていくためには、柔軟性も大切だと思うので、今はむしろ、そこを重視しながら、
知らない人たちに、さりげなく発信してます。
来週の飲み会が楽しみです!
色々語りましょう!!
、伝えmickysukeさんはそうるチャレンジをするし、さらっと心地よい伝え方が出来る方ですよね。
これって素晴らしい才能だと思います。
プラシーボ効果といって、偽薬をクスリといつわって処方する実験があるのですが、偽薬でも体調が改善する人が何割かいるんだそうです。
「あれはよくない」という想念で食べていると、
本当に病気になっちゃったりするのですね。
記事、共感しながら読みました。
私もいわゆる食としてのマクロビに限界を感じた時期
があり
一度マクロビの細かい部分(?)は手放してみました。
それから
→引寄せの法則(これぞ宇宙の法則と心惹かれ)
→風水から学ぶ陰陽(掃除&整理整頓に必死でした)
→歴史(歴史上の人物、主に弘法大師空海にはまった)
→信仰の世界へ(悟りとはどういう状態?)
といろいろ興味を移らせていきました。
挙句の果てに、そもそも宇宙の中の地球という星に
知的生命体と呼ばれる人間が生まれてきた意味は?
というところまでたどり着いてしまい(馬鹿です~)
小学生の子どもに買ってあげた宇宙の図鑑を
親の私の方が夢中で読んでます。
>私は私の信じる道を進むのさ。
私もそんな感じでやっています。
でも、色々寄り道?しても
マクロビの思想に戻っちゃうの(笑)
地球上のあらゆるものは全部繋がっているから
人もそれらと調和しながら生きるのが大切なんだよな~ってね。(もっと思うことがあるんだけど
語彙が足りず、上手く表現できない)
昨日尾形先生の勉強会で、先生はこんなことおっしゃってました。
自分を「なんちゃってマクロ」と言うのはやめてほしい。
今ここにいる以上、全ての人や物が陰陽の法則の中にいます。
だから、みんなマクロビオティックで生きているのです。
「なんちゃってマクロ」と言ってる人は
自分で勝手に「マクロはこういうものだ」とルールを作っておいて
守れない事に罪悪感を持ってる人です。
思い出しながら書いてるのでニュアンスが変わってるかもしれませんがご了承くださいな。
私は学生の頃に哲学、宗教、心理学にはまって、最終的には寺山修司(笑)
「書を捨てよ、街に出よう」です。
そんでもって最近はムスメが見てるプリキュアと仮面ライダーが面白くて(笑)