fantahime's weblog

ひるむ。ひるむことに、チャレンジする。凄いことではなくて、掃除したことの無いトコを掃除するみたいな。

鉛中毒

2012年02月13日 | 宇宙方面
脳の機能障害に鉛の蓄積もあるという

玄米をたべると、体内の毒素というか蓄積した重金属類も排出されるという
から

玄米を食べると脳の機能も良くなるのかもしれない。

それよりも

玄米がいいのはいいんだけd

その鉛の、ありかというか


鉛の出所が重要だ


今の食生活や
今の生活全般に 鉛が入り込む要素が多すぎないか。

どこに鉛が入り込んでいるのか。
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人とあうこと人とはなすこと

2012年02月13日 | 宇宙方面
予想外の 反応 

予想している 反応

人はそのものが電気的なもの

しかもいろんな波長をもっている 光ももっている
におい、 声、 色


いろいろな刺激がある 人

人は 電気刺激になる

人とあうと

脳血流が 増えるのだろうと思う


人とあうと

脳に電気刺激が起きるのだろうと思う
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 言葉は 人をなおしもするし 病気にもする

2012年02月13日 | 宇宙方面
NHKのうつ病の番組をみていた。

磁気刺激、
電気刺激

そして、言葉の刺激

結局、神経だから
電気的な物が発火するのが良い

関係ないけど
オカリナの音は 響く
あの

前頭葉から扁桃体につなぐハブの25野が

頭蓋骨の骨に近いところにあるなら、
その可能性がないとは言えない

オカリナの成分は土
ケイ素

骨に近い物質が
響くことで共鳴するのではないか

おなじ波長の音がでると

脳にも響きやすいのではなかろうか

などということを
想像していた。
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空亡空亡

2012年02月13日 | 宇宙方面
朝、起きて、楽譜を用意して、明りを用意して

階下におりたら、
えらいことを忘れていて

その処置をしてから
外に出て

足に怪我したことがわかって、それでも走って

そのあと、山にたどりついたら
オカリナを持ってくるのを忘れていたことに気づく

頭が、えらいことになってる

空亡だ。
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なんかしらないけど

2012年02月12日 | 自然治癒力
なんかしらないけど、やたらと片付けている。
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なぜかルーン文字へ

2012年02月11日 | 宇宙方面
なぜか、ルーン文字を扱うことになった
のですが

その前からアルファベットの辞典という本があって

それと、ルーンの本をつきあわせてみたりしている。

すると、逆の意味だったりして面白い。

言葉ってのは、逆にとれるときもあるよね

好きだ好きだといわれていれば

そんなに好きなのかなと思うし

秘密はない 秘密はない
と言われれば言われるほど

秘密がある 秘密がある

と聞こえてくるもの。

言葉は単なる記号で

そこから類推する シンボルに過ぎないのかもしれない。
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かぜっぴき

2012年02月11日 | 自然治癒力
風邪っぴきになってしまい、節分あたりから具合が悪く
なんとか一週間乗り越えて
今日久々に山にいってきた

ラジオ体操をしながら、
体が痛い時の頃を思い出していた。

すごい変化じゃないけど
すこしずつの変化がつみかさなって
今の体になってきた

こういう地道はものほど 手放したくなくて

ラジオ体操とか
ちょっとした朝の散歩とか 走りとか
を続けたいんだなあ

無理じゃなく続けられること
すこし無理かなと思いつつ始めたこと


山の皆さんの笑顔や、優しさにふれて
ちょっとした喜びが
重なって

すこしずつ
すこしずつ
習慣となった


易の先生が、
習慣を作ることが大事だとおっしゃっていた

そうなんだなあ

走りおえて、
たいしてやせてもいないけど
丈夫になってきた体をみて思う

衰えや老いは、容赦なく私にもせまってくるけど

その身体にあわせて
それなりにあわせていけばいいさ。

たった一度の人生だ。
すぎゆく、一度の人生だ。
すぐにとんでいってしまう 人生だ。
だから 大事にしようとおもった。
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どんなときも

2012年02月08日 | 宇宙方面
ひとりぼっちなのに
ひとりになりたいとおもっている


でも、ひとりぼっちに
ほんとうになったらさみしいんだろう
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どんな病気も

2012年02月07日 | 脳を鍛える
心を、心をなんとかしないと
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後ろ姿

2012年02月04日 | 宇宙方面
後ろ姿のほうが、その人を表しているのかも、と思う時もある。
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きれいごと

2012年02月04日 | 宇宙方面
有吉さんが返り咲くことが出来たのは、
汚い、悪口的、アダナ付けがウケたんだろうと思った。
それは真実を鋭く突いていたのと、
それでありながら生きている、ということへの肯定というか。

きれいごととか
奇麗な言葉で隠されたドロドロしたきったない物
よりも
汚い汚い言葉の裏に潜んだ真実のほうが心に響く。それの方が自然だ。

言葉にあふれた時代、
知らず知らずのうちにコントロールされ
コントロールしている

本当に心が動くのは なにか
本当に心を打つのは なにか。
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腸の状態が悪いから風邪をひく

2012年02月03日 | 自然治癒力
風邪をひいてしまった

食べ過ぎにもってきて、パン、豆乳、あまいもの など
オンパレードで食べてきたため

鼻がつまったりして。

排出できていいという部分もありつつ
まあ
相当
たまっているから

起爆剤になったのでしょうか


腸の状態がかなり荒れているんだろうなとおもった。
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物事をどうやって考えたらいいのか

2012年02月02日 | 宇宙方面
なににこだわるのか は 人それぞれだから
どれが頭がいいのか わからない

どんなことをしても、自分の望みをかなえるのだと、『それ』をコントロールし続ける

目的を忘れて、コントロールしようとしている 行為そのものが目的になってしまい
かんじんの目的がまったく果たせないばかりか 逆行してしまって、かえってひどいことになったりする。

しかたないそれが その人の 今生の目的だったのであれば。仕方ない。それは それでいいのだ。

最近は、ほとんどの病気は頭のなかでつくられるにちがいないと
おもっている

脳の中に 病気のモトをもっているのだろうと 思っている

だからといって脳をどうにかすればいいのかというと そうでもなく

それは多分 宇宙からのエネルギーだとか 地球からのエネルギーだとか
想いだとか
物の配置だとか いろんなものが 影響しているんだろうと

思う

だれかの想いも。

死んでしまった人の想いも。


それも

これも

だけど 


きっと


頭の中で
頭の中のうちゅーで
形作られたものに違いないと 思っているのだ

たまごがさきか にわとりがさきか みたいですね。


放射能も、放射性物質も 顕在生が今のところ 私の住んでいる世界にはない

顕在する場合にも

他のことが
顕在する場合にも

その所に、きっと必要なエネルギーが顕われているんだろう きっと。
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放射能になんで興味がないのか

2012年02月02日 | 宇宙方面
以前、ダイオキシン騒動の時に ピコグラム、ナノグラム だとかそういう数値があつまったらどんな風になるかというのを
さんざんやった

そして、ゴミを捨てないこと、とかいろいろやった
でも、
ゴミを捨てないと 家の中が汚くなるし

シャンプーを使わないで頭を洗うものいいんだけど
なんか臭くなったり 顔がでこぼこに荒れたりというのが精神衛生上よくなかった

ある日テレビで 大型の貨物船が海に沈んだといっていて
それは 塩化ビニリデンという 塩化ビニールの原料が大量に積まれた船だった。
そのあと
塩をふくんだものを燃やせばダイオキシンが発生するのだと知った。

ほとんどもう、どうやってもダイオキシンが怖いとかいったってもう 無駄だと思ったときに

これは神様の思し召しなのかもしれないと 思ったのだ

だったら生きているうちに、好きなことをやろうと。


そう、その時のほうが見えていたかも

生きているうちにしか出来ないことをすればいい。
将来だとか 、いつかだとか 考えていたって、それは頭の中の計画にすぎないし

どんなにしたって滅び行くものであれば、その命を精一杯つかって 楽しみたいと思ったのだった。

もちろん、原発に賛成しているわけじゃないけど

放射能という 印籠をつきつけられるまえに
もう、そういう印籠の手強さを感じる神経が麻痺してしまって

それを考えることがかえって自分の命を狭める気がするので
あんまり考えないことにしている。
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え、太ってるってどこが

2012年02月02日 | 脳を鍛える
あのせんぷうきおばさんをみてから、
自己受容ということが大切だと身にしみた

いまあるものをなぜ認めようとしないんだ。
どうして、自分がいま もっているものを傷つけ続けるんだろう

自己否定、自己否定、自己否定、の連続
それが、効果が現れるのであればいいのだけれど
どうやら傷つけるばかりで、
自尊心をどんどん矮小化してしまって
本当の自分の姿が見えなくなっていた

山の上でいつもあう フレンチブルドッグをつれている人が
ある日 犬をつれていなくて、

犬が死んだんだという

でも、涙がながれないんだと


いつもすれちがっても、犬がすごく人なつこくて近づいてきても
だめ!!って 私に触らせてくれなくて
犬がしぶしぶ通りすぎていた

厳しい人なんだなあとおもっていた


もともと犬が嫌いというか
生き物なんかかうつもりなかったんだという

死んでしまって、
どういうわけか泣けないんだと
そんな話を どういうわけか 私に話しかけてきてくれた

それから、なぜか、その人と時々話すようになった。

あのわんちゃんの、人なつこい顔が時々浮かぶ いつもたぶん一緒に居る。

凄くスポーティで、スタイルの良いその人は 水泳をしているそうで

最近はどうやってその体型になったんだろうと聞いたり
足が痛い時とかどうしたらいいか聞いたりしている

そのときに、太っているんだから、やせたいんだといったら

え、太ってるってどこが?


嘘がつけない人みたいなんで
そのまま受け取った

いまのこたちはやせ過ぎだよ

そのままうけとることにした

自分の体型や、自分がああなりたい こうなりたいと だれかの価値観に振り回されて
そのことばかり考えていて 周りの人とか 仕事とか もっと眼をむけるべきことから
頭がお留守になっていた。

震災から 人の見方がかわった。

生きるということは

人の価値観てどういうことか

見かけも物質的な側面にすぎないのかもしれない。

いまの自分に出来ることはなんだろう

太ったおばさんも、わるくないというか けっこうかわいいおばあちゃんとか好きだし

美しいことだとか 誰かに誇れることだとか よりも
もっと

もっと
もっと

本質的なことがある

かつか負けるかよりも

もっともっと深いことが。


人と 人との間柄、そこで生まれる出来事 そこに生じた心の動き

欲しいといって いるために 手に入らないということはないか

勝つことによって 本当に欲しかったものが手に入らないことはないか

いろんなことを見直す時期に来ているのかもしれないと おもった。
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